2-〈3〉
村は、結界の中だけ炎が上がった。
人の焼ける匂いに、アミナがむせ返った。
イライジャがアミナを肩に抱えた。
「あんなの、アミナに見せるな。ベルフェゴール、離れるなよ。帰る。」
影の中に沈み込む。
影の沼から脱すると、自宅の暗い廊下に帰ってきた。
「こんな時間か……お腹減ったからお食事頂いてから帰るわね。アミナ、」
イライジャはミカエルからアミナを取り返す。
「アミナは風呂とパジャマの採寸だろ。」
「あらら。あたしが引き取るつもりが。ま、いいけど。」
アルブレヒトが駆けつけ、メイドがアミナの採寸をし、シャワーを浴びさせた。
「ここは、水が豊かなのね。あたち糞便の中に居たのよ。嫌じゃない?」
「アミナ様が気にしなくなるまで、洗いましょうね。」
アミナはシャワーを浴びたら白くなって出てきた。アルビノの子だから、アンリ・マユに選ばれたのだ。
「寝間着をくれるの?」
「えぇ、新しい寝間着ですよ。」
「あたち、ミント色がいい」
「イライジャ様、ご無事のお帰り何よりでございます。そして、ご滞在なさるアミナ様。」
「アルブレヒト。アミナは滞在じゃない、ここに住む。」
「イライジャは優しいわね。これ以上助けられたら恩を返せっこないわ。」
アルブレヒトがアミナに告げた。
「貴方への思いやりは、主の為にもなるのです。ようこそ、マイヤーズ家へ。執事のアルブレヒトです。お困り事はわたしにお申し付けを。」
朝、アミナはイライジャのベッドから降りると、台所に行き、メイドから焼きたてのパンを貰う。厚切りにして、トースターにかけた。
コーヒーとミルクを別カップに入れて、トーストが焼けたら、バターをたっぷり乗せて、トレーに乗せ、イライジャの部屋に運んだ。
アミナはベッドにトレーを置き、カーテンを開けると、ラジオを聴き始め、イライジャのベッドに座り、自分のトーストを食べ始めた。
イライジャは渋々起き上がり、トーストを食べる。
「これは?パン?」
「トーストははじめて?バターを塗ってね。」
「うまいコーヒーだ。なぜラジオを?」
「コピアルク。ジャコウネコがコーヒー豆を食べて、熟成して糞からコーヒー豆が取れるの。」
「二度と飲みたくない。」
「ラジオは大事だわイライジャ。悪神でも貴方は悪を裁くんだから。センサーは貼ってなきゃあね。」
様子を見ていたアルブレヒトは、今回はスコーンでは無く、お手製のベーコンエッグとポテトサラダを運んできた。
「お二人共。ベーコンエッグもどうぞ。トーストに乗せても、美味しいですよ。」
「ポテト!ポテトだわ」
アミナはポテトサラダに喜び、ついにはパンに挟んだ。
「おいひい、アルブレヒトさんのポテトサラダ、オニオンとマスタードが効いてるわ。でも、ベーコンエッグも乗せたかった。」
イライジャ、ベーコンエッグでトーストを食べながら、言った。
「じゃあ、パンが何枚も必要だな?」
イライジャ、台所に行き、アミナと一緒に色んなパンを選んだ。
ドライフルーツの入ったドイツパン、皮が美味しいバゲット、ベーコンエッグ用の厚切りパン。
幾日ぶりかの主の笑顔に、アルブレヒトは安堵した。
エルダー様の残されたもの。それが、あの方なのだから。
日曜日の朝。
オーエンとドナ=ジョーは、二人とも薄汚れたジャージを着てきて、互いを見て笑った。
「そんなに汚す?」
「ラジーが油汚れを掃除したジャージだよ。ドナ=ジョーこそ、きみが?」
「兄が着古したジャージ、ガソリン汚れよ。もういらないって言うから着てきたわ。」
一度介護院に入り、タイムカードを切る。
そしたら掃除用具をプールまで運んできて、開始だ。
モップ、デッキブラシ、ホース、エトセトラエトセトラ。
「介護院のおじいさんおばあさん、プールでリハビリがあるんだって。」
掃除しながら、他愛のない話。
「しばらくコロナ禍があったから、プールのリハビリも久しぶりなんでしょうね。キレイにしてあげなくちゃね。」
「うん」
ドナ=ジョーはいい子だ。
普通、学園のマドンナなんて、派手なファッションの女子グループを取り巻きにして、キングを従えてるような感じだし、他校ではそうだろう。
掃除しながら、それとなく聞いた。
「不思議だね」
「なにがかしら」
