第27話:氷の公爵と開かずの南の塔
「……」
執務室の窓越しに見える景色は、相も変わらず絶対零度の猛吹雪だった。
だが、今の俺の足元は凍えていない。
床の石畳には、あの女――シャルロッテが編み込んだ魔力回路が巡り、温もりを絶えず部屋全体に供給し続けている。
「また、何かやっているな」
窓の外を見下ろすと、分厚い防寒具を着込んだ騎士たちが数名、吹雪の中でスコップを片手に一生懸命に雪を掘り返していた。
時折、彼らの間を小柄な人影が歩き回り、大仰な身振り手振りで何かを指示しているのが見える。
おそらく、また城の敷地内に新たな施設でも作るつもりなのだろう。
以前の俺であれば、「雪の中で無駄な体力を消耗させるな」と即座に止めさせていたはずだ。
だが、不思議と止めようという気は起きなかった。むしろ、彼女のやりたいようにさせたいとすら思っている自分がいる。
「……」
窓ガラス越しでもわかるほど部下たちの動きが……目が違っていたのだ。
極寒の辺境。打ち捨てられた領地で彼らは死んだようにただその日を生き延びていた。
それがどうだ。
シャルロッテが来てからというもの騎士も、メイドも、城の空気が嘘のように活気に満ち溢れている。
その時、コンコンと控えめなノックの音が鳴る。
「閣下。本日の定例報告に上がりました」
「入れ」
入ってきたのは騎士団長だった。 かつては常に眉間に皺を寄せ、疲労困憊の顔をしていた男だが、今は真新しいスーツ――シャルロッテの言う制服とやらに身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。
肌は血色が良く、ツヤツヤと輝いていた。
「領地周辺の魔獣の討伐報告ですが、今月は被害ゼロです。それどころか、シャルロッテ様が新商品の素材に使うからと魔猪やスライムに懸賞金をかけた結果、若手たちが競って狩りに出るようになり、生息数が激減しております」
「そうか」
「また、城下の民の様子も劇的に変わりました。城壁から漏れ出る温水や、余剰に配給される作物の恩恵を受け、凍死者は皆無。皆、明日の生活への希望を口にしております」
騎士団長は手元の資料を捲りながら誇らしげに報告を続ける。
この北の辺境の民は王都の人間を激しく憎んでいた。 当然だ。
元々は別の国。侵略を受け、併合された場所だ。それが百年近く前のことだとは言え、この土地の民は先祖の恨みと憎しみを受けて育ってきている。
だからこそ王都から追放されてきたシャルロッテのことも、最初は誰もが蔑み、疎み、よく思っていなかったはずなのだ。
だが、気付けばどうだ。
警戒心の塊だった騎士団長も、スラム出身のあの小賢しい秘書も、メイドたちも……。
皆が彼女の作り出す熱狂に呑み込まれ、惹きつけられている。
――かく言う、この俺自身も。
「……」
俺は報告を聞き流しながら、遠い目をして窓の外の猛吹雪を見つめた。
シャルロッテの暖房のおかげで、かつては常に凍りついていた窓ガラスには一点の曇りもない。 そこに映る自分の顔を、俺は無意識に撫でていた。
かつてそこにあった、魔獣につけられた醜悪な傷跡。
──その傷を見て、俺を化物と罵った『あの女』。
一族が血で血を洗う引き金となった呪い。
だが、シャルロッテは極上のエステとやらであっさりと消し去ってしまった。
「この城は随分と暖かくなったな」
ぽつり、とこぼれた俺の言葉に騎士団長は報告を止め、深く頷いた。
「はい。食事は美味く、寝床は恐ろしいほどに快適で、城内のどこにいても凍えることがありません。夢を見ているかのようです……」
でぃーあいわい。
彼女は自身の魔法や工作を、そう奇妙な言葉で呼んでいた。
王都の貴族令嬢などドレスと茶会のことしか頭にないと思っていたが、彼女の持つ異常なまでの執念と奇抜な発想は死に体の城の機能を、根本から別の何かへと作り変えてしまった。
俺の言葉など一切聞かず、非常識な設備ばかりを作り出す無礼な女。
だが、彼女が作った極上のソファに身を沈めるたび、彼女が淹れたスパイスの香るホットワインを飲むたび……俺の胸の奥底で凍りついていた何かが、確かに溶かされていくのを感じていた。
「……」
ふと、俺の視線が窓の外の右側――南の塔へと向かった。
シャルロッテに与えた北の塔は、今や彼女の手で徹底的に魔改造され、夜になれば何やら怪しげな光を放つとんでもない有様になっていると聞く。
だが、南の塔だけは違った。
窓枠は凍りつき、人の気配は一切なく、ただそこにあるだけの暗く冷たい石の塊。
彼女の温もりが一切届いていない……手付かずの絶対零度の領域。
「……」
俺が南の塔から目を離さずにいると、騎士団長がハッとしたように表情を強張らせた。
「アレクセイ様。もしや……」
「……」
俺は目を細める。
「『あの女』のいる塔も、シャルロッテに改築してもらおうか……」
ひどく冷たく、そして何かを深く悔いるような俺の言葉。
執務室の空気は、床暖房が効いているはずなのに、一瞬にして凍りついたように冷え込んだ。
「閣下。それは……」
騎士団長は悲痛な顔で何かを言いかけ――結局、何も言葉を紡ぐことができなかった。
猛吹雪の音だけが分厚いガラス越しに微かに響いている。
シャルロッテがもたらした光が強ければ強いほど、俺が抱える過去の闇の深さが、より一層色濃く浮き彫りになるようだった。




