3-〈1〉
オーエンはベッドに座り、深夜を待った。
珍しく、予習も復習もした形跡が無い机には、ひとつのヘアピンが置かれている。
飾り気の無い、でも綺麗な花のピン。
ドナ=ジョーの前髪を整えてきた、馴染み深いピンだ。
そこに、花とレターも添えてあった。
レターには、何度も書き直した手紙。
プロムナードのパートナーの申し込みの、手紙。
毎日持ち歩いて、握りしめて、汗で少し劣化した紙。
戦いの前の静けさ。
ドナ=ジョーの事件から今日この時間まで、みんながわかっていた。
アジ・ダハーカの策は見事に実を生した。
悪神群ダエーワの猛者達も、自らの出る幕は無しと、今宵は観客席に座り出す。
心配げにラジーが階段を上がってきた。
「オーエン。行くのかい?」
「ラジー……ごめん。止めないでくれ。」
ラジーはオーエンのベッドに座り、ボヤいた。
「なら、僕もジュリーに一緒に叱られようか。僕は、ミズーリ州に来て入学した日から、ずっとドナ=ジョーに恋焦がれて来たオーエンを知ってる。口出しゃできっこない。でも、きっと間違ってるのは僕らで、向こうさんは正しい。よりによって僕が殺そうとしたエルダーさんの気持ちが、今わかる。僕はオーエンが人殺しになっても愛してるってさ。それが、被害を受けるのはオーエンを守ってくれた、オーエンの親友で、ジュリーがあんなに諭したことなのに。」
ジュリーおじさんは言った。
己が殺されても、友情を、愛を忘れるな、と。
今、オーエンは誤った道に行こうとしている。
悪魔からオーエンを守ったイライジャを、殺しに行く。
ドナ=ジョーの為にか?
違う。
自分の為に、だ。
「ラジーを巻き込みたくない。これは、納得の問題なんだ……ドナ=ジョーが何者かに侵食され、助からないとしても。僕は、守られたくなんか無かった。イライジャが友達だとしても、弔い合戦はしなきゃ気が済まない。」
ラジーは立ち上がり、普段のラジーを装って言った。
「行っておいで。明日の朝ごはんもしっかりラジー定食。家事も仕事もラジーにお任せ。その代わり、オーエン。朝ごはんまでには帰っておいで。ヘマって死んだら許さないぞ。」
オーエンは立ち上がった。
「ラジー」
「無事に帰ってきなさいよ。」
「……ごめん。ありがとう。」
オーエンが玄関を出ると、ミカエルが待っていた。
ベルフェゴールが尻尾を逆立てて吠えた。
「残忍な小僧め!」
「黙っててベルフェゴール。」
「何のつもりで。協力、とは思えないよ。ミカエル。」
「止められるとは、初めから思ってないわ。でも、あいつは今緊急オペ室で処置が終わったばかりだって……」
「不死なんだ。僕が殺さない限り、イライジャは死なないだろ。」
ミカエルは歩み寄り、オーエンの頬を引っぱたいた。
「確かにあなたは愛する人の殺害現場を目撃してしまった。これ以上辛いことなんてないでしょうね。けれど、あんたに心臓を掴まれて、咄嗟に自ら心臓を握り潰したあいつの痛みがわかる?心臓が再生するには何時間もかかる。生きているのは、仮初よ。脳だけが頼りの亡霊状態だわ。そんな中で、あんたに憎まれたことに苦しむあいつを、あたしは哀れむ。」
オーエンはミカエルを睨んだ。
「でもイライジャは助かった。ドナ=ジョーは助からない。守らなきゃいけなかったんだ!」
「ドナ=ジョーを守る正義の味方のつもり?」
オーエンは衣服を外し、戦闘タイツ姿になる。
「正義じゃない。これは、私怨……僕の納得の為の戦いだ。ミカエル。イライジャを呼べるんだろ。君は被害を減らしたい、まともな魔術師だ。」
「……まとも、ね。だったら言わせてもらう。善神と悪神の決着は、この世界を大きく覆す。あたしは現状維持派なの。いざと言う時は貴方の護衛であるよりも、イライジャに加勢させてもらうわ。」
「構わないよ。」
「……夜は影。イライジャには、あたし達が見えてる。律儀な奴だから応じるはずよ。」
イライジャは、屋敷の緊急オペ室でしばらく前に目を覚まし、休んでいたアミナが駆けつけて、ベッドはイライジャの自室に移されていた。
「点滴にお気をつけを。」
「はい。せーの」
アルブレヒトさんと看護師が、イライジャを抱え、医療ベッドからマイベッドに移動した。
カラカラ、と点滴パックが揺れた。
アミナが、じっとイライジャ周りを見る。
「なんだ」
「あたちの貸してあげた子、置いて来ちゃったの?ひどい」
イライジャは脇からアミナの小さなぬいぐるみを出して笑った。
「ハハッ!引っかかったな?」
「からかったわね!まぁ、でもいっか。その子はあなたを守ってくれたみたいだし。」
イライジャはニヤニヤしながらぬいぐるみをアミナに返した。
「今日は俺は重病だ。アルブレヒトの部屋で寝るんだぞ、アミナ。」
「うん、わかったわ。アルブレヒトさん、よろしく」
アミナには通用したが、アルブレヒトにはイライジャの誤魔化しは効かなかった。
「お言葉ながら、今宵はオーエン様に対応はなされぬように。影の世界で挑戦を受けるのはお辞めくださいませ。貴方は病み上がりです。」
アミナがハッと息を飲み、心配して、イライジャが不機嫌になる。
「アルブレヒト。何故それを?」
「イライジャ様は正直者で、肝心な嘘を嫌って片眉に皺が寄ります。そこからのわたくしの個人的な憶測ですが、当たりのご様子ですね。」
「イライジャ、ダメよ!その人のその憎しみは、もっと何日もかけて消化するべき。あなたは、その人を守るために必要悪をしたのよ。」
イライジャは手首から点滴の針を抜き、血が滴った。
「イライジャアッ!!」
「アルブレヒト。アミナを頼むぞ。」
イライジャは、戦闘用の軽量アーマースーツを着込んだ。
「イライジャ様。わたくしやアミナ様の忠言は、守っていただけるので?」
「俺だって死にたくない。朝には戻る。特効薬は?」
「これが最後です。」
イライジャは鉱石と草を煎じた薬を飲んだ。
泣くアミナに、イライジャは肩を叩いた。
「アミナ。帰ってきたら特効薬がもう無い状態だ。明日の朝たくさんパンがいる。頼めるか?」
アミナ、首を頷かせた。
「うん。うん!パンは任されたわ。いざとなったら予定より早く逃げてきてね。信用するわ、イライジャ。」
イライジャが戦闘スーツで窓から飛び降りる。
あらゆる闇が辺りを包み、イライジャには何処からでも影の世界に入り込めた。
一方で、見えていたオーエンの前にも、影の国のゲートを開けてやった。
ミカエルがついているから、彷徨いはしないだろう。
「これは……」
「イライジャのフィールドへの、招待状ってところかしら。」
「この力で、人に危害を加えたら」
「勘違いしないで。イライジャは人助けの為にしか、この力を利用してないわ。」
「なんにせよ、僕は見極めに行く。」
「入るわよ。あたしから離れないで、イライジャの元に届けるから。」
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