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銀杏の下で君を待つ

作者: 桂まゆ

 彼女は、いかれている。天才とナントカは紙一重だと言うが、彼女はきっとナントカの方だろう。と、いうのが「ドクター・ヤシマ」に対するもっぱらの評価だった。

 要するに、かなりの変人だということだろう。

 そんなドクター・ヤシマの招きに応じ、僕が研究者として彼女のラボを訪れたのは、西暦二一八六年の初春の事だった。

 かく言う僕は十七歳で大学の全ての課程を終え――今の時代、飛び級は当たり前の事だ――前途洋々。そこにまがりなりにも「天才」とうたわれたドクターからのお招きである。返事はもちろん「イエス」だ。

 僕にそれを告げた進路指導が「魔女に魂を抜かれないように、気をつけたまえ」とジョークを飛ばすのにも「いまどき、魔女とはナンセンスですよ」と笑って答えた。

 だが、その後で僕の事を心配する友人たちが、様々な噂を教えてくれた。

 曰く、ヤシマラボに招かれて、無事で帰って来た者はいないとか。

 曰く、ある者は一年で百歳も年をとったかのような姿で病院に送られたとか。

 曰く、ドクター・ヤシマは……(以下略)。

 どれもこれも、悪意に満ちたでまかせだ。あいにく、僕はそんなありえない超常現象より人の噂の方がよほど怖い事を知っている。

 それでも、大都会であるニュートーキョーシティ近郊にあるラボは、航空写真で見てもそこだけ色が違っていた。白亜の建物が整然と並ぶ中に、そこだけ闇が集まっているかのように見えた。だから、まさかとは思っていたが――実際にそこを訪れると、道沿いに続く雑木林には樹齢百年は遙かに超えようという樹木が生い茂っており、昼だというのに鬱蒼と暗い。

 百年ほどで、地球は――中でも先進国と呼ばれる国々はかなり様変わりをしていた。「貧困のない世界を」と「清潔な生活環境を」を全世界に広げる第一歩として、巨大な都市を作り上げていったのだ。

 日本はその中心に「ニュートーキョーシティ」と呼ばれるメトロポリスを建造した。合理性を重視した「都市」を先ず造り、無駄を撤廃する事によって浮いて来た予算を地方の自治に当てる。先ず都会あって地方ありという考え方だ。勿論、人口はそこに集中する。おかげで、ニュートーキョーシティは確実に巨大化して行った。

 その一角に、開発を免れた場所があった。何故開発されなかったのかというと、どうにもばかげた理由なので、割愛する。だが、その一角こそヤシマラボのある場所だった。

 雑木林の脇をおっかなびっくり歩いていると、べたべたする何かが顔に張り付いた。あわてて剥がして、指にからみつくそれをしげしげと眺める。多分、あれだ。

 今の時代のこの国で、道を歩いているだけで「蜘蛛の巣」にひっかかったのは、きっと僕ぐらいのものだろう。

 いつまでもべたべたする糸と格闘しながら道を進んで行くと、まるで大昔の映画に出てくるような「怪しい研究所」然とした二階建ての建物が現れた。

 それが、これから僕が生活をする場所だった。

 錆びた門戸に手を触れると、それは自動で開いて僕を招き入れる。

「いらっしゃいませ」

 扉も自動で開き、執事の姿をしたロボットが僕を迎え入れた。レトロな外観を保ったまま、ちゃんと「近代化」は進んでいるらしい。

「博士、マキタ様をご案内致しました」

「ご苦労さん。下がって良いよ」

 執事ロボットに連れられた質素な部屋で、思ったより、ずっと若い女の声に迎え入れられる。

「君が、タクヤ・マキタか。私はこのラボの責任者、ハルカ・ヤシマ。待っていたよ」

 そう言って、右手を差し出した女の顔をみて、ぎょっとする。

 それは、先刻の紳士ロボットより遙かに機械的なものだったから。

 小柄な体躯を持つ、女。だが顔の半分を覆うのは、ばかでかいヘルメット状のマスク。配線も何もかも、剥き出しのままだ。見えるのは整った口元だけで、そこから何とか全容を想像しようとしてみたが、とても無理だ。

「最近の若い者は、挨拶もまともに出来ないのか?」

 それが、不機嫌に告げる。

「え?」

「え? じゃない。握手を求められたら、手を取る。名乗られたら、自分も名乗る。それが、社会人の常識」

「す、すみません」

 僕は慌ててドクター・ヤシマの手を取った。

 外見こそはアレだが、ドクターの言うことは正しい。いかれたマッドサイエンティストを想像していた僕は、「噂ほどではない」と少しがっかりしたりもした。

 だが、ヤシマは「本物」だった。

「タクヤ・マキタです。宜しくお願いします。ドクター」

 僕の手が、ぐっと握り返される。女とは思えない握力だ。かなり痛い。

「ようこそ、タクヤ。我がパワーの源、墜ちた楽園、不死の帝国、失われた原始の王国へ」

「はい?」

 今の例えは、何だ? このラボは、やはり変な研究施設なのか?

