6-〈18〉
ドナ=ジョーは、鼻歌を歌いながらお皿洗いをしていた。
お皿をタオルで磨いて、テーブルに置く。
「これで良し。」
アジ・ダハーカがミラーから告げた。
「健気は我慢の元だわ、ドナ……あまり悪性を溜め込んだら、アフラ=マズダの花嫁になる前に、貴方は天国に入ることすら危うくなる。」
「これは我慢じゃなくて、わたしの自己満だから。お世話になってるアシャに、ちょっとだけど恩返しよ。」
その時、インターホンが鳴った。
ドナ=ジョーは驚いてから、警戒した。
アシャの自宅は、バイトの同僚すら知らないはずだ。
アシャとの約束を守って、ドナ=ジョーは居留守した。
(まだ、いる?)
(声を立てない方がいいわ。悪意を感じる……近づいているわよ。)
(え?)
玄関から物音はしない。
ドナ=ジョーが戸惑った。
その時だ。
窓ガラスが粉砕されて、ドナ=ジョーは思わずしゃがみ、頭を抱えて悲鳴を上げた。
「きゃあああああああ!!!」
窓ガラスを粉砕したのは、ビンテージの斧だ。
入って来たのは、アシャを見逃してくれていた、優しいはずの近所のおじさんである。
「お前ら、何故団欒しやがる?俺は唯一の大事な娘を失っているのに。何故、お前らには幸せが?」
歩み寄って来るおじさん。苦しそうだ。彼だって不幸を耐えて、生きて来たんだ。
「おじさん……」
(立ちなさいドナ!彼は、悪を解放されているわ。逃げなければ貴方は殺される!!)
わたしと同じ、おじさん。
だけど、逃げなければ。
ドナ=ジョーはフライパンを手に取り、玄関に走って外に逃げた。
だが、肉体労働で鍛え抜かれたおじさんの脚は速く、すぐ追いついて斧を振り回した。
「幸せな奴は殺してやるッ!!!」
「うわあああああああッ!!!」
ドナ=ジョーはフライパンで応戦したが、おじさんは賢く、フライパンのグリップを斬り裂いた。
フライパンはガランガランと音を立てて落ちる。
「あぁッ!!アジ・ダハーカ、助けてッ!!!」
ドナ=ジョーと入れ替わりに出てきたアジ・ダハーカは、自身の三頭竜であった三匹の蛇を繰り出し、おじさんを拘束した。
「わたくしの蛇は無限に再生するわよ。逃げなさいドナ、今のうちに!」
ドナ=ジョーは走って逃げながら尋ねた。
「殺す訳にもいかないのね!?」
「そうよ。話したでしょう。貴方を天国に送るには、これ以上の殺人は出来ない!逃げて、助けを呼びなさい!!」
ドナ=ジョーは泣きながら逃げた。
走馬灯のように、記憶が走り抜ける。
助けてくれた、アシャの笑顔。
想い続けた、優しいオーエンとの、甘酸っぱい思い出。
会いたい。
オーエンに、会いたい。
生きたい!!
ドナ=ジョーはかなり離れてから、電話ボックスに入った。
スマホが普及した中で、幸いにもここいらは都市の開発が進まずに、撤去されていない、レトロな赤い電話ボックスだ。
ドナ=ジョーは泣きながら非常時用のテレフォンカードを差し込んだ。
知ってる電話番号は、これだけだ。
暗示軍団の手足をアサルトライフルで撃ちまくっていたセオドアは、走り屋らしく耳が良く、銃声の中でもスマホの着信に気づいた。
セオドアは、覚悟していた。
その電話がいずれ、かかってくるのを。
セオドアは通話に出た。
「ドナか?」
「助けてセオドア!襲われてるわ!今、セントルイス通りを抜けた電話ボックスにいる!」
ドナ=ジョーは話しながら気づいた。蛇に絡まれながら、おじさんはここを目指して走って来ている。
道に、血の道標があった。
ドナ=ジョーは自分の手を見た。
フライパンのグリップを握りしめていた両手から、血が流れていた。
「あぁッ……ああああ!!」
「ドナ!?」
「逃げなきゃ!わたしを探して、セオドア!!」
電話ボックスに斧の一撃が振り下ろされ、ドナ=ジョーはガラスの破片で血まみれになりながら、受話器を落とした。
「きゃあああああああ!!!」
悲鳴の後、ドナ=ジョーからの会話が途切れて、危機を察したセオドアは、仲間たちに声を張り上げ、シボレーエルカミーノに乗り込んだ。
「俺は妹を助けに行く!この場は任せるぜ!!」
チーム、ヴィンテージ・ドミニオンズが返した。
「行ってきな!!」
「しゃんとしなさいよ、セオドア!!」
セオドアのシボレーエルカミーノは走り出す。
目的地付近を目指し、加速して行く。
(ドナ……!!)
