Act01:異世界で大事なこと
「ぁああ……?」
くしゃり、と髪を掻き、眼鏡をかけた少年が寝起きのような声を出した。徹夜明けの朝のまどろみを邪魔されたような、非常に不機嫌そうな濁った声だ。前髪と眼鏡で顔が半分以上隠れているが、それでも機嫌が悪いと一目――一声で分かる。
「これ、てめ……日塔目さん、捕ってった?」
「んー、ナイス判断だと思うけど?」
何か文句ある、と唇に指を当てて、日塔目と呼ばれた少女が可愛らしく首をかしげる。長い黒髪を緩くうなじで束ねた、素朴な可愛らしさを感じる少女。していることはわざとらしい仕草だが、不思議と鼻につくことのない無邪気さが感じられる。
くはは、うふふ、と二人の間で乾いた笑顔が交わされた。
「文句はねーけどもすっげぇ不快だよ、ありがとうこの糞アマ」
「あっはー、お礼なんていいんだよ、当然のことをしたまでだものこの糞貧弱」
笑顔のままだった。
「えっと……筧、ねこりさん、その人ほっといていいの?」
そっと、気の弱そうな声で一歩後ろにいた少女が声をかける。立ち位置通りの控えめな印象で、抑揚の弱い口調がそれを後押ししている。困ったようにセシリアを見て、落ち着きなく視線をさまよわせた。
少女の言葉に筧と日塔目は同時にセシリアに目をやり、顔を見合わせた。シンクロしたその動きは、先ほどまでの険悪なやりとりはなんだったのかと思わせる。くは、うふ、と非常に楽しそうだ。
「あーらまぁ奥さん、テンプレじゃね?」
「うふふ奥さん、前略魔王中略勇者召喚以下略、みたいな?」
「うっわ中身ねぇー」
「二人とも、スルーするなぁ……」
「くは、いいじゃん、西崎さんもそう思うだろ?」
むぅ、と息をつく少女、西崎は筧の言葉に黙って視線を逸らした。一応声をかけはしたものの、セシリアに対して興味はないようだ。それよりも日塔目の方がよほど気になるらしく、ちらちらと心配そうに視線をやっている。
「まぁあんまり無視しても悪いし聞いとこっか。おいお嬢さん、責任者は君でいいのかい?」
「あ、は、はい、わたくしがこの召喚を行いました神子、セシリア・エリクジールと申します」
不意に話を向けられ言葉に詰まるが、セシリアはゆっくりと頭を下げた。筧はふぅんと肩をすくめてちょっと頭を下げて見せる。
「あぁこれはどうもご丁寧に。俺は筧、こっちのうるさいのが日塔目さんで、静かなのが西崎さんね」
「うるさいって何さー、否定はしないけど。あ、セシリアちゃんよろしくー、わたしは日塔目ねこりっていうの」
ぴょいと一歩を踏み出してセシリアの手を取りぶんぶん振る。日塔目の暖かい手にセシリアは目を白黒させるが、なんとか笑みを顔に浮かべた。
「あっちはわたしの親友、西崎三味ね。ほら三味、アイサツ!」
「う、私はいい……」
ぷるぷると小さく首を振る西崎。日塔目とは違い人見知りしているようだ。セシリアはそっと日塔目から手を放し、召喚された彼らを見た。調子を崩されてしまったが、改めてここからが本題だ。
「どうか、お願いいたします」
深く、深く頭を下げて。視線が集中しているのを痛いほど感じる。責任の重さに喉が潰れそうだが、声を絞り出す。
「この世界を、お救いください。もう我々にはあなた方しかいないのです。……異世界の勇者様、魔の者を打ち滅ぼし、どうか……この世界をお救いください」
細く小さく震える声で、セシリアは救済を願った。この交渉とも呼べない懇願が拒否されれば、この身に待つのは破滅しかない。緊張で、一瞬の沈黙すら永劫と感じる。
「……はー、なんだか面倒な話だな。日塔目さん、パス」
「もー、筧くんってホントに薄情だね。そこがダメだなっ、セシリアちゃんかわいそうとか思わない? ねー、三味」
「え、あ、さぁ。別に」
「三味って割と薄情だよね、でもそこもいいと思うなっ」
「おれと西崎さんに違いあった!?」
手の平返しもはなはだしかった。
筧の抗議も無視して、日塔目は笑顔でセシリアに振り向いた。春の日差しのような暖かさを感じる笑みが、力強くセシリアの視界で輝く。きらきらと、光が舞い散って見えるようだ。
「あなたの話、聞かせて? わたしにできること、したいから」
その声は、ひどく胸に沁みた。
セシリアは声に促されたように――縋るように、言葉をこぼしていた。世界は侵略されている。強大な力を持つ魔王が複数現れて、魔物を各地に放ち暴れさせている。魔王らは彼らが崇拝する魔神に、この世界を捧げようとしているらしいのだ。
そして、この世界の人間では魔王を消滅させることは出来ない。
「口惜しいですが、この世界の人間では神の御印を滅することはできません。何度も挑みましたが、魔王を倒してもすぐに別の魔王が復活してしまうのです」
「それで異世界の人間、かぁ。前にもそういう人は居たの?」
「神殿に古くから伝わる記録によれば、過去に何度も勇者召喚は行われていたようです。皆様の召喚も、その術式を使い行うことができました」
「はん、そうかい。歴史的他力本願だな」
「筧くん、言いすぎだよ、もう」
日塔目は頬を膨らませて筧をじろりと睨みつけた。筧はわざとらしく首をすくめ、飄々と軽口を叩く。
「おれ、人助けとかすっげぇ嫌いだし。善行すると死ぬ系男子だからパス」
「初めて聞くよその分類……、三味はどう?」
「ねこりさんが助けるなら、協力するけど。あんまり興味ない」
「わたしの友達は本当に薄情な人が多いなあ……」
「っていうかさぁ、もっと大事なことあんじゃん。日塔目さんも分かってるだろ?」
筧の言葉に、日塔目は口元に笑みを浮かべたまま目を伏せた。応えはない。分かりきった話だからだ。セシリアも覚悟していた問いかけだ。
かくして、筧は笑みを浮かべて、ガラス越しに目を細めて、怒気を含めて言い放った。
「それで……、おれたちは帰れるのかい?」
14.6.18 設定変更に伴い、一部書き換え。