「ところで、タクヤ。君はシックスセンスをどう受け取る?」

「え? 何故……」

 いきなりの攻撃に、僕はうっかりポカをするところだった。「見えないものは、そこにないものである」「ないのに見えると思うのは、ただの気のせいである」。昔から事あるごとに自分に言い聞かせて来た標語を頭の中で繰り返す。よし。

「シックスセンスとは、五感を補うものとして、五十年ほど前から開発されています。だが、全ての障がい者に適応するわけではなく……」

 機械的に、「シックスセンス」に似た感覚を植え付ける。確かドクター・ヤシマも、この研究には携わっていた筈だ。

「目や耳が不自由な者にテレパシー能力を持って補わせる――そんなものは、医療の現場に任せておけばよろしい」

「では、こちらではそのような研究をしているわけではない、と」

 だったら、何の研究をしているのだろう。まさか、人体実験?

「解らないのか? タクヤ。この地に漲るパワーが。私には解る。大地に足をつけているだけで高揚する、この原始のパワーが君には解らないのか?」

 力強く語りかける、ドクター。ちょっと、身の危険を感じてしまった。

「本来、人類には他の生き物にない特権を与えられていたのだ。それは何か?」

「言葉、ですか?」

 一歩、引きながら答える。

「甘いな」

 ドクターは、難なく僕に二歩近づいた。つまり、先刻よりも一歩分迫って来たのだ。

「年がら年中繁殖期という、生きるパワーだ」

 ひぃぃと、心の中で叫ぶ。おとーさん、おかーさん。助けて下さい。実は、僕はまだ童貞なんです。こんなところで年増の慰みものになるのだけは……。

「だが、このパワーを感じる事が出来る人間が徐々に消えて行った。悲しむべき事だ」

 後ろをちらっと確認する。扉まで後……十歩はある。一気に駆けだしたらどうだろう。敵は、肉食獣だ。きっと追いつかれる。

「あんた、ケダモノですか?」

 だから、とりあえず二歩下がってみる。

「ケダモノ、大いに結構! 整備された中でしか生きられない弱者となりはてた人間は、何と嘆かわしいことか。そのうち、生殖本能すら退化するかもしれない。その前に、私は手を打つのだ!」

 また、距離をつめられた。

「ドクター! レイプは犯罪ですよ!」

「何の話をしておるか!」

 後頭部を、思いっきりひっぱたかれた。目頭に涙がにじむ。

「小便くさい小僧に欲情するほど、不自由はしとらん!」

 ちょっと、傷ついたかも。いや、く、悔しくなんかないやい!

「いいか、タクヤ。君がここに来たのは、君でしか為し得ない事があるからなのだ。先ずは、この星のパワーを自ら感じ取り、そして受け止めろ」

「そ、それが僕の仕事なんですか?」

 想像図――ケダモノの王国。

「だから、その構図から離れろ!」

 何故、僕の想像が解ったのだろう。

「ふふふ、驚くな。このマスクこそ私の研究の一大成果、これをつけている私は、無敵なのだ」

 腰に両手を当てがい、胸をはってがははと笑う、ドクター・ヤシマ。その姿に、順調に進んで来た人生が崩壊する音を聞いたような気がした。

 やはり、ドクター・ヤシマはいかれている。このままここに居たら、僕は本当に魂のひとつやふたつ、喰われてしまうかもしれない。

「さて、君の仕事だが」

 と、ドクターが言った。だが、ぼんやりと自分の未来を憂いていた僕は、その言葉をうっかり聞き逃してしまい。

「最近の若いもんは、人の話も聞けんのか!」

 と、再びドクターの一喝を浴びる事になった。



 前途多難。

 夕食もそこそこに、あてがわれた部屋に籠もり、僕は大きな溜息をついた。

 僕がこのラボでするべきこと。それは、このラボに隣接する荒れ地を「公園」にするというものだった。

 下見をしてみたが、ばかでっかい木が一本立っているだけの荒れ地だ。しかも、荒れ放題。それを、この僕ひとりの力で「公園」にしろと言いやがったのだ。あのくそばばあは。

(ゆったりとした空間と、自然との調和美を持った場所。そんな場所を、与えてあげるのが君の仕事だ)