セオドアもまた、幼かった頃からの妹の記憶が、走馬灯のように駆け抜ける。
ドナ=ジョーは走っていた。
おじさんは速く、先回りして斧で襲いかかる。
「うわあああああッ!!!」
なんとかかわしたが、このままでは持たない。
ドナ=ジョーでは逃げきれない。
自衛しなくては。
セオドアが来るまで、自分で戦わなくては。
(アジ・ダハーカ!近くに工事現場か、武器の落ちている場所は!?)
(西南よ!工事中、幾らでも鉄パイプが落ちているわ。)
ドナ=ジョーは走って行き、工事中の建物の周りに置かれている鉄パイプを握りしめ、追いかけて来るおじさんに構えた。
「女は許せねぇ……俺から娘を奪った、妻が、許せねぇ!!!」
涙するおじさん。
おじさんの斧の一撃は鉄パイプでは防げないから、ドナ=ジョーは身をかわし、おじさんの横腹に鉄パイプを叩き込む。
「はぁッ!!!」
おじさんにようやくダメージが通ったが、なんと、長年肉体労働をしてきたおじさんの筋肉の硬さに、鉄パイプが曲がってしまう。
ドナ=ジョーは咄嗟に走り出し、次の鉄パイプを拾って構えた。
「痛ェ!痛ェ!!妻と同じだ!!養う為に働く俺を、不満がって、お前は暴力を振るうんだ……!!」
おじさんの涙は、苦しみだ。
ドナ=ジョーは、自身の危機でありながら、おじさんの不幸を悲しく思った。
おじさんは、わたしを殺したいんじゃあない。
唯一の幸せである、娘さんを奪った、奥さんを殺したいのだ。
「今度こそ!!今度こそ、お前を殺してッ!!!俺は、娘と暮らすんだッッ!!!!」
おじさんの渾身の一撃を、避けるスペースが無い!
ドナ=ジョーは咄嗟に鉄パイプで一撃を受け止めた。
鉄パイプは溶けるように斬り落とされ、ドナ=ジョーの肩には深々と斧が刺さった。
激痛。
だが、怯んでいては、死ぬ。
ドナ=ジョーは、斬られて鋭利に尖った鉄パイプを、渾身の力でおじさんの胸に突き刺した。
「うあぁァァァああああああああッ!!!」
おじさんは、斧を握ったまま、身動きが取れず、自分の胸に突き刺さった鉄パイプや、胸から溢れ出す血を、呆気に取られて見ていた。
おじさんはふらついて、しばし後退して通りに出ると、自分の斧に付着した、べっとりとした多量の血を見て、言った。
「これだけの深手を負いながら……?」
おじさんは心臓の傷が浅かったのか、まだ生きている。
次は防げない。
ドナ=ジョーは深手を負った肩を抱え、塀にもたれてずるずると膝をついた。
塀には、血の跡がついている。
「オーエン……!」
生きたいと願う。
彼に、生きて、会いたい。
「道連れだ……お前も、死んでくれ……!!」
おじさんも最期の力を振り絞って、歩いて来る。
斧を、かかげる。
「あぁ……!オーエン、わたし……!」
生きて、貴方に、会えないかも。
その時。
車、だと思う。
速すぎて、ドナ=ジョーには認識出来ないが。
車が、おじさんを跳ね殺した。
凄まじいドリフトで車は止まる。
通りにタイヤの跡がついていた。
車は、トワイライト・イエローの、シボレーエルカミーノ。
セオドアだ。
セオドアが降りてきた。
「よぉ、ドナ。生きてるか?まぁ、死体ではあるがな。」
ドナ=ジョーは涙が溢れた。
「セオドア!!怖かった!!セオドア……!!わたし、生きてるわ……!!」
駆けつけた妹を、セオドアは優しく受け止めた。
「お前は、辛い人生だったな、ドナ。俺が守ってやらなきゃならなかった。」
「今、守ってくれたわ……わたしの、理不尽な怒りは、もう済んでる。」
「ドナよ。家族を殺したのは……悪魔では無く、お前なんだろうさ。」
ドナ=ジョーはギクリとして、だが潔く答えた。
