Act02:見えない世界
「……可能ではあります」
「はっ、可能、かよ。そりゃ一体何パーセントの可能性だ? 小数点以下の確立なんて聞きたくねぇぜ、この――」
「筧くん!」
日塔目の声に筧は言葉を切った。気だるそうに立ち尽くし、前髪でその表情は隠れている。だがセシリアは向けられる視線に明確な敵意を感じていた。これくらいは覚悟していたが、それでも。
「ごめんね、セシリアちゃん。筧くんも気が立ってるだけだと思うから……」
「いえ……当然のことです」
「……帰る可能性は、あるんだよね?」
躊躇いがちに、日塔目も静かに問う。跪いたセシリアと目線を合わせるようにしゃがみこみ、冷え切った手を握り締めた。暖かい手。
「この召喚は、世界を統べる始まりの神の御力を下ろして行ったものです。だからこそ、もう一度その御力を借りることが出来れば、帰還も」
「その、力を借りるって言うのは難しいの?」
「難しい、というか、神の御力を下ろすには適正が必要となります。今回の召喚ではわたくしを中心として何人もの適正者が同時に御力を下ろして、やっと召喚が成功しました。そして、帰還の儀式を行うにはそれ以上の力を集めなければなりませんが、……わたくしを含め、皆疲弊しています」
「あー、出来る人が少ない上に全員スタミナ切れかぁ……回復すれば問題ない?」
「おそらくは。これほど大規模な儀式を連続して行った前例がないので、どれほどかかるかは分かりません。その上、今は世界が不安定なため、元の世界に上手くお返しできるかどうか……」
「要するに、魔神とやらを倒さなきゃ帰れねぇって訳だ。随分と分かりやすくて反吐が出るね」
「……筧くん、ほんっとにもー」
呆れたように、日塔目はため息をついた。いちいち突っかかる筧に半目を向け、どうかと思う、とアピールしている。セシリアからすれば筧の対応は当然のことだ、親身に話を聞く日塔目が善人過ぎるだけだろう。
「まぁ、なんとなくの事情は分かったけども。うーん、バトル路線かぁ。わたしはそういうの向いてないんだけどなー」
「ね、ねこりさんは私が守るよ、がんばるよ……っ」
「おいおい西崎さん、日塔目さん以上に病弱で裏方的なおれは助けちゃくれないのかい?」
「……なんで私が筧を助けるの?」
「すげぇ不思議そうに聞き返された!?」
わいわいと楽しそうに――現状を認識していないかのように会話する。だが冷静な対応からして、しっかりと把握しているはずだ。故郷から引き離され、戦いを強要されているのだと。それなのに何故、こんなにも落ち着いているのか。
過去の文献では、異世界の勇者の多くは平和な世界で生きてきた者たちだった。今回の召喚では運よく、戦いに慣れた者たちが召喚されたと言うのか。しかし彼らの発言も立ち振る舞いも、とても戦場を知るとは思えないものだ。
セシリアは困惑のままに彼らを見つめていた。だから続いた筧の言葉を、理解できなかった。
「さしあたって聞きたいことも聞いたし、まあ、もうそろそろいいだろう。お前の出番だぜ――定規」
「……え」
セシリアは、己を疑った。
召喚された存在は4人だった。それを確かにセシリアも、他の術者も見ていた。複数の勇者の召喚に、なんて運がいいのだろうと思った。それなのに。
たかが発言していなかった程度で。
名乗らず、主張をしていなかった程度で。
目の前にいたはずの少年の姿が、認識できていなかった、など。
「どう思う? おれたちの中じゃ、お前が一番の戦闘タイプだろ」
「インドアなお前らと比べるなよ、俺は普通だよ。っていうか、おい、めちゃくちゃ空気凍ってんだけど」
「主に鳶織くんの所為かな」
「お前らが目配せするから黙ってたのに俺の所為かよ!」
「ん、ねこりさんに賛成」
「西崎まで!?」
ただただ普通に、会話は続く。先ほどまでと同じ温度で、同じテンポで、何も変わらないかのように。まるで気づいていなかったセシリアたちの方が異常だとでも言わんばかりに。
鳶織はその視線に居心地悪そうに視線を泳がせた。泳がせた末に思いつかなかったのか、おい、と肘で隣に立つ筧を小突く。
「なんだよこの空気。なんとかしろよ」
「やれやれ仕方ないなぁ、自分が原因だって言うのに」
「確かに原因は俺だけど、元凶はお前だよな!?」
ふぅ……、とわざとらしく肩をすくめる筧に、鳶織が勢いよく平手で突っ込む。よどみないテンポには慣れがうかがえた。
「くは、セシリアだっけ、すっげぇぽかんとしてるぜ。それじゃなんか聞きたいことある?」
「そちらの、方は……」
「鳶織定規、おれの親友。もちろん、ずっとここにいたぜ」
にやにやと、嫌らしい笑顔。先ほどまでの不機嫌そうな雰囲気は霧散し、どこまでも愉快そうに口元をゆがめている。
「カケー様らは、その、なんらかの術を修められているのですか」
「生憎と、そんなファンタジーな代物じゃないさ。まぁ科学かオカルトの二択なら科学、って感じかな?」
「は?」
「いやこっちの話。まぁ、詳しくは割愛させてくれよ。これはおれたちの切り札その1なんだから」
おれたちの切り札。その言葉が示す意味は。
筧はにやりと意地悪そうに唇を吊り上げ。鳶織は呆れたように眺めながら。日塔目はにっこりと優しそうな笑みを浮かべて。西崎は無気力に佇んで。
「おれたち、全員、あんたたちを信用なんてしてないんだからさ?」
「俺の力を見せた……いやこの場合、見えなかったって言うかもしれないけど、それは俺たちなりの誠意だよ」
「あなたたちのことを一応は受け入れるよ? この世界のことを何も分からないままで放り出されても困るから」
「でも、盲目に信用したりはしない、できない。その辺りが限界」
矢継ぎ早に、言葉を重ねるように。4人はそろって不信を明言した。
慈愛に満ちた笑みで話を聞いていた日塔目ですら、変わらない笑顔で裏切りのような言葉を吐く。否、慈愛などそこにはなく、ただの作り笑顔だったのだと今なら分かるが。
息を吐くように嘘を吐き。努めて冷静に対処し。互いに以心伝心の目配せし。
異常事態を日常の延長のように。まるで変わらない、平凡な日々の一部のように。
「あなたたちは、一体、何者なのですか……?」
呆然と、半ば無意識にセシリアは問いかけた。目の前にある生き物が理解できない。想定していた、想像していた勇者とはかけ離れた存在。
「高良賀特校高等部、演劇部2年生」
代表するように、筧はニヒルな笑みを浮かべて言った。
「つまりはまぁ、ごくごく普通の高校生さ。あえて言うなら、そう、いわば――
異能力者、ってところかな?」