 と、彼女は言った。

 なんで僕が、そんな肉体労働をしなければならないのかと言うと、笑って。

 「決まっている。そこで君を待つものがいるからだ」とか、訳のわからない事をぬかしやがった。

 思った以上に、ドクター・ヤシマはくせ者だ。もしかしたら、人間ですらないのかも知れない。魂を奪われる前に、逃げるか? どうせなら、早いほうが……。

 と、大脱走の計画を練る俺の枕元でブザーが鳴った。

「緊急招集、タクヤ。すぐに持ち場に戻りたまえ」

 ドクターの声が、告げる。

 そう。これも逃げ出したくなる理由のひとつ。

 この広い敷地にいる生きた人間は、僕とドクターの二人だけだという事実だった。



「なんですか? こんな夜中に」

「遅いぞ、タクヤ。ここは、君の管轄の筈だ。職務怠慢だぞ」

 そう言って、ドクターは僕がまかされた公園の一角を指さす。

 そこには、古木がそびえていた。樹齢――何百年ですらきかなそうな、大きな葉っぱを持つ大樹。さっき調べたので、「銀杏」だと知る。

 そして、その木の下に白い影が立っていた。

「侵入者?」

「ほう。やはり見えるのか。さすが私が見込んだだけの事はある。だが、よく見ろ。あれは人間か?」

「はい?」

「君の、シックスセンスに聞けと言っている」

 どきんとする。

 シックスセンスは今の時代ではいわゆる「見えないものを見る」能力と定義づけられている。ESPとの違いは……あちらはその現象を数値で表すことが出来るのに対して、こちらは眉毛に唾をつけるだけで十分だというわけだ。

 神が人間を見捨てたこの時代、天国などというものはない。魂は死と同時に消滅する。それが「見える」というのは、ナンセンスだというのが時代の流れだった。

 それに反論するのが今のなお地球に根強く残る宗教団体。「仏教で言うところの「マイトレイヤ」はまだ生まれていない。故に神が人を見捨てたというのは……」ばかばかしいから止めておく。

 見えないものが見えて得することはない。ただ、変人呼ばわりされるだけなのだ。だから、僕は自分を戒めるのだ。「見えると思っても、それは気のせいである」と。

 それでも、その白い影――よく見ると若い女だ――は、僕の目の前に居た。

 紺色のジャケットとチェックのスカート。インナーは白いシャツで、襟元に赤いリボン。

「西暦二〇〇〇年から二〇二〇年頃までの「SEIKAハイスクール」の制服だね」

 少女をしげしげと見つめ、ドクターが言う。

「何でそんな事が解るんですか?」

「校章と制服で。私のデータベースは完璧なのだ」

 こういう場合、何というべきだろうか。

 溺れるものは、藁をもつかむ、か?

「ドクター!」

「この場所の管理責任者は誰だったかなぁ」

 撃沈。

「じゃあ、行って来い」

 嫌なんですけど。解っていて、「幽霊」に話しかけるというのは。

 僕は必死で笑顔を作り、右手を挙げて彼女に近づく。

「やあ、レディ。ここで何をしているのかな?」

「不自然だろうが、タクヤ」

 後頭部に、ドクターの鉄拳が飛んだ。だったら自分でやってくれという僕の哀願は、黙殺される。

 しかし――。

「待っていいるんです」

 僕とドクターの予想を裏切って、彼女は答えた。僕の目を見て、はっきりと。

「待っているんです。約束が果たされる日を」

 その少女は、「徒野真理子」と名乗った。

 ――公園の、大銀杏の下で待つ。

 そんな約束をして、彼を待っていたのだと。

 ああぁぁぁぁ。そうですか。高校生の交際ですか。そういうの、ありましたっけねぇ。僕には、まったく縁のない世界でしたが。

「何をふてくされてるんだよ、タクヤ」

 ほっといてください。どうせ僕は勉強三昧でしたよ。そして掴んだ未来がこれですよ。

「待ち合わせの、大銀杏」

 と、銀杏を見上げて、少女が告げる。

「そこで彼を待っている時に、私は……」

 ありそうな展開を、僕は想像する。待ち合わせの時間に遅れて来た、男。だが、待っている筈の女はいない。何か事件にまきこまれ……。

「あやまって、踏んでしまって」

 踏んだ?

「でも、その時には気づかなくて」

 きゅっと唇を噛みしめる、真理子。何の話だ?

「彼が迎えが来たから、私、そのまま車に乗ってしまって。そうしたら彼、ものすごく怒って。銀杏の下で待っていてって言ったの、彼の方だったのに!」

「秋だったのか」

 と、ドクターが頷く。全然、話が見えてないんですけど?