「そうよ。わたしは、酷い殺人鬼だった。今も、悔いているわ。お母さんへの愛より、憎しみが勝ってしまったこと。あの優しい笑顔が、二度と見れない過ちを犯したことを。」
セオドアは、ホルスターから拳銃を抜いて、ドナ=ジョーに銃口を向けた。
「!!……セオドア……!!」
ドナ=ジョーは息を飲み、後ずさる。
セオドアは悲しげに、だが、責任強く、告げた。
「俺は、兄として決着をつけに来たぜ……ドナ、お前に良心が残っているうちに、俺がお前を殺す。お前は天に還って、今度こそ、恵まれるべき人間だ。俺は地獄行きでも構わねぇが……お前には、地獄は相応しくねぇからな。」
ドナ=ジョーは、兄の理念に納得し、自らもまた、覚悟を決めた。
「セオドア。わたしもまた、願いも信念もあるの。今、ここで、死ぬ訳にはいかないわ。」
セオドアは頷いた。
「いいぜ。本気を出せ、ドナ。全力で抗って来い。俺も、全力でお前を殺しにかかるからな。」
ドナ=ジョーは立ち上がり、肩を庇いながら、俯いた。
(アジ・ダハーカよ。わたしに力を使わせて。)
(力は貸すわ。けれど、ドナ。セオドアを殺してはいけない。貴方の為なのよ……。)
(それでも。殺さなければ、わたしが殺される。わたしはここで打ち勝つ!)
ドナ=ジョーは闇の霧に覆われていく。
漆黒の羽根の髪飾りに、黒いチュチュドレス。真っ黒なバレエシューズに、その姿を変えて行く。
三頭竜たる三匹の蛇を従え、彼女は優雅な姿で、しかし凛々しく降臨した。
セオドアはあまりの神気に、人間でさえ理解出来る程の危険性を感じた。
「お前の本気はヤバそうだ。先手を打たせてもらうぜ!!」
セオドアは拳銃で容赦なく弾丸を連射し、ドナ=ジョーは撃たれた部位からぐらつき、血を吹き出す。
だが、彼女は倒れない。
ドナ=ジョーは三頭竜を弓矢の形に変えて、臨戦態勢を取る。
セオドアは素早く拳銃を捨てて、愛車の荷台に積んだマシンガンを持ち出した。
「喰らいな!!」
マシンガンの連射で、ドナ=ジョーの肉体はまるで蜂の巣だ。
だが、ドナ=ジョーは弓矢の弦を引いた。
「わたしは、生きる……!」
二本の蛇の矢には、魔力が込められていく。
「生きて、オーエンに!会うんだあぁァァァッッ!!!」
ドナ=ジョーの渾身の矢は放たれた。
セオドアはラジエルの守護結界が破られたとわかるや、ラジエルの守護を身体に貼り付けて、手榴弾の爆発の中に身を隠す。
セオドアに当たらなかった二本の蛇の矢は、向かいの建物を瓦礫の如く崩壊させた。
蛇はドナ=ジョーの手に戻って来て、ドナ=ジョーは矢を弓につがえながら、セオドアを追う。
銃跡は再生し、肩の深手も治癒してゆく。
セオドアは愛車からロケットランチャーを背負い出した。
「ドナ。墓場で会おうぜ!!」
セオドアはロケットランチャーを発射した。
ドナ=ジョーは直撃を受け、身体がバラバラに吹き飛んだ。
(死ぬのね……こうまで抗っても、セオドアには勝てない)
兄は強くて。ドナを庇ってきて。
今、兄は立ちはだかる。
強大過ぎて乗り越えられない、壁だ。
(ドナ……)
ドナ=ジョーは眼差しを鋭く変えた。
曲げられない決意がある。
兄を越えなければ、願いが叶わぬならば。
「死なないわ……!三頭竜よ!」
蛇達は脚や腕を運び、ドナ=ジョーはその才ある稀有な悪性の力で、無理矢理肉体を繋げて再生した。
「うぅぅぅあぁぁぁッ!!」
「ドナ……!!」
ドナ=ジョーは、ちぎれんばかりの覚束無い肉体で、立ち上がり、弓に矢をつがえた。
覚悟。
彼女を突き動かすのは、ただ、覚悟のみ。
「セオドアァァァッ!!わたしは、貴方を乗り越えて、前に進むんだァァァッ!!!」
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