「きみは、美しい人なのに、全然お高くとまらないから」
「それは、そうかしら。わたしは小さい頃は酷くて。不細工だったし、ニキビと太りやすさで、美人の妹達に散々比較されたからかな。それに、成績も悪いのにお高くとまれないわよ。オーエンみたいな、賢い人のほうが、憧れるわ。」
「小さな頃のコンプレックスがある君も、きっと優しい子だ。」
「お世辞が上手いわ。貴方こそ、一体いつから目覚めたの?その、知識欲に。」
「うーん。ジュリーおじさんやラジーの連れてってくれる映画館が大好きで。殆どが、映画から知識欲が芽生えたかな。でも、いい事だけじゃない。」
「賢くて損が?」
「子供の頃、女の子の着てくる昔のお姫様のドレス。その女の子より詳しくて、引かれた。」
ドナジョーは笑い出した。
掃除も、だいたいは磨き終わり、ホース遊びだ。
「濡れてもいいようにしてきたわ。」
「流すのも役割だしね。」
オーエンがドナジョーをホース水で追いかけた。
笑いながら、ドナジョーが逃げていると、水溜まりに映る自分が見えた。
ドキリとした。
漆黒の白鳥のバレエ衣装のようなものに身を包み、自分とは違って、大人の女である自分。
「いい子ね、ドナ。全て上手くいっているわ……貴方がオーエンを殺しても良し。貴方が死んでもいいわ……貴方をキーに、最後の審判は、ようやく始まるでしょう。」
わからない。
わからないが、殺意の衝動がドナ=ジョーを襲った。
愛する人。
そして、堪らなく殺したい人、オーエン。
優しい彼を?どうして?
「ドナ?」
ドナ=ジョーは我に返る。
何だったのか、わからない。
でも、とても恐ろしかった。
「なんでもない。なんでもないわ……」
ドナジョーは、不吉な予感だけは胸から消せなかった。
ミカエルがイライジャの家にお茶をしに来ていると、イライジャが鏡を見て言った。
「俺の能力を一部、解放したな?」
「えぇ。影の世界のことならね。鏡も水溜まりも。貴方の領域の、裏の世界だわ。」
「俺には、影の中に仲間が見える……知らない奴らもいる、仲間じゃないかもしれない。」
ミカエルはティーカップを置いた。
「悪神群ダエーワ。貴方の仲間たちで合ってるわ。ただし、オーエンの敵よ。」
イライジャは尋ねた。
「オーエンはどこにいる?」
「ドナ=ジョーとアルバイト。まぁ、バイトしながらのデートってとこじゃない?」
「ドナ=ジョーだと!?不味い、アイツの中にはアジ・ダハーカが!!」
ミカエルは聞いて真剣な顔になる。
「アジ・ダハーカ。三頭三口を有する毒を吐く悪魔。残酷で狡猾、地上では人間の姿をして善人を唆す。イライジャ、まさか」
「クソ!ドナ=ジョーにはアジ・ダハーカが入り込んでる。切り取れないぐらいには。……俺はオーエンを助けに行く。」
ミカエルは立ち上がった。
「あたしも行く。多分、アンタ、弁明できないから。……本当に、不器用な奴らよ。」
介護院のプールの鍵を閉めて、介護院にタイムカードを切りに行く。
「お待たせ」
「今日は、楽しかったわ。」
「僕もだよ。」
ドナ=ジョーは、ふいに涙が流れて、頬を抑えた。
「ドナ?」
オーエンは、何かが彼女を傷つけてしまったかと不安になった。
それは、事実、当たりで。
ドナ=ジョーは、自身の中の殺意に、傷つきながら、抗っていたのだ。
「きっと、これでお終いにしなきゃ。変なのよわたし、貴方を良く思うのに、一方でわたしは……終わりにするわ、貴方の害になってしまうから。さようならオーエン……さよなら」
「そんな……」
ドナ=ジョーはさっさと歩いて行ってしまう。未練を断ち切るためか。
「ドナ=ジョー?」
オーエンが追っていくと、見失った。並木道をそれて、森に入ったんだろうか。
森の奥へと進むドナ=ジョーに、狼も唸って近づかない。
散々進んだ。森の奥地には、イライジャが待っている。
ドナ=ジョーはうずくまった。
イライジャは1歩歩み寄る。
「オーエンを引き離した。よくやったな……」
ドナ=ジョーは人が変わったように微笑んだ。
「まぁ、主様。この娘が今更どう足掻こうが変わりのないこと。さぁ、わたくしがオーエンを殺しましょうか?それとも主様がわたくしを殺しますか?どちらに転んでも、楽しい余興になりましてよ。」