「タクヤは知らないだろうけどねぇ。銀杏の果肉ってさ、それはそれは臭いんだよ。牛の糞みたいな匂いがするんだ」

 それは、牛の糞なんぞ見たことも、その匂いを嗅いだこともない僕には想像しにくい例えだった。が、嫌な匂いであることは確かのようだ。

「で?」

 頭が痛い。僕の想像よりも、展開はかなりシュールだったから。

 でも、密室でそんな匂いが充満したら、僕だって怒るかもしれない。

「絶交だって、彼が。車を降ろされて、慌てて追いかけたらさっき踏んだそれで、滑って転んで……」

 しくしくと、真理子は泣き出す。

「運が悪く、車道に倒れて……最悪」

 えらくまた、あっけなく逝ってしまったものだ。だが、それが一世紀半にも渡って彼女を迷わせていた理由なのか?

「そんなくだらん理由で成仏できなかったのか?」

「ひどい! くだらないなんて! それに、最後に聞いた言葉が『何をくっつけて来たんだ、この糞女。とっとと降りろ。お前とは絶交だ』だなんて。ひどすぎる!」

 少女の回りから青いオーラのようなものが立ち上る。

「はい、危険だから少し離れて」

 ドクターに言われ、一歩引く。ぱりぱりと放電している少女の肩に、一枚の葉が触れた。

 それは一瞬で炭化する。危険って! いや危険なんだが。命に関わる危険なら、もう少しちゃんと説明してもらわないと!

「そんだけのパワーがあるなら、とっとと成仏しろよ!」

 半分以上逃げ腰になりながらも、僕は叫んでいた。

「だって、出来ないんだもの」

 彼女も叫ぶ。また、放電が激しくなる。

「待つって、約束したんだもの」

「だから、その彼には振られたんだろう!」

「違うわ、彼が……」

 と、彼女が思いだしたように、銀杏の樹を見上げる。

 何か、思い出そうとしているかのように、じっとその幹を見つめている、真理子。

「今だ、タクヤ!」

 ドクターが叫んだ。

「シンクロ率、八十パーセントを超えた。今なら行けるぞ!」

 何が?

「だから、言っただろう。大地の力を感じ取れと!」

 言われて、もうひとつの感覚をとぎすませる。確かにパワーを感じる。その源は――銀杏。

「導きたまえ」

 ドクターの呟きと共に、世界が歪んだ。


 黄色く色づいた銀杏。そこに佇む青年。

「真理子」

 彼が、呟く。

 どうやら、あの亡霊と絶交宣言をした本人らしい。って、ここは何処だ?

 回りを見回すが、ドクターもあの女もいない。いや、居る。気配を感じる。

 見えないだけで、どこかに居る。

「帰って来いよ、約束しただろう? 銀杏の下で、ずっと待ってるって」

 銀杏の幹に拳を叩きつける、青年。

 そうか、彼は後悔していたのだ。自分の最後の台詞を。

「待っているから、ずっと待っているから。戻って来いよ、くそ女!」

 僕は――いや、僕の中にいる誰かが、男の元に向かう。多分、真理子だ。

 振り返ったその男の頬を、思いっきりひっぱたいた。

「誰が、くそ女よ! くそじゃなくて、銀杏の実だったのに!」

「お前?」

 頬を抑えた男が、僕を見る。いえ、僕じゃないんです。ごめんなさいと言いたいのに……僕の口は全然別の言葉を継げる。

「待ってるなんて、言わないでよ。このタイミングを逃したから、私、ずっと成仏できなかったのよ!」

「まさか、真理子?」

「生まれ変わって、また会おうね」

 そう言った僕の顔が、男に迫った。唇が軽く触れ合い――僕は、光につつまれた。


「おかえり」

 僕は、いつから意識を失っていたのだろう。目を開けると、どアップでドクターの顔があった。

 ひぃぃ! と、叫んで後じさる。

「あんた、失礼だね」

 ドクターは、あからさまにむっとしている。それは解る、が。

「だったら、そのマスク外してくださいよ。心臓に悪い」

「却下」

 一言で、切り捨てられた。

「それはそうと、上手く行ったようだね。さすが、私が見込んだだけの事はある」

「何をしたんですか?」

 回りを見回すが、真理子はいない。もちろん、あの男も。

 ドクターが得意げに頭に装着した機械を指さした。

「力は、そこにあるだけなら唯のエネルギーの集積に他ならない。それを有意義に使用する為に、この機械があるのだ。この場にある霊的エネルギーを収束し、時間軸をずらす。いわば、被験者の「その瞬間」を映像として映し出す事が出来るのだ。もっとも、被験者の「その瞬間」を知る何かがなければその一瞬を再現するのは不可能だし、再現した所で実際に行動できるほどの霊力を持つ者はごく稀だ」

