2-〈1〉
イライジャが、日常から消えた。
電話は、何度でも、執事のアルブレヒトさんがイライジャの方へ通してくれる。
けれど、イライジャ側から切られてしまう。
オーエンはその度、悲しくなり、受話器を置いた。
イライジャの苦しみを、話して欲しい。
でもそれは、もう僕の役割じゃなくて。
僕は、被害者だから。
ジュリーおじさんのいない朝が、もう二週間になる。
オーエンは自分で起きて、支度し、下の階でオニオンスープを飲む。
「今朝はツナのグラタン、バジルソースのパスタ、おかずはチキンフィレオと明太子ソースのサラダのラジーバーガーだよ。」
陽気な素振りで皿に盛り付けるラジーだが、オーエンはやつれた顔を気にした。
「おはようラジー。やつれたね。目の下のくまもだ。無理しないで、ずっと働き詰めだ……」
ラジーは、苦笑いだ。
「優しいオーエンだもん、こりゃ気にするか。ジュリーの奴売れっ子ホストだったかんね。僕には僕が出来る仕事をするさ。オーエンが自立するまではね。それまでは任せな、夢の家庭を壊させはしないよ。」
オーエンは焦っていた。
学校だけ頑張ればいいのでは無い。
このままでは、ラジーは倒れてしまう。
日曜日だけなら……
オーエンは短期バイトのフリー雑誌をポストから取って、スクールバスに乗った。
日曜日だけ、学生OKは、ボランティアが多い。お金をもらうのは厳しいだろうか。
そこに、介護院のプール清掃バイトを見つけた。
日曜日限定!
「おはよう、オーエン」
オーエンは慌てて雑誌を閉じた。
学校はアルバイト禁止だ。
「やぁ、ドナ=ジョー。……よかったら、座る?」
「えぇ」
オーエンとドナ=ジョーは座った。
「あの。最近、イライジャ来ないわね。お父さんが……ごめんなさい。貴方だって家族を失ったばかりなのに、こんな話題」
ミカエルの暗示で、街中が、イライジャが殺人犯だとは誤魔化されている。
「……大丈夫。そうだ。ジュリーおじさんのお葬式に、イライジャの家のお葬式も代表してたから……日曜日、もう二回すっぽかしてる。ごめんドナ=ジョー。」
「いいのよ。課題を教えるより大任だわ。……それに、生きてたら日曜日はいつだってくるもの。」
「……うん。ありがとう。」
「もし、よかったらだけど、今週」
オーエンは大変息苦しくなった。
理解があるドナ=ジョーが、また誘ってくれたのに。
「……ごめん。しばらく日曜日は、内緒で働かなきゃ。亡くなったのが、稼ぎ頭のおじさんで……」
ドナ=ジョーは、オーエンをみていた。
「そうよね。ごめんなさい、なんでわたし気づかなかったのかしら。わたしも一緒に働くわ。2人分のほうが、支えになるならだけど……」
ドナ=ジョーの優しさに、オーエンは胸が熱くなる。
「なんて、お礼を言ったらいいのか」
「いいの。こんなことくらいしか、できないし。」
「僕は君に、何も出来てないのに。」
歴史の講義中だ。
「ここで学習済のクシャーナ朝の文化に触れておこう。ガンダーラ美術とされる仏像達は、都プルシャプラにシルクロードが通っていたため、ガンダーラ地方と呼ばれ、その仏教美術の仏像の顔立ちはギリシア人に似ている。仏教の聖地である為、国はヒンドゥー教を通しながら仏教アカデミーも創立した。そうして、グプタ朝ではヒンドゥー教が定着し、これによってますますカースト制度は根強くなる。さて、ここで生まれたサンスクリット文学だが……」
オーエンが挙手した。
「テイラー」
「グプタ朝に生まれたのはヒンドゥー教の二大文学、マハーバーラタとラーマーヤナです。インドのシェイクスピア、カーリダーサの戯曲シャクンタラーや、あの。それが……」
「ん。何か他に?」
「講義に関係ないかも」
「言いたまえ」
「図書館のマハーバーラタとラーマーヤナは貸出中から三年戻ってません。学習の為、両作品を図書館に置いていただけたら。」
「それは不届きな輩がいたものだな。わたしから職員に意見を通して検討しよう。現物を読んで学ぶのは感心だ。」
オーエンは勉強しながら、頭の片隅で考えていた。不届きな輩なんだろうか?オーエンには、マハーバーラタとラーマーヤナを三年も返してない犯人は、余程、手離したくない程、二冊を好んでいるように思えてならなかった。
コロンビアの街中を、散策している2人がいた。片割れ、厳しくマッチョで、黒のタンクトップに、首から金のチェーンを下げ、ゴリラのように毛深い男は、連れに告げた。
「な、あの店。チョコレート詰め放題、行こうぜ。」
パーカーのフードを被った連れは告げた。
「欲望は程々に満たしてよい。ですが、悪食を認める訳ではありませんよ。悟空。チョコレート1枚なら買って差し上げます。」
「玄奘〜……やっぱさぁ、仏様よりヒンドゥー教のが面白いよ。天竺もそう言ってる。」
悟空と呼ばれた男は、貸出中のマハーバーラタも、ラーマーヤナも、持ち歩いて読んでいた。このゴリラこそが盗難の犯人である。
