前編
「手紙……ねぇ」
金曜日。花金、なんて言葉が昔はあったらしいけれど、それもこの不景気ではパッとしない。
そもそも、土日綺麗に休める仕事なんて、そうそう運がよくなきゃつけやしない。
今日も一日、本屋での仕事を終えて、帰り着いたひとり暮らしの狭いアパート。
疲れ切って倒れ込みたくなる体を叱咤して、玄関の扉についた郵便受けから、請求書だとかチラシだとか、みるだけでげんなりしてしまうものたちをとりだす。
不要なものはさっさと捨てておかないと、後で、って思うと、溜め込んでしまうのだ。
いつもの請求書に、ピザ屋のチラシ。
そういったものにまじって、一通、シンプルな薄青の封筒が目に入った。
表書きには、几帳面な文字で、このアパートの住所と、私の名前。
このネットと携帯全盛期のご時世に、手紙が届くとは珍しい。保険会社のお姉さんかなにかからだろうかと、裏返してみて、驚いた。
「……先輩、だ」
柏田充。高校時代の先輩で、ほのかに憧れた人で――破天荒すぎて、色々と周囲を振り回す人だった。
一気に思い出が蘇る。懐かしい、苦い、暖かい、せつない、そんな思い出。
思わず浮かぶ苦笑をそのままに、アパートの中へ、不要な郵便物はごみばこへぽい、そして手紙は、とりあえずあとで読もう、と、パソコンデスクに置いておく。
「まずは、ご飯、とー、お風呂」
時間はすでに23時。さっさと食事を済ませて入浴して寝なければ。明日も仕事だ。
ご飯は炊いてある。おかずも冷凍してあるから、暖めればいい。
そうして私は、日常に追われ、手紙を忘れた。――手紙を読むのを、忘れて、いた。
本屋の仕事は、体力勝負だ。
大学時代にアルバイトで入り、そのまま居付き、推薦されて社員――とはいっても、外商なんかの正社員の人達とは待遇が違うのだけれど――になって、早5年。そろそろ30が目の前に見え始め、ひとり暮らしの女ひとり、彼氏もいないのはどうなのか、なんて思いながらも仕事に忙殺される日々。
本を発注して、入荷した本に付録をつけたりカバーしたり。それから陳列に、備品チェック、注文チェック。
あれやこれやと、長く仕事をしてると出来ることが増える分、頼まれることも多くて仕事は多い。
もちろん接客もあるし――クレームも、ある。
うん、欲しい本がないと、いらっとくるのも、解るよ。注文すると1週間とか、またなきゃだものね。ネット通販ならすぐなのに。うちは系列店があるから、そこに在庫があれば早いけれど、そうじゃないときは版元注文だし、ものによっては入荷しなかったりするもんね。文句のひとつもいいたくなるのは、わかるよ、わかるけど。
――欲しかった本が絶版になってたのは、私のせいじゃないんだけどなぁ……。
内心げんなりとしながらも、怒鳴りつけてくる壮年の男性にひたすら頭を下げる。
内容は、もうすでにほぼ言いがかりの域に達してるけれど、ひたすら頭を下げるしかない。もう少ししたらきっと、男性は落ち着く。それが解ってるから、他の店員たちも、気の毒そうにこちらをみながらも、特に声をかけてくるわけじゃない。
ひたすらに頭を下げながら、ああ、勤めた期間が長いと、こういうときに交代してくれる人がいないっていうのは、結構きついなぁ、と、すでに私は、交代する側の人間なんだなぁと、しみじみ思っていた。
やっとクレーム処理を終えて、やれやれとレジに戻ると、「おつかれさまです」と若い男性バイトがいたわるように声掛けてくれた。
「ありがと」と応えて仕事をしていると、もうひとりレジにいた、若い女のこのバイトさん――本屋のバイトに何故きたの? といいたくなるくらい、本の知識はないし、わからないからと丸投げするし、品だしもいやがるし、ああ、愚痴っぽくなる――が、いやな笑いを浮かべて、上目遣いにこちらをみていた。
「もとかわさんってー、クレームおおいですよねー、やっぱり、ひとりが長い女性だとー、どこかまずいところがー、お客さんにわかるんですかねー」
軽い口調で、ひどいこというなこの女。いかにも悪気ありませんよ、という口調が腹がたつ。
「りっちゃん、ちょっとそれどうかと思う」
さすがに眉をしかめて男性バイトがいえば、へにゃりと眉を下げて、もうしわけなさそうな風情で、目を潤ませた。
「え、ごめんなさいー、りつ、別にもとかわさんを不快にさせたかったわけじゃないんですー。ゆるしてくださいー」
「気にしてないから。さ、仕事仕事」
気にしてられないし、面倒くさいし。そもそも私がクレーム処理多くなる原因のひとつ、君だし。
