7-〈1〉
もう、五件だ。
今日だけで、五件の家庭が死んだ。
「クソッ……どうして、助けられないんだッ!!」
オーエンは家屋の中で壁を叩いた。
殺人犯のお母さんは、虐待の痕で青アザだらけで、加害者である家族、皆を殺した後には、幸せそうにクッキーを焼いていた。
彼女の幸福は、生き延びたことだ。
「ね、お客さん。くつろいでね?クッキーを焼いてるわ、食べていって。わたしのクッキーは、美味しくは無いらしいけど……」
このお母さんは、苦しみ抜いた人だ。
家族全員が、ブチ切れた顔のまま死んでいる。
ナイフを持ったまま、死後硬直している。
死闘の末の結末だ。
青アザだらけのお母さんが、悪いのか?
「違う。悪の解放が無ければ、生きれなかったんだ。僕らが善の解放を、この人の家族にすべきだった……でも、未熟な僕では……!」
お母さんは、あたたかく微笑んで、オーブンからクッキーを出していた。
「貴方は聖人君子かしら。わたしの為に悩んでくれて、わたしを、殴らないのね。今日はいいお客さんに出会えたわ……さぁ、焼きたてのクッキーを食べてね。」
小さな、銃声が響いた。
サイレンサーが機能している。
クッキーはバラバラに落ち、お母さんは倒れた。
「……お母さん!?」
オーエンは駆け寄り、お母さんを抱き起こした。
「しっかりしてください、お母さん!!」
お母さんは青アザだらけの額に銃跡があり、血溜まりが広がっていく。
即死だ。
オーエンの胸に、絶望感が広がった。
「南無阿弥陀仏……。彼女もまた、諸行無常の運命なり。情けをかけるならば、御仏の元に送っておあげなさい。オーエン・テイラー。彼女は戻れない、子を殺しています。」
歩み寄った玄奘は、お母さんが落とした、床に散らばったクッキーを一つ、知らずに、靴で踏みこわした。
オーエンはそれすら、痛々しくなり、目を逸らした。
お母さんの遺体を丁重にソファに横たわらせた。
玄奘は、本気でオーエンを案じ、諭した。
「君は、優し過ぎる……オーエン・テイラー、この任からは、離れなさい。悪の解放への、わたし達の強硬手段は、君の心を壊しかねませんから。」
オーエンは震えながら、怒りを押し殺しながら、尋ねた。
「それは出来ない。僕が守れたかもしれない命から、僕は逃げない。玄奘さん。このお母さんは、他の人を殺したりはしない。抗わなければ……生きるか死ぬかの、現場だった。何故、殺したんですか……。」
「……儒学には、こうあります。親と子は、正しく責務を果たさねばなりません。子は親を敬い、親は子を守り抜くもの。子を放棄した子殺しは、もはや誰を殺す事も恐れはしない。それらの人間には、善の解放は無意味です。」
オーエンは反感を抱き、怒りで熱くなった。
「この世の全ての子供が、善だとでも言いたいんですか!?ここの家の子は、明らかにお母さんを虐待していたんだ!!家の中でだってわかる!!ひっくり返されたままのクッキー、割れた皿!お母さんの血の跡、子供部屋の鉄バットは血まみれだ!!この家は家族総出で、この人を虐待してきたんだ!!」
「オーエン・テイラー。わたしは、犠牲を最小限にしているだけで、自らの行いが正しくなど無いことは、認知しておりますよ。わたしとて、悉有仏性を唱える身。彼女の中の仏性を、否定は出来ない。そしてこのやり方は、君にさせてはならない、汚い仕事であることも。」
玄奘とて、わかってはいた。聖者のはずの自身が、手を血に汚し、必要悪になるほど。
それでも、悪の解放に太刀打ち出来ない、現状を。
「なら、わかってくださいよ!!本当に善の解放が必要だったのは、このお母さんの家族達です!!玄奘さん、貴方のやり方は、ただの過ちじゃないんですか!!?ただ死なせては、取り返しがつかないんですよ!?」
誰かが、グイ、とオーエンを掴みあげた。
ウォフ・マナフ、悟空だ。
鋭く睨みつけている。
「そこまでにしときな。オーエン、俺たちだって好きで人殺ししてる訳じゃねぇよ。お前がやれないから、玄奘は自らの手を汚してんだぞ。悪の解放でお前だけ手を汚さず、罪人を責め立てる側か?お前がアシャの殺害を責められたら、どんな気がする?」
「……ごめん。……だけど、だからこそ、正道は人に寄り添わなければ!とても不遇の人達に、手出しなんて出来ない!したくも無い!!」
悟空はオーエンを床に下ろした。
「お前は殺らなくていいぜ。先回りして、未然に防ぐ係だろ?それに、責められる側の気持ちがわかったんならいい。」
「……次へお行きなさい、オーエン。今この時も、人命が関わっていますよ。」
「………わかってる!!」
オーエンは窓から隣のアパートに跳躍した。
(オーエン!南東の緑屋根の住宅です!!)
