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第36話:貴族夫人たちの陥落! 究極の美容液と暴動まがいの買い占め

王都の中心部。

今、一軒の店が密かに注目を集めていた。

昨日まで閑古鳥が鳴いていたゴブリン商会の薄暗い店舗が、たった一夜にして王都の王宮すら凌駕するほどの圧倒的なオーラを放つ極上の高級ブティックへと変貌を遂げていたからだ。


「……ねえ、聞いた? 忌々しい亜人の店が潰れて、別の店になったらしいわよ」

「ええ、看板にはヴォルフガング公爵家・特約高級ブティックとあったわ。ヴォルフガングといえば……辺境の極寒の地に追放された、ポンコツ令嬢の嫁ぎ先じゃない」

「ふふっ、哀れね。王太子殿下に婚約破棄された腹いせに、こんな裏路地で泥から作ったような品を売るだなんて。私が愛用している王族御用達の高級化粧水に勝てるわけもないのに。どうせ大したものはないでしょうけど、冷やかしに行ってあげましょうか」


王都でも屈指の高慢さで知られる伯爵夫人マリアンヌと、取り巻きの貴族夫人たちが扇で口元を隠しながら嘲笑混じりに店の前へとやってきた。

しかし。

彼女たちが重厚な真鍮の扉を開け、店内に一歩足を踏み入れた瞬間――嘲笑は、驚愕へと変わった。


「なっ……何よ、この空間は……?」


店内は人間の瞳孔が最も美しく開く計算し尽くされた照度の光魔法に照らされていた。

床や壁はチリ一つない高級大理石調に輝き、微かに漂う極上のハーブの香りが王都の喧騒で荒さくれ立っていた彼女たちの神経を優しく解きほぐしていく。

そして広大な余白を贅沢に使ったガラスのショーケースの中には、王冠の宝石のように神々しくライトアップされた小瓶の数々が鎮座していた。


王都の一等地に並ぶどんな高級店よりも、遥かに洗練されたラグジュアリーな空間。


「いらっしゃいませ、マリアンヌ夫人。本日はどのようなお品をお探しで?」


呆然と立ち尽くす彼女たちの前に、ミッドナイトブルーの極上スーツを完璧に着こなした店長――私、トーマスが流れるような所作で歩み寄り、深く一礼した。


(よし……マニュアル通り、顧客が3歩歩くまで絶対に声をかけず、視線を泳がせて非日常感を味わわせた。そして、人間が最も安心感を抱くファの音のトーンでのファーストコンタクト……完璧だ!)


私は内心でガッツポーズを決めながら、穏やかな一流の支配人としての威厳に満ちた営業スマイルを浮かべた。


「あ、あなたは……前のゴブリンの店にいた、冴えない店長……?」


マリアンヌ夫人が目を白黒させている。

無理もない。以前の私は覇気のない借金まみれの敗残兵だった。

だが、今の私は公爵家の特製魔法スーツに身を包み、最強の接客SOPを脳内にインストールした一流のプロフェッショナルなのだ。


「以前は仮の姿でございました。本日は、極北の辺境から届いたばかりの奇跡をご紹介いたしましょう……」


私はうろたえるマリアンヌ夫人に恭しく歩み寄り、ショーケースの中から最も美しい輝きを放つ一つの小瓶を取り出した。


「ふ、ふん! 辺境の奇跡ですって? どうせ見掛け倒しの泥水でしょう! 私が普段使っている化粧水に勝てるはずが――」

「論より証拠でございます。少しだけ、手の甲を拝借してもよろしいでしょうか?」


私は夫人の高飛車な言葉を遮り、彼女の手の甲にスポイトでクリスタル・ボタニカル・セラムを一滴だけ落とした。 究極の美容液。


一滴の雫が、夫人の肌に触れた――その瞬間だった。


「ひぎぃぃっ!?」


王都の社交界で常に優雅に振る舞うマリアンヌ夫人の口からカエルが潰れたような奇声が漏れた。

無理もない。彼女の手の甲に落とされたセラムは、瞬く間に肌の奥底……角質層へと浸透し、毎日の厚化粧と王都の乾燥で砂漠のようにカサカサになっていた細胞を一瞬で潤いの海へと沈めたのだ。