色々思う所はあれど、とにかく、仕事はまってはくれないのだ。やれやれと溜息をついて、伝票のチェックを始めた。
別に、仕事が嫌いなわけじゃない。どちらかといえば、好きだし。本に囲まれてるし。
けれど、この仕事、結構時間が不規則。朝から夕方までと、昼前から夜までの2シフトのはずなんだけど、朝から夜までとかざらだし、昼前からのはずがバイトが急遽休んで朝からとかざらだし。
別に、かわりにでるのも、残業だって、構わない。ちゃんと残業代出るし。かまわないんだけど――なんだろう、やっぱり、長いこと男がいないのがわるいのか、枯れてるせいか、どうにもこうにもすっきりしない。
いっそ、いきなり仕事をやすんでぱーっとどこかにいってしまいたい、なんて、おもわないわけじゃないけれど、無責任な真似なんてできなくって、思うだけで終わるのがせいぜい。長期の休みなんて、めったなことじゃ取れないし、まぁ、このままだらだらと、続くのかなぁ、と、思ってた。
珍しく明日は休み、という前日、仕事が珍しく早めにあがれたので、買い物を済ませて自宅に戻る。
さくっと晩御飯を作ると、狭いベランダにテーブルとイスを出して、空を見上げながらご飯にする。
――ささやかな、自分への癒しタイム。
休日の前だけ、これをする。かるめのアルコール、今は紅茶味にはまってる、と、小さなケーキもつけて、あまり多くはないけれど確かに見える星空をながめながら、摘みやすいように作った晩御飯を摘み、のんびりと過ごす。
リセットする感覚。
疲れを全部、ぜぇぇぇんぶ、空に投げ捨てる感覚。
ふと、そういえば、手紙がきてたなぁと、思いだす。
高校時代の先輩。
破天荒、といえば聞こえがいいが、ほんとに変な人だった。
成績がわるかったわけでもなければ、不良という風貌でもない。
けれど、急に長期欠席したと思ったら、徒歩で旅行にでていた、とか。結局九州を一周してきたというのだから、とんでもない。
よく単位が足りたものだと思うけれど、あの当時のことだし私立だし、成績がよかったこともあって大人の事情が発動したのかもしれない。
学校にいるときは図書館によく居座って、本を読み倒していた先輩。
司書室の隣の書庫を巣にして、結構人気の彼の元には、いろんな人が集まっていた。
どの人もどの人も、どこか変わった人ばかりで、そういうと「君も同類」なんて笑ってた。
ハンサムだったわけじゃない。
スポーツ万能でスタイルがいい、とかだったわけじゃない。
ただ、普通じゃないことをさらりとやってしまう人で、その上、博識だったから。
眼鏡の向こうにみえるその目が、じっとこちらをみながら「もとかわさん、それはね、」なんて説明して貰っていると、妙にどぎまぎしたものだ。
淡い思い。恋だったのかもしれない、そんな、感情。
このアパートに引っ越したのは大学入学の時で、住所をあの図書館でつるんでた女の先輩方にはお知らせしたから、そこから知ったのかもしれない。
しかし、手紙。手紙、ねぇ。
彼らしい、といえばいいのか。わざわざ手紙を書いて送ってくるとは、何があったのやら。
風の噂で大学卒業後起業したとか、いや、青年海外協力隊で元気にやってるとか、自衛隊にいったらしいとか、本当に色々な噂がながれてきて、実際はどうなのよ、というわけのわからない人ではあるのだけれど、わざわざ、私に、手紙、ねぇ……。
親しかったといえば、親しかったと思う。
後輩として、可愛がって貰ってたとは思う。
もしかして、と、思わなくもないけれど、自意識過剰な気もするし。それに、そう、10年は軽くあっていないのだから、惚れたはれたの内容ではないだろう。
さてはて、なんだろう。
ということで、考えても仕方がないと、手紙を読んでみることにした。
薄青の、シンプルな封筒。
かちりと几帳面な――破天荒なくせに几帳面だったんだよな、あの人――文字が並ぶそれを、封をきって手紙をとりだす。
中から出てきたのは、一葉の絵はがき。どこかの風景写真。暗い夜の、少し形の変わった山の影。――そして、星空。
思わずじっと見入ったあと、ひょいと裏返してみると、文字がかいてあるのがみえる。
「……っ、はは」
思わず笑いが漏れる。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ! わざわざ、久しぶりに、後輩に届けた手紙の内容が、これ?
相変わらずの彼の変わってない様に、そして、メールで済むだろうその短さに、笑いが漏れた。