「今行……!!」
アールマティの導きで、南東の緑屋根の住宅まで跳躍して行く最中、銃声が聴こえた。
嫌な予感はした。
玄関ドアを開けるなり、まだ生暖かい、肥えた男性の死体が倒れて来た。
血が、玄関から石畳に広がった。
向かいにいる、犯人は、小さな男の子だ。
妙だと言えば、綺麗過ぎる男の子だと言う事。
銃を落としたか、音でオーエンは我に返る。
「あなたは、僕を、いじめるひと?……その、タイツとマスクは……」
男の子は、袖の下にチラホラと痣が見えた。
見えない場所に、虐待をされてきたんだ。
オーエンは屈んだ。
「僕はマーズマン。悪い人をやっつける側だ。僕が、間に合わなくてごめん。君の家に、入っても、いいかな?」
男の子は、伏せ目になって、告げた。
「僕、キット。ずっとマーズマンが、助けてくれるのを、待ってた。入っていいよ。案内するね。」
オーエンは胸が締め付けられた。
キットの襟足までの、服の下にも、色が違う肌が見えた。
室内は、敬虔なクリスチャンの家という感じで、棚の上には聖像が、壁には十字架が飾られていた。
「……キットの家は、信仰心の厚い家なんだね。」
「僕の名前、キットも、クリストファーと同じ意味。キリストを背負うもの。でも……神様は、いない。神様が存在してたら、助かってたと、おもう。」
「キット」
子供が、幼いながら、神にすら縋れないなんて。
廊下を歩いていくと、フライドチキンの箱が乱雑に積み重なっていた。
「キット。……玄関の人は?」
「パパだよ。」
「パパに、服の下の、見えない場所を、虐待されていたのかい……?」
「ううん。服の下のは、ママがやった。」
廊下を進めば進むほど、フライドチキンの箱が並んでいる。
「フライドチキンの箱は……ゴミに出さないのかい?」
「なんとなく、もうわかるでしょ。マーズマンにも。うちの親はおかしいから、嫌われてる。ゴミだって出せない。いつもママが怒鳴っててうるさいから、出てけって。」
オーエンは、何かが一般家庭からズレていることにも気がついた。
「ていうか……お母さんは、料理を、しないの?僕んとこは、育ての親は二人共男の人だけど、料理していたよ。」
「それは、マーズマンを愛してるから、作ってくれたんでしょ。ママは僕を憎んでるんだから、作るわけない。毎日、パパの買ってくるフライドチキンだよ。」
キットが案内したのは、夫婦の寝室だ。
お母さんしか使っていないのか、お父さんの側は荷物が僅かしか無い。
お母さんは、下着姿でドレッサーに向かって座り、顔をリキッドファンデで塗りたくっている最中に、背中から乱射され、ドレッサーに突っ伏したまま。
三日くらい前の遺体で、ハエや蛆虫が沸いていた。
「パパが、我慢の限界だって言って。一昨日くらいに、ママを殺した。」
異常家庭だ。死体と一昨日から、この子は同居していたんだ。
「悲しかった?……ごめん。違うよね。暴力を振るわれていたんだ、君は。」
「悲しいかどうかは、あまりわからなかったけど、絶望ではあった。もう、パパを止めてくれる人は、いなくなったから。」
キットは、何処に案内するというのか、怖がって、オーエンの手を繋いだ。
震える手。
過呼吸気味の、キット。
「大丈夫。一緒にいるよ。」
キットは、案内しながら、ハラハラと涙した。
オーエンにも、キットの心拍数の高鳴りが、伝わってきた。
その場所は、この子の苦しみの、キーなんだ。
キットが開けた部屋は、子供部屋だった。
あられも無い姿で死んでいる神父もいた。
子供部屋は、可愛い木馬の揺り椅子や、ミニチュアヒーローのソフビ。
乱雑では無い。
まるで、全部大人が並べたかの、おもちゃのバランス。
キットは泣いて、オーエンに頭を擦りつけた。
過呼吸が荒くなっている。
キットが怖がっているもの。
ベッドだ。
大人のジャケットがかかっていた。
下着、すら。
「……はぁ、はぁ……パパは、僕にやなことをした。毎晩、僕の身体に……やなことをする。僕を、愛してるから……はぁ、はぁ……パパとママは、それで毎晩、喧嘩してた。僕は、パパの檻の中から……出られない。」
それは、キットの人並み以上の綺麗さから起きた悲劇なのか。
まだ幼い、この子は、父親の愛欲にさらされた。
オーエンは悲しくなるが、その内面を隠し、勇気づけるように、キットの肩を両手で支えた。
「よく、知らせたね……喋ることすら、辛かったろうに。頑張った。」
「パパは、僕を愛して……僕を苦しめる。僕が助かるために、頼った神父様は、パパと同じことを要求した……僕は、パパのジャケットのホルスターから、銃を取って……」
間に合わなかった。
キットは、マーズマンを待っていた。
父に犯され、母に虐待されながら。
神父様までもが、キットの肉体を求めた。
どう考えても、被害者はキットなのに。
このままでは、キットは少年院行きだ。
罪人ではある。
人殺しでは、ある。
でも、悪の解放が無かったら?