「つまり?」

 と、自分を指さす僕に、ドクターは頷きやがった。

「あんたは、絶対に媒体になれると思っていたよ。タクヤ。こういう役は、小便くさ――いや、感受性が豊かな君のような子にしかできない」

 なるほど。酸いも甘いも噛み分けた年増女には無理だということか。僕が選ばれた理由は、何となく解った。

「この木は何百年も前からずっとここにあり、自分にまつわる全ての物事を記録している。いわば、巨大なデーターバンク。問題は、君とのシンクロ率だったが――実験は成功だ。強力ありがとう、タクヤ」

 ドクターの細くしなやかな指が、僕の手を握りしめる。

 って、勝手に感謝されても!

「男と、キスをしてしまった僕のこのハートブレイクはどうしてくれるんですか?」

「良いじゃないか、減るわけじゃなし」

「そういう問題じゃ!」

「仕方ないな。口直しでもするか?」

 僕は、ぷるぷると首を振る。この魔女とキスまでしたら、魂どころか内臓まで吸い上げられかねない。

 ともあれ、それで一件落着したと思っていた。次の日の夜までは。


 例によってドクターに呼び出された僕は、銀杏の木の回りに、いくつもの人影を見た。

 俺を見つけると、それらは救いを求めるように手を伸ばしてくる。さすがに、ぞっとした。

「タクヤ、危ないぞ」

 言われて、慌ててドクターの後ろに回る。

 ドクターを見て、亡霊たちはおびえたように退いた。さすが、魔女。

「ドクター、これは?」

「完全に寝た子を起こしたようだな」

 大きく溜息をつく、ドクター。

「大昔からここいらは霊場だった。場の力が強いからね」

「でも、今まではこんなことはなかったんですよね?」

「だから、寝た子を起こしたんだ。昨日の事件がきっかけで、亡者たちが活気づいた」

 嫌な予感がした。

 だから、あえて目を背けようとする僕の事など考えることもなく、ドクターは話を続ける。

「『銀杏の下で、待つ』。キーワードはそれだ。最初に約束を果たせずに命を落としたのは、誰だったのかは解らないし、今は居ないからどうでも良い。だが、その女は自分だけが不幸になるのは許せなかった。だから、この銀杏に呪いをかけたんだ。そうして、取り込まれる隙を持つ者は次々と不幸な目に会った」

 やっぱり、早めにとんずらしよう。

 そんな僕の気持ちを読み取ったかのように、ドクターが僕の右手を掴む。

「この銀杏は祀られ、誰も近づけなくなって――迷った者達は、長い眠りについていた。成仏するわけでもなく、この木に寄り添う形で、ずっとここにいた」

 「哀れだな。お前も」と、ドクターが銀杏の幹を撫でる。

「お前だって、悪気があったわけではないのにね。不幸の銀杏って呼ばれ続けて、痛い目もさせられて……」

 そうだった。ニュートーキョーシティが造られる折り、ここも勿論開発予定地に入っていたのだ。

 開発されなかった理由は、それこそ「呪いの大銀杏」というそのまんまの噂が流れたからだ。

 開発に邪魔なその木を切ろうとした者の足場が崩れて大怪我をしたことをきっかけに、現場管理者、開発担当者、ついには行政にまで被害が及ぶことになった。

 ここが、未開発なのはその為だ。

「恨みは恨みを呼ぶ。その循環を断ち切るにはどうすれば良いのか。学生の頃から私はずっと考えていたんだよ。そして、君が来た」

 はい?

「私の科学力と、君の霊力。そしてこの土地が持つパワー。それが揃えばきっと循環を断ち切る事が出来ると思わないか?」

「どうでしょうかねぇ」

 返事を曖昧に濁しながら、こっそり眉に唾をつけてみる。

 だめだ。やはりドクターはいかれている。とは思ってみるものの、勿論口には出せない。だから僕は別の質問をしてみた。

「ドクターも、誰かと約束したんですか?」

「そうかも知れないね」

 ドクターの顔は、見えない。だから彼女がどのような表情をしていたのかは、解らない。

 ただ、僕を見つめていた彼女の、形の良い唇がにっと笑った。

「どっちにしても、昔の事だよ」



 それからというもの、僕は昼間は公園作り。夜は集まった霊を地道に成仏に導くという事を続けていた。

 霊を成仏させるには数日かかることもあるし、疲れ果てて昼間の作業がはかどらないことも多い。

 だから何ヶ月経っても、どちらも成果が目に見えるとは言えない状態だった。

 ひとりの少女の霊に会ったのは、そんな秋の日だった。

 前日まで、毎日のように自殺しようとする亡霊と戦い――なんでも、失恋した相手に「銀杏の下で待っている」という書き置きを残し、首を吊った女だったらしい。だが、その相手が現れなかったので、彼女は何度も何度も同じ場所で首を吊るのだ。そう、約束が果たされる時まで。