「な、何これ!? 肌が歓喜の悲鳴を上げているわ……! あっ、あああぁぁぁ……っ!」

「マ、マリアンヌ様!? どうされたのですか!?」

「嘘でしょ、マリアンヌ様のカサカサだった手の甲が、赤ん坊みたいにぷるっぷるのモチモチに若返ってるわ!?」


驚愕する取り巻きの夫人たちにも、私は次々とセラムを一滴ずつ落としていった。


「いかがでしょうか。スライムの極上の粘液とハーブの淫らな交わり……。そして苛め抜かれた灰雪草の成分が、今まさに奥様方の細胞を歓喜させ、極上の潤いに満たしております」


私はマニュアル第三章・第四項・ボタニカル責任者考案・究極のセールストークを一言一句違わず、一流の支配人らしい真顔とバリトンボイスで淡々と暗唱した。

……正直この文言はそこはかとなく変態くさいような気もするが……私は全てに従うと決めたのだ。


「あひぃぃぃぃっ!!」

「そ、そこぉっ! もっと、もっと潤いが染み込んでいくぅぅ……っ!」

「ああ、駄目、辺境の美容液如きで、溶け、るぅぅぅ……」


たった数分後。

店内には王都のプライドを完全にへし折られ、白目を剥いてだらしなく口を開け、スライムのように床にへたり込む貴族夫人たちの姿があった。


「す、凄まじいプロダクトの力だ……」


私は昨日マニュアルを読みながら震えていた自分を思い出し、公爵夫人の恐るべき手腕に改めて戦慄した。

この美容液は本能に直接訴えかける劇薬だ。


やがて、恍惚の海から意識を取り戻したマリアンヌ夫人たちがガバッと凄まじい勢いで立ち上がった。

先ほどの高慢ちきな態度はどこへやら、彼女たちの目は血走り猛禽類のようにショーケースの小瓶を凝視している。


「て、店長! この小瓶、全部頂戴!! 金貨ならいくらでも出すわ!!」

「ずるいわマリアンヌ様! 私にも売ってちょうだい! 夫の領地を一つ売ってでもこれを手に入れないと、私の肌が、細胞が死んでしまうわ!!」


「えっ……!?落ち着いてください皆様! 順番に、順番に!」


店内はもはや優雅なブティックではなく暴動の現場と化していた。


(よし、ここでマニュアル第三章・第七項――希少性の演出による価格弾力性の低下を実行する!)


「誠に申し訳ございません、マリアンヌ夫人」


私は胸に手を当て、最高に申し訳なさそうな支配人の顔で告げた。


「こちらの商品は極北の過酷な環境でしか採取できない希少素材を使用しております。そのため……本日はお一人様、一瓶までとさせていただいております」

「なっ……!! い、一瓶ですって!?」

「そんな! 金貨ならここに五十枚あるわ! どうか特別に――」


「公爵家の名にかけて、品質の維持と公平性は絶対でございます。……ですが、明日もまた、極少量の入荷を予定しております」


私が焦らすようにそう告げると夫人たちは絶望と希望の入り混じった顔になり、最終的には一瓶のセラムを胸に強く抱きしめて、震える手で大量の金貨をカウンターに叩きつけた。


「わ、わかったわ……今日はこれで我慢する! でも明日! 明日の朝一番にまた来るから、絶対に私の分を取り置きしておきなさいよ!!」

「私もよ!! 明日は旦那の金庫ごと持ってくるから!!」


嵐のように金貨の山を残し貴族夫人たちは血走った目で店を去っていった。

──その後も、彼女たちの口コミを聞きつけた王都の貴族たちが次々と店に殺到し、用意していた在庫は夕方を待たずに完全にスッカラカンとなってしまった。


「……ははっ」


静まり返った店内で、私はカウンターに積み上げられた金貨の山を見つめた。

昨日まで銅貨一枚を数えて絶望していた私が、たった一日で王都の貴族たちからこれほどの富を巻き上げたのだ。


「売れる……いや、違う」


私はマニュアルの入った分厚いバインダーをそっと撫で、獰猛な商人としての極めて邪悪な笑』を浮かべた。


「プライドの高い王都の貴族どもに、これからもどんどん売りつけてやる……!!」


極北の辺境に追放された公爵夫人の、常識外れのプロダクトと悪魔的なマニュアル。

それらは王都の市場という巨大な獲物の喉元に、すでに致命的な牙を深々と突き立てていた。


そして――この常識外れな奇跡の美容液の噂は貴族夫人たちの強固なネットワークを通じて瞬く間に王都中を駆け巡り……やがて、最近「原因不明の激しい肌荒れ」に悩まされているという、王太子の耳にまで届くことになるのだが……それはまた別のお話だ。



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