アジ・ダハーカからドナ=ジョーは意識を取り戻す。
「やめて!!お願いよ……イライジャ!わたし、愛する人を殺してしまうわ!わたしを止めて!!!」
オーエンが向こうから走って来ている。
「赦さなくていい。俺を憎め、オーエン。」
イライジャはドナジョーの首を腕の刃の一刀の元に斬り伏せた。
オーエンが走りながら叫んだ。
「ドナ=ジョーーーーーッ!!!」
そうして、転がり落ちた首に駆けつけ、涙した。
「何故……ッ!何故殺すんだ!?ドナ=ジョーは気づいてた!!助けられたはずなんだ!!!」
イライジャは背を向け、告げた。
「助からない。だから殺した。俺を憎むなとは言わない。俺は俺のやり方でしか、お前を守れないんだ、オーエン……」
「イライジャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
オーエンはイライジャに飛びかかった。
顔面に兵器並の拳を喰らい、イライジャは額を骨折、脳髄が吹き出た。
更にオーエンはイライジャの腹に素手を突っ込み、直腸を引きずり回し、イライジャを木に叩きつける。
ジュリーおじさん。
ドナ=ジョー。
みんな。
みんな、殺されてしまった。
何かが、オーエンの中で爆発していた。
「ああああああああぁぁぁ!!!」
オーエンが手刀をイライジャの体内に突っ込んだ。
心臓を掴まれた時、イライジャは咄嗟に自分の心臓を奪い取り、破裂させ、影の沼に逃げた。
仮に、善神のオーエンにやられていたら、イライジャとて再生は出来なかったろう。
ミカエルが、立ち尽くした。
声をかけるのにも、そんな空気じゃない。
静かに、ドナ=ジョーの身体を抱いて運んだ。首の元に、ミカエルは彼女を寝かせた。
「……ミカエル」
「うん……」
「ドナ=ジョーは……本心で……?」
「……イライジャによれば。ドナ=ジョーの貴方への想いを利用した悪魔アジ・ダハーカが、徐々に侵食して……ドナ=ジョーが言った通り、貴方を守るには……もう。切り離せるような段階じゃ、なかった。」
オーエンはドナ=ジョーの首を抱え、その眼を撫でて閉じながら、涙した。
「泣き寝入りはしない」
「オーエン」
「必ず、仇を打ってやる。」
ミカエルはドナ=ジョーを葬儀に出す為、一時的に街の暗示を解き、パトカーや救急車がオーエンの元に来た。
ビル中のモニターにニュースが出た。
斬首殺人、被害者はハイスクール学生ドナ=ジョー・オリンズ。
悟空がそれを見て言った。
「のんびりしてられなくなったな……」
玄奘はただ静かに、コロンビアのどこかにいるオーエンに呼びかけた。
「善の神であるが故に、貴方に復讐は許されない……オーエン・テイラー。耐えるのです。この世が例え、どんなに惨い大地であるとしても。」
イライジャが血塗れで戻ると、アルブレヒトが主治医達を呼んだ。
「緊急オペ室へ!」
アミナが涙ながらに戸惑って見ているのを、アルブレヒトがイライジャの元へと誘った。
「アミナ様はイライジャ様の手を握って、声がけを辛抱強くお願い致します。どうか主の意識を保たせてください。」
「うん。イライジャア……ッ!!」
アミナは、処置中、イライジャの小指を握っていた。
「大丈夫よ。ここにいるわ。意識を保つのよ。」
イライジャは身体の痛みより、辛そうな声を吐いた。
「俺は……オーエンを守って、あいつの大事な人を、また殺した……」
「汚れ役ね。貴方はやはり、必要悪なんだわ。善だけでは成立しないの。」
イライジャは、血を咳き込みながら、自嘲的に笑った。
「酷い奴だ。オーエンを、いつも泣かせてる」
アミナは、抱いていた小さなぬいぐるみを、イライジャの枕脇に置いた。
「なんだよ……」
「貴方だって泣いてるわ。この子が、貴方を慰めてくれるように。」
イライジャは目頭が熱くなり、涙が頬を伝った。
必要悪でもいい。
もう誰も、殺させはしない。
俺はアーリマン。
この街を縄張りに、容赦なく悪党を殺すだろう。
これが俺の在り方だ。
大事な人達を、守るために。
俺は、地獄も厭わない。
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