「特にビーマ!ラーマ!なぁ、読めよ、面白ぇぜ?」
「半人前が悟りの道から逸脱なさいますか。ならばチョコレートは必要ありませんね。自分のお小遣いで暴飲暴食なさい。」
「あ、あ〜……漫画買っちゃったんだよ。」
「はい?」
「漫画買っちゃったんだよ!玄奘三蔵法師様!チョコレート1枚ください!!」
放課後、オーエンが予習をしていると、ドナ=ジョーが駆けつけた。
「待たせた?」
「程よく予習が出来たよ。」
「日曜日の為の面接よね?ちょっとドキドキしてるの、放課後の寄り道は初めてだから。」
意外だった。ドナ=ジョーなら友達に困らないだろうと思い込んでいたから。
「じゃあ、行こうか。学校からは遠いけど、自宅からはそうでも無いみたいだ。スマホのナビで」
面接は上手くいった。面接官はオーエンが、ニュースで家族を失った高校生とわかり、危機に瀕した家計にも理解を向けてくれた。
ドナ=ジョーも上手くいった。
オーエンとドナ=ジョーは、帰り道にカフェラテを買い、慌ててドナ=ジョーが言った。
「つい買っちゃったけど、浪費は今日までね。」
オーエンは歩きながらカフェラテを飲み、雨でも降っていたのか、水溜まりをドナ=ジョーが避けるのを手伝った。
冬も近いが、ドナ=ジョーの靴は春の白いサンダルで、水溜まりなんか靴も足も汚れてしまう。
「夢みたいだ」
「どうして?」
「放課後に君とカフェラテを買って、帰り道についてるだなんて。……僕はそういうの、無縁だったからさ。」
ドナ=ジョーははにかんだ。
「誤解してもおかしくない発言ね、オーエン。でも。わたしも、こうしたかったんだわ。」
「……ドナ=ジョー」
ドナ=ジョーは、照れながら、向こうの道に行った。
「もう分かれ道ね。わたしの家こっちだから。また明日ね」
「あぁ、また明日」
家に入ると、無人だ。
ラジーが飛び出したのか、ラジーのバッグが玄関に放られていた。
「!!」
オーエンは入っていく。ラジーが危ない。
「ラジー!?」
いや、ラジーは家からは脱出したんだ。
家の中に敵がいるなら。
「誰だ!!出てこい!!!」
各ドアから、何人も現れた。
武装はしていないが、魔術師や錬金術師の可能性もある。
「アンタ達、誰なんだ」
一同は頭を下げて一礼した。
「お初にお目にかかります、アフラ=マズダ様。」
「我々は、エジプト・メイソン・リーです。あなたがたに、カリオストロを送った秘密結社です。怒りをお抑えになられよ、神よ。」
オーエンは怒りに顔を歪めた。
「カリオストロの仲間が、僕の家に入り込むな!!」
オーエンは何人も相手に、打ち倒しては窓から追い出す。が、数が数だ。
オーエンの背後から2人、近づいてきた。
「わたし達は、アフラ=マズダ様側の味方です。」
いきなり誰もいなかった台所から、ラジーが現れた。フライパンでどん、どん、と2人を打ち倒した。
「ラジー!」
「カリオストロの糸、役に立ってね。守護して貰って隠れてたよ。さぁ、こいつらを窓から追い出してっと。いつまでも夕飯が作れやしないよ。参った。」
「こいつら……エジプト・メイソン・リーは、カリオストロの仲間で、アフラ=マズダ側ってことか……だから、イライジャに酷いことを。」
「その代わりアフラ=マズダのオーエンには手出ししない。どうしたもんか。最終手段、使うしかないなぁ。」
「最終手段?」
ラジーはテキパキとエプロンを巻いて、調理を始めた。
「こっちで電話しとく。オーエン、夕飯までにシャワー浴びてていいよ。ごゆっくり。」
オーエンがシャワールームからパジャマに着替えてリビングにやって来たら、旅支度のミカエル・サンダースが椅子に座っていた。
「はーい。護衛のお姉さん、衣住食付きで依頼を受けました〜♥とりあえず結界で家宅には侵入出来なくしたから、安心して?」
「ミシェ、熱々のウインナーはいかが?冷えたビールをお供にね。」
ミカエル、ウインナーをパリッと頬張りながらビールを飲んだ。
「最っ高。マジでラジーは気が利くわぁ〜。オーエン、アンタも夕飯食べなさい。なにぽかんと見てんのよ。」
オーエン、心配げにラジーに尋ねる。
「依頼料は?ラジーの負担がデカすぎるよ。」
「依頼料の請求はオーエン自立後、月々払える分で長生きしなさいってさ。優しさが染みるね。アタシ泣いちゃうわ。」
「そうか……よろしく、ミカエル。ラジー、卵とポテトのキッシュを切って」
「あい〜。ジグザグジグザグ。」
「あ……そうだ。僕、ドナ=ジョーと日曜日働きに行くよ。介護院のプール清掃だから。汚してもいい服があったら、出しておいてくれるかな?」
「え。オーエン、いいのに」
「皆の生活なんだ。皆で家庭を守ろうよ。」
「参ったな。じゃあ、言葉に甘えて、家計に足させてもらう。それはそれとして、日曜日はドナ=ジョーと楽しんでおいで。」
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