 見える者の身にもなってほしい。だが、ドクターの協力でその霊もついに、彼の岸へ旅立って行った。

 今度の霊は、素直だと良いななどと想いながら、様子を伺う。

 月が、とても綺麗な夜だった。

「ごめんね」

 そう言って、少女はそっと銀杏の幹に触れる。

「いつも、あなたは血にまみれている。全ての苦しみを引き受けて。それなのに、ごめんね」

 これは、珍しい。この地に縛り付けられた霊が、その力の源である銀杏を思いやるなんて。

「だったら」

 と、少女に向けて言う。

 驚いたように振り返った少女は、心が痛くなるほどに綺麗な娘だった。こんなに綺麗な子が、どうして呪いに負けてしまったのだろう。

 愛憎なんか、知らないような透明な瞳がとても印象的だった。

「だったら、君も早く逝かないとね」

「逝く?」

 と、少女が首を小さく傾げる。

「私、死んでしまったの?」

 その姿はほかのどんな亡霊たちよりもはっきりとしている。でも、この木の下に居るということは、そういう事なのだろう。

「知らなかったから、成仏できなかったのかな?」

「解らない。でも、死んでしまったのなら……私にも出来る事があるのかしら」

 僕は、首を振る。

 「そんなものはないから、早く成仏してくれ」と、本当は言いたかったのだが。

「そうね」

 少女が告げ、そして笑った。花がほころんだような、笑顔だった。

「あなたが居てくれるなら、この木もきっと大丈夫」

 顔が紅潮しているのが、解る。こんな綺麗な子にそんな事を言われるなんて、たとえ相手が亡霊とはいえ、舞い上がりそうだ。

 そんな僕の前に、細く白い指が差し出された。何かと思っていたら、それはゆっくりと僕の頭上に向けられる。

「ぎんなん」

 言われて、僕もそこを見た。

 気がつかなかった。銀杏の木にはいくつもの青い実がみのっている。

「この木はね、全ての哀しみを受け止めて。哀しみの分だけ実をつけるの。私が、その哀しみのひとつになっちゃいけないよね」

 少女が、数歩前に出た。その少し向こうには川が流れている。この公園に川なんかあったかな?

 もしかしたら、時間軸を移動したのか? ドクターの力を借りずに? だったらもしかして、僕ってすごい?

「かの岸が見えて来た。じゃあ、行くね。ありがとう、優しいお兄さん」

「あ、君」

 「待って」と言おうとしたことに気づき、僕は慌てて言葉を飲み込む。

 振り返った少女に、出来るだけ優しい感じで笑って見せる。

「こちらこそ、ありがとう。良い旅を」

 頷いた少女が、困ったように笑う。

「それでも、もしもまた逝けなかったら……迎えてくれる?」

「その時は、意地悪でこわーいおばさんが送ってくれるよ」

 少女が小さく微笑むと、その姿は幻のように消えた。久し振りに、爽やかな去り際だった。

 僕は、いままでものすごい勘違いをしていたのかもしれない。この地に集う亡霊を、ずっと招かれざる客だと思っていた。いや、それは事実なのだが。

 良い旅を。

 自分の口から出たその言葉に、自分でも驚いている。

 だから、改めて思った。この地から去って行った霊たちへ。どうか、その旅が安らかでありますように、と。

 その後、彼女は二度と現れなかった。無事にあちらの岸に行く事が出来たのだろう。

 ドクターといえば、僕の話を聞いて「もうそんな季節か。熟すのが楽しみだな」と笑顔を見せた。

 死者の魂とか、銀杏の木の願いとか。そんなものはドクターには関係がないのかも知れない。

 ドクターが楽しみにしていた収穫の日から数日。ラボはとんでもない臭気に包まれることになったり。

 素手で触った僕の手が真っ赤にかぶれたり。

 それでも「秋の味覚だよ」と差し出されたエメラルドグリーンの実を噛むと、なんだか懐かしい味がした。

「ところで、タクヤ。公園の方は全然進展していないみたいだね」

「でも、ないですよ」

 熱々の実ををほおばりながら、僕も答える。

「なんとなくだけど、見えてきましたから」



 僕がその公園を完成させたのは一年後の――僕の十八年の人生の中で、とんでもなく長い一年だった気がするが――八月。

 半分は自然のままに。水が涸れていて、川かどうかも解らなかった場所を整備して、地下水を通した。川沿いに遊歩道を造り、季節の草花やオブジェを飾った。生い茂る木々の余分な枝は払い、風通しを良くしてやり、爽やかな風が通り抜ける場所にベンチを置いた。

