第1話
――今ではない、いつか。
ここではない、どこかで…
…視界がどんどん暗くなってゆく。体中の力が、抜け落ちてしまったようで。
まさか、こんなことになろうとは。…思いもしなかった。
何とかしなくては。あれを、このままにしておくのは…
一体、どうすれば…
◆◇◆
「はぁ、はぁ…」
もたれそうになる足を必死に動かして、街の裏路地を疾走する一人の女性。
その数十メートル後ろには、数人の男達が同じく走っている。どうやら、女性を追っているらしい。
彼らは軍服を着ており、おそらく軍人であろう。
この国には軍が存在しており、女性を追跡している者は軍属の者に相違無い。…が、本来人々を守る為に存在してる軍の人間が一般人と思しき女性を追っているのかは不明だ。
しばらく、そんな鬼ごっこを続けていたがそれにも遂には終わりを迎える羽目となる。
「そ、そんな…」
目の前に広がるのは塀ばかり。つまりは行き止まりである。
すぐに、後ろにいた軍人達も追いついてしまった。
「行き止まりか…残念だったな。おとなしくあれを渡す気になったか?」
すると、観念したのか、ずっと背を向けていた女性がくるりと振り向いた。
尖った耳と金色の瞳、そして額から伸びた一本の角が特徴的な、なかなかの美女だ。神秘的な雰囲気を漂わせている。年は20歳半ばほどであろう。
薄い緑色の長い髪はまるで絹糸のような繊細さで、微風に揺れて僅かになびく。
彼女は凛とした顔つきで、
「…冗談じゃないわ。これはあなた達が手にして良いシロモノじゃないの。
…どきなさい!」
◆◇◆
「いっただっきま~す!」
満面の笑顔で、テーブルに置かれたスパゲティをほうばる青年。
水色の髪と耳の代わりに生えている羽が印象的な、20歳前後の青年である。おそらく、鳥の亜人であろう。
彼の顔つきからは何処となく楽天的な、明快な印象を受ける。
「それじゃあボクも食べようっと」
青年と向かい合うように座り、一人の少年がリゾットをつついている。
青年と同じ色の髪と羽を持ち、顔つきもどことなく青年と似ている。しかし、彼はおっとりした顔つきをしているが。年は、16、7歳であろう。
ここはとある街にある食堂である。二人はここで、少し遅い昼食をとっている。
そんななごやかな雰囲気な流れている中、それは不意に起こった。
バァン!!
乱暴にドアが開かれ、そこから数人の軍人が雪崩れ込むような形で室内に飛び込んできた。
「我々軍では今、一人の女性を追っている。彼女の特徴は、翡翠色の髪に金色の瞳、そして耳が尖っていて額に角が生えている。早急に彼女の身柄を確保しなくてはならないため、もし彼女を見掛けたらすぐに我々に連絡するように」
…と、ひとしきり話すと、さっさと出ていってしまった。
「…何だ?あれ。にても、わざわざ軍人サマが出てくるって事は、よっぽどの事なんだろうなぁ」
「その女の人、何かとんでもない事しでかしたのかもね」
どうせ他人ごと、といった口振りでそんな会話をする2人。
先程の軍人の言葉などあっさりと頭の隅に追いやった2人は、すぐさま食事を再開する。
食事を全てたいらげた所で、少年が青年に話しかけた。
「ジスク兄さん、そろそろ出ようか」
片方が“兄さん”と呼ぶ辺り、どうやら2人は兄弟らしい。
ジスクと呼ばれた青年もまた満足そうに腹を摩っていたが、少年の言葉にふむ、と頷くと、
「おう、そうだな。んじゃリアム、会計よろしくな」
すると、リアムと呼ばれた少年は不満げな顔をする。
「何言ってるのさ。財布は兄さんが持ってるんじゃない」
「あれ?そーだっけ?え~っとどこやったっけか…」
リアムに言われて、しぶしぶ懐を探るジスク。
…が、荷物全部調べようとも、財布は見つからない。みるみる2人の顔色が悪くなってゆく。
「…悪ぃ。無くしたっぽい。」
あっけらかんとそう言うジスクに対し、リアムは目の前が真っ暗になるのを感じた。
「なっ…!?どっ、どーするのさ!?」
「どーするったって…まっ、何とかなるだろ」
「何とかなる訳ないでしょ!だいたい、兄さんが悪いんだからね!」
その言葉に、ジスクは眉をつり上げた。
元はと言えば財布を無くしたジスクが悪いのであるが、その辺りの事はすっかり頭から抜け落ちてしまったようだ。
「何だよ、全部オレが悪いってのかよ!?」
「何その言い方?逆ギレ!?」
何時の間にか雲行きが怪しくなってゆく。
どうやら、兄弟喧嘩へと発展している模様。
「だいたい、お金が無いんじゃ、店から出られないじゃない」
「んな事言ったって、無いもんはしょーがねーだろ」
ある意味開き直りとも言える言葉に、リアムが反論しようと思った時だった。
「お客さん…お金がないってどういうことですかな?」
どこから現れたのか、食堂の主人がこめかみをピクピクさせながら、そう話しかけた。
思わず目を見合わせる2人。明らかに不味い状況である。
食事を平らげてしまった時点で代金を支払わざるを得ないのは至極当然の事であり、しかしながら今の2人に代金を支払うという選択肢は残されていなかった。
ならば、どうするべきか。2人の脳裏に浮かんだのは一つの結論であった。
2人は主人には分からないようにアイコンタクトをし、そして――…
その場から脱兎の如く駆け出して行ってしまった。
「くっ、食い逃げだ~っ!!」
主人の叫び声が、空しく響き渡るばかりであった。