第1話:過労死マーケター、悪役令嬢に転生して究極のホワイト・スローライフを誓う
「シャルロッテ・フォン・ローゼンベルク! 貴様のような悪逆非道な女は、次期王妃にふさわしくない! 今この瞬間をもって、貴様との婚約を破棄する!」
王宮のシャンデリアが眩しく輝く、建国記念の夜会。
豪華絢爛なドレスや燕尾服に身を包んだ数百人の貴族たちが集う大広間の中央で、見目麗しい王太子殿下が、私の顔を真っ直ぐに指差して声高に叫んだ。
彼の腕の中には、大粒の涙を浮かべて小動物のように震える……ように見せかけている、可憐な男爵令嬢の姿がある。
周囲を囲む貴族たちは、ひそひそと嘲笑交じりの声を上げ、私を汚物でも見るかのような冷ややかな視線を向けていた。
(あ、なるほど。これが巷で噂の婚約破棄イベントってやつね。テンプレ通りの展開すぎて逆に感動するわ)
客観的すぎる自分の思考に、私自身が一番驚いていた。
怒りもない。悲しみもない。言い訳をして彼にすがりつこうという気すら起きない。
ただ、雷に打たれたような強烈な衝撃と共に、私——公爵令嬢シャルロッテの脳内に前世の記憶が濁流のように流れ込んできたのだ。
──私の前世は、日本の大手化粧品メーカーで働くプロダクトマネージャー兼マーケターだった。
来る日も来る日も新商品の企画立案、インフルエンサーの手配、広告代理店との終わらないコンペ、そして容赦なく降り注ぐ理不尽なクレーム対応。
『今月の重要業績評価指標が未達だ! ネットのバズが足りない!』と会議室で唾を飛ばして吠える上司。
『やっぱり明日までにこのパッケージデザイン、全部やり直して。ターゲット層に刺さらない気がするから』と、金曜日の定時5分前に悪びれもなく笑うクライアント。
終わりの見えないPDCAサイクルを回し続け、休む間もなくタスクを消化する日々。
睡眠時間は平均3時間。 エナジードリンクと胃薬を主食にし、会社という名の戦場で、身も心もすり減らしながら戦い続けた結果。
『プロジェクトの成功、おめでとうございまーす!……あれ、先輩? 顔色悪いですけど。先輩!? 誰か、救急車!!』
徹夜明けの祝賀パーティーの席で後輩の悲痛な叫び声を聞いたのを最後に、私の記憶は途切れている。
過労死、というやつだ。
そして今、前世の記憶と今世の記憶がガッチリと繋がり……自分が生前、通勤電車のわずかな時間でプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢に転生していることを完全に理解した。
私はシャルロッテとして王太子のために完璧な淑女教育を受け、彼を支えようと必死に努力してきた。
しかし、彼にとってはそれが「重い」「口うるさい」と映り、結果的にこのゆるふわな男爵令嬢に心変わりされてしまったわけだ。
「おい、聞いているのかシャルロッテ! 貴様のふてぶてしい態度、やはり反省の色はないようだな!」
「ええ、殿下。お言葉ですが、私は彼女を階段から突き落とすような真似は——」
「黙れ! 言い訳など聞きたくない! 罰として、貴様には北の辺境を治める氷の公爵のもとへ嫁いでもらう! 極寒の不毛な地で、一生悔い改めるがいい!」
ざわっ、と周囲の貴族たちが一斉に息を呑んだ。
北の辺境。 そこは一年中冷たい風が吹きすさび、魔物が徘徊し、まともなインフラも整っていないとされる最果ての地。
さらにそこを治める辺境伯は魔獣の呪いによって顔を焼かれ、心まで凍りついた冷酷無比な男だと言われている。
王都の華やかな生活しか知らない温室育ちの貴族令嬢にとっては、まさに死刑宣告に等しい仕打ちだった。
しかし。
私の優秀な(?)マーケター脳が、この絶望的な状況を瞬時にSWOT分析(強み、弱み、機会、脅威の分析ね!)し始めた。
(……北の辺境? 人里離れた大自然? ということは、面倒な貴族の夜会も、派閥争いも、見栄っ張りのマウント合戦もないってこと……?)
現在の『脅威』は、王都での名誉の失墜と、極寒の地への追放という物理的ダメージ。
だが、『機会』に目を向ければどうだろう。 婚約破棄されたってことは、将来の王妃という名の、24時間365日無休のブラック労働から解放されたってことじゃないか!
王妃になれば世継ぎを産むという強烈なプレッシャー、他国との神経をすり減らす外交、貴族たちのドロドロの権力闘争のバランサー……と、前世のブラック企業顔負けの激務が待っている。
わずかなミスも許されず、常に人目に晒される日々。
それに比べて辺境は、まさにブルーオーシャンだ。
(辺境なら、誰にも邪魔されずに、私の好きなように領地をカスタマイズできる!)
前世では仕事に殺された。
今世では、理不尽な王家からのモラハラと、男爵令嬢の露骨な承認欲求の犠牲になりかけている。
もうたくさんだ。
誰かのために尽くしてボロボロになる人生は、二度とごめんだ。
私は、私自身の究極のホワイト・スローライフを手に入れる!
「……ふふっ、あははっ!」
「な、なにを笑っている! 絶望のあまり気が触れたか!」
王太子が不気味なものを見るように一歩後ずさる。男爵令嬢も怯えたように彼の胸に顔を埋めた。
私はドレスの裾を優雅につまみ、背筋をピンと伸ばして、今までで一番美しいカーテシーを決めた。
「謹んでお受けいたしますわ、殿下。今までご指導ご鞭撻いただき、誠にありがとうございました。どうか末永くお幸せに!」
「……は? き、貴様……状況を理解しているのか?」
「ええ、もちろん。極寒の不毛な地で、己の罪を噛み締めながら生きていくのですね。では、早速荷造りがございますので、私はこれにて失礼いたします」
呆然と立ち尽くす王太子と、想定外の反応に悔しげに唇を噛む男爵令嬢を置き去りにして、私は軽やかな足取りで夜会の会場を後にした。
周囲の貴族たちが道を開ける。その視線はもはや嘲笑ではなく、理解不能なものを見る困惑に変わっていた。
足取りは羽のように軽い。
最高だ。最高の気分だ。
辺境の環境が最悪? インフラが死んでる?
──上等じゃない。無いなら作ればいい。
前世で培った、休日の唯一のストレス発散としてプロ顔負けの腕前になっていた「DIYスキル」。
そして、激務の中で1秒でも長く寝るために、自宅の家電や照明を徹底的に自動化・最適化した「スマートホーム構築術」。
この二つの現代知識と、今世の私が努力の末に身につけていた土と水の魔法を掛け合わせれば、辺境のボロ屋敷なんてあっという間に全自動の極上リゾートに変えてみせる。
費用対効果なんて度外視だ。
これは私への投資。 私が私を最高に癒やすための、究極のパーソナル・スペースを作り上げるのだ。
待ってなさい、呪われし公爵様。 私があなたの領地を、この世で一番快適で、最高の投資利益率を叩き出すパラダイスにプロデュースしてあげるから!