 あえて言うなら、コンセプトは「いつか見た光景」。少女と出会ったあの月夜の光景を再現しつつ、自分が好きなようにアレンジをしてみた。

 遊具もなにもないが、落ち着ける場所になったと自分でも思っている。

「まぁ、合格かな。なんとか間に合ったね」

 出来映えを見に来たドクターが、満足そうに僕の頭を撫でる。

 暑い夏、汗水たらしながら遊歩道の整備をした甲斐があったというものだ。

「間に合ったって、何に?」

 ドクターの顔は、いつも機械の下に隠れて見えない。

 だが、一年も顔をつきあわせていると、その口元の表情や声で、彼女の感情の起伏が解るようになっていた。その時のドクターは、何故かほっとしたようにも、それでいてどこか不安そうにも見えた。

「もうすぐお盆だよ。このチャンスは一年に一度しかない。さっさとお迎えの準備に取りかかろう」

 それは、とても意外な言葉だった。

 「お盆」という風習は、今でも地方では残っている。だから、僕も知っていた。

 それは、「亡くなった人をお迎えする儀式」だ。

「せっかく、成仏させたものをまた迎えるんですか?」

「私は、考えがあってやってるんだ。文句を言うな」

 へいへいと呟きながら、首をかしげる。ドクターが、このような専制君主的な事を言い出す機会はかなり減っていた。僕が説明を求めると、いつだって詳しく教えてくれていたのに。

 所詮、僕などいつまでたってもお使いの小便小僧に過ぎないのかなと思うと、少し寂しくなった。


 帰って来た霊を送る日。ドクターは公園の川に一隻の精霊船を流した。

 そこに、小さな光が群がる。

 蛍のように見えるそれは、蛍でないことを僕は知っている。

 精霊船に導かれ、小さな光がひとつ、またひとつとそこに集まり、川を下って行く。そして、銀杏の方にも変化が現れていた。

 ひとつ、またひとつ。小さな明かりがその枝に点る。やがて、光は銀杏を包み込むほどの輝きとなって、やがてひとつの奔流となって、精霊船を追う。

 それは夜空を飾る天の川のようで、そして遠い昔に見た事がある流星群のようで……。

 気づかないうちに、僕は合掌をしていた。

 どうか、よい旅を。

 僕の思いに答えるように、それらはゆっくりとゆっくりと、明滅を繰り返しながら遠ざかって行った。

 これもすべて、場のエネルギーと「お盆」という時間のエネルギー、そして霊を引きつけやすい僕が揃ってこそ出来る事だとドクターが言った。

 でも。

 僕は、今では知っている。

 大地のエネルギーを受け止め、その力を利用するにはとてつもない気力が必要な筈だ。

「綺麗だね」

 と、ドクターが告げる。

 一世紀半もの間、そこに留まり続けていた亡霊たちが、他の霊たちにつられるように川を渡る。

 ヤシマラボでの、僕の仕事が終わる時が近づいていた。

「ドクターには、どう見えてるんですか?」

 僕の質問に、ドクターはふんと鼻を鳴らした。

「明滅する、光。こちらは所詮、機械だからね……」

 でも、僕は見逃さなかった。ドクターの頬を伝った一筋の滴を。

「僕にも、見せてくださいよ」

「却下」

 いつものように、きっぱりとドクターが言う。

「良いじゃないですか。それぐらい」

「だって私は、意地悪なおばさんだからね」 

 何故、それを! 口に出して言った事は、無かった筈だぞ!

