7-〈8〉
学校。
ハワード先生は長引いたバスケットボール大会で、足をつり、ぎっくり腰を起こし、さらに左腕を骨折した。
生徒の為に待機した救急車の世話になってから、帰還。
駐車場まで迎えに来たカリオストロが、ハワード先生に肩を貸した。
「大丈夫ですか?骨粗鬆症では?きちんとカルシウムはお取りになられてます?朝ごはんにミルクは?」
「……私はコーヒー派でな。朝はコーヒーとクロワッサンだが……。」
「骨が悲鳴を上げていますよ!直ちに朝ごはんはミルクとグラノーラに変えるべきです。わたくしは外科で診ることが多いですが、内科医として申し上げるならまずは食事療法を!」
ハワード先生、素直に反省。
事実、カリオストロこと、バールサモ先生は、生徒達とのバスケットボール大会で大活躍した健康体なのだ。
「学問の追求が第一で……賞味期限が早いミルクの管理は……」
「健康あっての学問ですよ!よろしいですか!?」
「……理解した。考えを改め、ミルクを買おう。」
「これは骨の痛み止めです。骨折の痛みにもぎっくり腰の痛みにも効きますが、飲み過ぎ注意ですよ。合わせて胃薬も。鞄に入れておきました。救急車でぎっくり腰のサポートバンドは巻きましたか?」
「うむ……サポートバンドで、最初よりはマシになったが……車を置いて帰らざるを得ないな。タクシーで帰ろう……」
「タクシーが来るまでわたくしが肩を」
いきなり、カリオストロが血を吐いた。
ハワード先生は目を見開き、倒れかけるカリオストロが、まるでスローモーションのように見えた。
すかさず、倒れ込むカリオストロを支えた。
「バールサモ君!しっかり、バールサモ君!!」
カリオストロは糸を引き、天使達に目くらましをさせた。
「やってやった!うわッ!?み、見えない!?」
カリオストロを刺した犯人は怯む。
「逃げ……て!ハワード……先生……!!」
「殺せ」
「「殺せ。殺せ。」」
ナイフを持って歩み寄るのは、一人では無い。
複数人だ。
カリオストロ、ただ一人を狙って。
「いささか手荒くなるぞ、バールサモ君!」
ハワード先生は咄嗟に右腕で車の窓ガラスを叩き割り、右腕を突っ込んでロックを開け、後部座席にカリオストロを押し込んで乗せると、自分は運転席に乗り込んだ。
「殺せぇーッ!!!」
車の窓中に、殺人鬼達の手が張り付いた。
血の手形がはりつく。
構っていたら。
出遅れれば、死ぬ。
ハワード先生は骨折した左腕を庇いながらも、右手でハンドルを切り、アクセルを踏んで、強引に殺人鬼達を押し退けて車を出した。
(運転出来る身体じゃない。出来るだけ引き離してから、どうするか、だが……)
道路を走らせていると、やがて、殺人鬼達も車で追ってきた。
スピード勝負などした事も無いが、人命がかかっている。
切迫したカーチェイスが始まった。
帰宅で混み合う時間帯だ。
渋滞を無理やり脇道から通り抜けながら、車を走らせ逃げ続ける。
次第に土地勘すらわからない道に追い詰められていく。
ハワード先生は片手のみの運転で、前のライトを片方、ぶつけて破損してしまう。
「くっ……!!」
カリオストロがボヤいた。
「わたくしを……置いて、逃げて……ください……きっと、ラーを……弱らせる、為に……」
ハワード先生は自身の倫理観に問いただす。
否。
同僚を置いて行けるものか。
彼は、街の為に戦って来たのだ。
自分だけ助かって、後味が良いはずは無いのだ。
「バールサモ君、黙って止血をなさい。ラーを弱らせる為の狙いならば、君の組織も危ういのでは無いかね?」
「天使達に、伝達させました……律儀な、方だ……後悔、しますよ……」
「どの道後悔するならば、正しい選択肢を選ぼうというものだ。」
殺人鬼達の車が、体当たりを仕掛けてきた。
「くうう……ッ!!」
前輪がパンクしたらしい。
マトモにハンドルが効かない。
「この、スピードでは……ッ!!いかん!!!」
ハワード先生は咄嗟の判断で、他の一般車を避け、道を外れて、大木に衝突した。
エアクッションが膨らむが、今ので肺をやられた。前のガラスも砕けて、ハワード先生を血塗れにしている。
殺人鬼の車が追いついて、ハワード先生は咄嗟に右腕で銃を抜いて狙いをさだめ、あちらの車をパンクさせた。殺人鬼の車は滑り込み、ハワード先生達の車より道をズレて、大木に衝突し、燃え始めた。
発火は爆発に繋がる。
しかし、後続の殺人鬼達の車はまだまだ来る。
「正念場か……!!」
その瞬間、後続の殺人鬼達の車は一網打尽に爆発した。
ロケットランチャーを放ったトワイライト・イエローのシボレーエルカミーノを筆頭に、次々とヴィンテージ・ドミニオンズが愛車で駆けつけた。
「……オーエン・テイラーの……仲間、か……?」