この子は誰にも気づかれず、いずれ、自殺していたんじゃあ、ないのか。
償うのは、せめて先延ばしに出来ないのか?
生きる喜びも、この子は知らない。
助けられないか?
いいや。
ーーー助けるんだ。
オーエンは、屈みこみ、キットに告げた。
「キット。二度と武器に触らないと、約束出来るなら。マーズマンの名にかけて、君を安全な場所へ匿うよ。君は、悪の解放が無くたって、被害者なんだ。」
キットは泣きながらオーエンを見上げた。
「安全な場所なんて、あるの?銃にもナイフにも、触らない。たすけて、マーズマン……。」
オーエンは決意し、アールマティに思念を送った。
(こちらオーエン。アールマティ、僕のやることを、仲間達に情報妨害してくれ!!)
(……何をなさるおつもりですか!?)
(被害者を助ける!お願い、信じて!!)
(……信じます。元よりわたくしたちは、貴方に従う御使いです。……情報妨害を開始しました、行きなさい、オーエン!!)
「キット!部屋から、自分の大事な物だけ持って来て!僕が君を逃がす!!」
キットは急いで、キットと同じくらい大きなグレーのウサギのぬいぐるみを抱えて来た。
「ぬいぐるみ?男の子なのに珍しいね。」
「長年のイマジナリーフレンドだから……置いてけない。」
「友達は大事だ。行こう。僕から離れないでね!」
オーエンはキットを抱えて、跳躍して行く。
家屋の屋根から、ビルからビルへ。
そこへ、迫りくる圧倒的な神気。
オーエンは追ってくるのが、誰かを理解した。
「……こんな時に!?」
「オーエン!!私と戦え!一方的に殺されたく、なくばな!!」
オーエンは何とかビルを蹴って斬撃をかわした。
斬撃はビルの壁面を易易と破壊する。
「ドナ=ジョー!!!」
ドナ=ジョーは漆黒の鎧で、その重量にもかかわらず、オーエンと同じ速度で跳躍しては、剛腕で剣を振るって挑む。
「この剣は!貴様がアシャを殺した、剣だァアアッ!!」
「うわあああ!今は無理ッ!!」
オーエンは防ぎきれず、片腕を犠牲に剣を受け、身をよじって回避し、逃げる前に片腕を回収して走った。
「大丈夫?マーズマン」
「痛みはヤバいけどもう大丈夫、逃げ足だけは自信あるから!」
オーエンの走り込みは神の域だ。みるみる距離が離れていく。
「逃がさんぞ!!!」
ドナ=ジョーは三頭竜を駆使し、矢を射った。
矢は二本。
「一、二!よし!!」
しかし。
かわしたと思えば、矢は追って来た。
「えっ、追尾式?そんなの聞いてない!!」
オーエンはキットを庇いながら、ビルを駆け抜け、空高く跳び、二本を誘導して、矢と矢をぶつからせ、爆発させた。
その威力は凄まじく、オーエンは爆風で飛ばされてしまうが、なんとかキットを抱えたまま、ビルを滑り落ちて着地した。
そのまま素早く走り去った。
「黒騎士様!この情報妨害は、やはり……!!」
パリカーに黒騎士ドナ=ジョーは険しい顔で告げた。
「ああ。善神だ。仕留め損ねたな。アレを深追いしてはならん!奴の本拠地は戦力が揃っている、こちらの戦力を無益に減らすのは愚かしいのみだ!」
「はい!御心のままに!」
黒騎士は嗤う。
「どの道、アレは我が掌中よ。悪を解放した子供を連れている。向こうの動きは影の国からでも手に取るようにわかるだろう。お前達は引き続き悪の解放に回れ!人間軍団はどうだ!?」
「数を増しております!我ら悪魔と人間の勢力には、善神群とて怯むでしょう!!」
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