 いや、「くそばばあ」とか「年増女」とかじゃなくて良かったと思うべきなのか。

「い、いやだなあ。僕は、そんなことはひとっことも……」

「私の前では言わなかったねぇ」

 やはり、ドクターは魔女なのかもしれない。

「でもこれで、僕はお役ご免かぁ」

「なんだ、寂しいのか?」

 からかうように、ドクターが返して来る。

「いえ、そういうわけじゃ……」

 見えるものを、見えると言ってはいけないと言われ続けて来た、少年の頃。僕はもう、あの頃には戻れない気がしていた。

「出来れば、ずっと居て欲しい」

 と、ドクターが言った。有り得ない言葉だったので、驚いて、そちらを見る。

 いつもの鉄仮面があるだけだ。

「どうして?」

「来年も、再来年も、彼らは君を待っているんだよ。この木の下で」

「ドクターが居れば、大丈夫でしょ?」

 ドクターは、僕の言葉には応えなかった。

 唇がきゅっとつり上がったので、笑ったのだと思う。だけどそれは――あの蛍の群よりも儚い笑みだった。


 それが、最後だった。


 僕の目の前で今、ドクター・ヤシマは眠っている。

 無敵の機械? くそくらえ。

 ヤシマは、銀杏と共に居た亡者全てを受け止め、川に――彼女風に言えば、「あちらの岸」に帰した。

 何百、何千かも知れない霊の想いをたったひとりで受け止めた。

 そんなことが、人間に出来るわけがない。やはり彼女は魔女なのだと、僕は思っていた。

 だが、そのドクター・ヤシマは僕の前では最後まで取らなかったマスクを外し、眠っている。いつか目覚めるのか、一生目覚める事がないのか、それすらも解らないと医者は言った。

「ドクター、本当は美人だったんですね」

 そのすっきりとしたおもては、胸が痛くなる程綺麗だった。

「どうして、僕の前ではいつも顔を隠していたんですか?」

(誰の前でも、だよ)

 ドクターが言いそうな言葉が、返って来る。

「そんなこと言って、本当は僕の事が好きだったんでしょう?」

(やだやだ、何をうぬぼれてるんだか。小便小僧が)

「嘘つくなよ、くそばばあ」

 僕の声は震えて、ちゃんとした言葉にならない。

 まさか、こんなに急に。あの魔女が僕の前からいなくなるなんて。これから、僕はどうしたら良いのかも解らないのに。

 ドクターは、自筆の手紙を残していた。もしも、自分が目覚めることがなければ、そして僕がそれを受け入れるなら。マキタタクヤに、この施設の管理を任せたいと。

「いつも、勝手に決めてしまうんだね。ドクター」

 ドクターは、答えない。

「仕方ないから、墓守だけはやってやるよ。貴女が目覚める日まで」

 良い旅をなんて、言わない。言ってやらない。必ず帰って来いと言う。

「銀杏の下で、待っています」



 夏が終わり、九月も終盤に近づくと一気に秋めいて来る。

 そして、その秋がぐっと深まったある日。

 銀杏の木の下に、久し振りに人影を見た。

 亡霊は、全部綺麗にドクターが岸を渡した筈なのに。まさかもう新しいのが寄って来たのか?

 僕の気配に気づいたのか、少女が振り返る。

 それは、いつかの月光の下で見たのと同じ顔だった。

「嘘つき」

 と、少女が言う。

「やっぱり、川を渡れなかったわ」

 僕は笑って頷いた。

「そりゃそうだ。だってまだ、生きてるんだから。すぐに身体に戻って下さい」

「甘いな、タクヤ」

 にやっとドクターが笑う。

「忘れたのか、この土地のパワーを」

 そうだ。霊はいなくなったが、この土地にパワーがある事は変わりない。

「どうやら、私だけの力ではここから動けないらしい。これが、呪縛ってものなのかねぇ」

 心臓が、どきんとなる。それは、もしかして……。

「あんた、もしかして。銀杏の下でとかなんとか、言ってないだろうね?」

 さて。

 僕はこれからも研究を重ねる必要がありそうだ。

 でも、何とかなるだろう。魔女に魂を吸い取られなかった、僕なのだから。そして、彼女の目覚めを一番望んでいる、彼女本人がとても可憐な姿でここに居るのだから。

 だから僕らは二人で、今日も銀杏の下にいる。


                             《了》

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

この物語は、天崎剣さん他の主催されております「空想科学祭2010」参加作品です。

参加を決めたものの、どうしてもネタが思いつかず、やっと形を取ったのは「お盆」の頃だったと記憶しています。

その時は主人公は二〇代の青年とその彼女だった筈なのに、何を間違って、小僧と年増女の物語になってしまったのでしょう(汗)


取りかかりが遅かった為に時間がなく、途中はどうしょうもなくバタバタしている気がします。読み返して後悔しそうな気もしていますが、訂正をし出すとキリがないので(もう一作、完結を控えている作品がいるのです)投稿の運びとなりました。

と、言い訳じみた後書きですが(苦笑)


「空想科学祭2010」には、沢山の参加作品が掲載されています。

感想などを頂けましたら、幸いです。

サイトはこちら http://sf2010.ikaduchi.com/


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