ヴィンテージ・ドミニオンズは事故車からハワード先生とカリオストロを救助した。
「しっかり!」
「ダメだ。ダメージが深い、気を失ってる!」
セオドアさんが怒鳴った。
「助手席に乗せてズラかれ!!どの道事故車が爆発するぞ!!」
「おうッ!!!」
日は陰り始めた。
夜の、到来である。
キットとジャスティンは、闇の中を歩いていた。
未知の領域である。
真っ暗な世界は、進むごとにMAPが切り替わる迷宮の如く。
しかし、キットとジャスティンは、導かれるように、本能的に光ある場所を追って行く。
上空から吊るされた紙工作の星々。
小さい頃のアーリマンが、無限に作った作品。
ついに、建築物を見つけた。
小さなアーリマンが、乳母に教わって夢見た、小さなオペラハウスである。
その舞台に立てば、万人が愛してくれる。
父だって、アーリマンを、愛してくれる。
広がる闇。父のいない恐怖と、狂いだした愛情の、原初の在り処。
キットの考えは、確信に変わった。
ここは、アーリマンの世界なんだ。
影の国や悪魔を統べる、アーリマン。
彼は、マーズマンの親友だけど、悪の頭領で、善悪の価値観が無いから、助けたくてもマーズマンを助けるのには、向いてない。
むしろ笑い出してしまう。
助けたい願いと、相反する狂気。
それは、本当なんだろう。
「悪魔がわんさかいるぜ。引き際は考えておけよ、キット?」
「うん。……今はアーリマンを信じて、進もう、ジャスティン!」
キットとジャスティンは、悪魔達に肉眼で捉えられる程、近づいたが、パリカー達はキットとジャスティンを見ない。
二人は、パリカー達の隙間を縫いながら、小型のオペラハウスに入り込み、楽屋を目指した。
「?……ねぇ。何か、通った?」
人間の目を持つジャヒーが、パリカー達に尋ねるが、パリカー達は首を捻る。
「わかりません」
ジャヒーにも、一瞬しか感覚は無かった。
「……気の迷いかしら。クソ、アエーシュマの奴め!何もかもアイツのせいだわ!!」
キットは囁いた。
「ジャスティンがやったの?これは、暗示?」
ジャスティンが笑った。
「キット。お前はすごいんだぜ?こいつは、お前の力なんだからな!」
二人は無事に、黒騎士ドナ=ジョーの控える、楽屋へ辿り着いた。
二人は対悪魔暗示を使っていたようだが、善性のある人間の黒騎士は誤魔化せなかった。
「……何奴だ!姿を現せ!」
キットとジャスティンは、恐る恐る、暗示を解いた。
「……子供と、ぬいぐるみ……?」
キットは、警戒心こそあったものの、尋ねた。
「……あなたが、ドナ=ジョー?マーズマンの、大切なひと……?」
黒騎士は厳しく睨み、銀の剣の切っ先をキットの鼻先に振り当てた。
激しい憤りだ。
「その名を私の前で口にするか。恐れ知らずにも程があろう。子供とて容赦はすまいぞ?」
「危ねぇ、キット!」
「動かないで、ジャスティン。僕が、話してみる。」
黒騎士は眉を釣り上げて嗤う。
「なるほど?お前は悪であり……その力は生まれつきか?ぬいぐるみはお前が原動力だな?どうりで、凶器から指紋も出なかった訳だ。お前の正体は、サイコキネシス能力者……」
黒騎士は警察の捜査すら影の国から監視していたのだ。
「ぼくは、悪……そうだ。僕は、人を殺した……」
キットは、めくるめく過去のフラッシュバックに襲われた。
息子に異常な愛情を向け、肉体を犯す父。
息子に嫉妬し、熱した刃物を皮膚に押し付ける、母。
父が母を殺した時、何故あんなにも、絶望したのか?
もう、父を止める人が、いないから?
違う。
母に、愛されてみたかった。
抱きしめて欲しかった。
一度だけでも、良かったのだ。
犯行時がフラッシュバックした。
学校にも通えず、父に監禁されていたキットの社会は、狭く。
キットがヘルプに駆け込んだのは、教会だった。
事情を話し、自宅まで来てもらい、父から守って貰う算段がついた。
助かる、と思った。
救いを、信じた。
しかし、現実は非情にキットを追い詰めた。
神父は子供部屋の鍵を閉めた。
「なんで、鍵を……?」
キットはすぐに、この神父を頼ったことに後悔した。
下半身を脱ぎ始め、迫りくる神父。
「神はパパを許されないだろう。わたしなら君を助けられる。さぁ、その代価を。わたしに身体を預けなさい」
キットが助けをこい求めた神父様は、あろうことか寝室でキットを押し倒した。
「やめて!!」
神父はキットの服の中をまさぐりながら、ボヤいた。
「あぁ、主よ、お許しください……わたしは、悪魔の誘惑に打ち勝てないのです!!」
この神父は、同じような犯行を、少年たちに繰り返し行ってきたのだ。ヴァチカンの盾に隠れた、性犯罪者である。
パパと同じことをされる。
いやなことを、される!
キットはその時決意した。
運命に逆らうことを。
それは、パリカーが入り込んで、悪を解放したからか。
違う。
きっと、悪を解放されなくても。
裁判もわからない、ヒーローも現れない。
運命に抗うには、こうしていただろう。
ベッドにもたれた、パパの上着のホルスターから、拳銃が浮き出た。
宙に浮く拳銃。
それは、キットの力だ。
無我夢中だった。
安全装置が外され、神父を背中から乱射した。
あられもない姿で神父は倒れ、キットの未熟さゆえに即死が出来ずに、神に自身の原罪の赦しを訴えながら、苦しみ抜いて死んだ。
殺人。
それが、キットの意思だった。
悪の解放。
でも、きっといずれは、どちらかのルートを辿っただろう。
自分が死ぬか、相手を殺すか。
逃げ道は、二択しか、無かった。
諸悪の根源を絶たなくてはならない。
キットは父の帰る時間を待つ。
父は、キットとの時間を作るために、明朝から仕事に行く。じきにフライドチキンを買って帰る頃合だ。
キットは父を待ち伏せして、玄関で、殺した。
念力で銃を使って、撃ちまくった。
もし、あそこにマーズマンが来なかったら?
キットは闇に染まりきっていただろう。
ヒーローがキットの夢を取り戻したんだ。
我に返ったキットは、身体を抱えて息を荒らげて、苦しんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「なん……だ?……今までの、光景……は……」
黒騎士は、キットと同じ情景を観ていた。
キットの力の暴発で、見せてしまったのか。
「……わたしに、見せたのか?これは……お前の悪は、酷い災難だ。キットと言ったな?もう、良いだろう。苦しむな、善性を捨てよ……わたしにつけ。その苦しみは、指揮官たる私が引き受ける。お前の悪性は正しいものだ。その力も、他所では生きづらかろう……どのような理由であれ、お前は既に人を殺したのだ。お前の居場所は、既にこちらにしか、無い!」
黒騎士の言葉は、優しい。
その真意は、キットを助ける為にあるのだ。
だけど、キットは信じた。
皆を守る彼を、信じていた。
「違う!……それは、違うよ、ドナ=ジョー……貴方は優しくて、確かにぼくは人を殺した。逃げ場なんて、本当は無いのかもしれない。でも、マーズマンが言ったんだ。人間の、善も悪も、どちらも守らなければならないって……だから、マーズマンは悪であるぼくを助けた。悪い人間だから殺すのは、違うんだ。マーズマンの助ける範囲は、善悪ある人々のすべてで、彼は手の届く限り手を精一杯伸ばすんだ。人間に寄り添う正道を、大事な人に教わったって。だから、ぼくはここに来た。あなたと話すために。マーズマンは、ドナ=ジョーのことも、助けたいはずだ。争いじゃなくって、きっと、対話したいんだ……」
ドナ=ジョーは真剣な面持ちで、至極真面目に聞いてから、答えた。
「……キットよ。お前の言いたいことは、理解した。オーエンは、変わった……彼は、アシャから学んだ。だが、どれだけ購ったところで罪は消えない。私が彼を赦さぬ事は、我が悪道だ。私はこの手で報復を成し遂げる。私の手は、善神の血で汚れるだろう。」
ドナ=ジョーは鎧の下から、首に下げたネックレスチェーンを、自身の頭から外した。
指輪がぶら下がっている。
「だが、私が、血に染まり切る前に……これを、お前に託す。」
キットは頭から、チェーンを被せられ、首に下がった指輪をつまんで見た。
「悪道でありながら、アシャの意思を継いだ者よ。その聖騎士の指輪は、私の恩人が聖なる火を込めたものだ。その正道ある限り、彼がお前を守るだろう。」
キットは黒騎士を見上げた。
「……あなたは、やっぱり悪い人じゃあない。あずかるよ。いずれ、ドナ=ジョー、あなたに返すために。」
黒騎士は踵を返した。
「行け!次会う時は敵と見なす!情けは二度目は無いと知れ!!」
キットは駆け出してジャスティンを抱き締めた。
「行けるのか?」
「行ってみる!帰ろう、ジャスティン!!」
キットとジャスティンはその場から消えた。
瞬間移動能力だ。
そこへ、パリカー達を代表し、ドゥルズーヤーが駆けつけた。
「黒騎士様!作戦準備が整っております!ご命じください!」
黒騎士は振り返った。
「この戦いには我等の行動制限が関わっている!作戦を実行せよ!私自らが戦場に出る!!黒き御旗を掲げよ!!あの忌々しい太陽を、信仰者の血で黒く染め上げるのだ!!」
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