6-〈14〉
アシャは夜八時にアパートを出た。
煮込み料理ばかり得意な分、遅くなってしまう。かといって、ドナ=ジョーにとって大事な夕飯の団欒を、疎かにはしたくないが。
鎧を着込んで背中に帯剣し、パトロールに出向くと、二、三人助けた後で、黒い小型犬が見えた。
「あのわんちゃん、どこかで……」
犬が、ナイフを持って暴れる暗示にかかった人から、市民を庇っている場面に鉢合わせた。
「わんちゃん?戦っている……?」
アシャは走って行った。
黒い小型犬は背後の市民に怒鳴った。
「何をしている、早く逃げろ!悪魔のわたしが、わざわざ人助けなどを!していると言うのに!」
アシャも驚いたが、市民はかえって逃げられない。
「わんちゃんを置いていけないわ!わたしもジョンていう犬飼ってるし、愛犬家なの!わたしが……通り魔を殺す!!」
市民は自己防衛用の銃を出し、ベルフェゴールは激おこだ。
「だからアメリカ人は嫌なんだ!銃をしまえ!殺してはならんぞ!!通り魔は悪魔の暗示にかかっただけなのだ!!君と同じ一般人なのだぞ!?むむ、何故わたしが悪魔を悪く言わねばならないのだ!愚かな人間たちめ。」
「でも、わんちゃんが危ないわ。」
「何の寸劇かわからねえが……犬ごと、死ねェーーーッ!!」
暗示の通り魔がナイフを振るうと、ベルフェゴールが霧のブレスを吐いた。
通り魔が膝をつく。
「何だ……?」
「安心したまえ、痺れ霧ブレスだ。」
通り魔は迷い無く、身体が動くうちに、ナイフを自らに向けた。
「何!?よせ!!」
「情報は更新されている。自分を殺しても殺人は遂行される!悪の投票は成されるのだッ!!」
アシャが通り魔の手からナイフをたたき落とした。
「何奴?」
ベルフェゴールが振り向いた。
「よく殺さずに戦ってくれたな、悪魔のわんちゃんよ。俺が暗示を解こう。」
アシャの聖なる火が、通り魔を包み込む。
ベルフェゴールは焦った。
「死んでしまうぞ!?」
だが、肉体は燃えない。通り魔の中の悪神群の干渉である、暗示だけが塵となる。
「俺……は?」
アシャが屈んだ。
「貴方は悪神群の暗示によって、人を襲っていたんです。だが、安心してくれ。この悪魔のわんちゃんが、被害者を助けて、時間を稼いだ。おかげで暗示を解く事が出来ました。」
まだ身体が痺れてる暗示が解かれた人は、アシャとベルフェゴールを見て、尋ねた。
「あんた達、マーズマンの仲間の……ジャスティス・ナイトと、わんちゃんのベルフェゴールか?被害者のアンタは、わっ!!」
被害者は銃口を向けたまま、やり取りを見ていて、慌てて銃口を下げた。
「ごめんなさい。暗示にかかった人……わんちゃんは、ベルフェゴールって言うのね?逃げなくて、ごめん。」
ベルフェゴールはため息をつき、愚かな人間とは話したくないようだ。
ベルフェゴールは、アシャに告げた。
「ミカエルとはぐれた。まさに迷い犬だ。だが、善神群は嫌いなものの、君と救助活動すれば効率はいい。行くぞ!アシャ・ワヒシュタよ!!」
アシャは慌てて追いかけて、走った。
「わんちゃん!あの二人、負傷は?置いて行って大丈夫かい?」
「全くの無傷だ!わたしを犬と甘くみて見惚れて、間抜けな人間め。」
アシャは告げた。
「逆に作戦に出来るぞ。君の見た目のインパクトで隙をつけるんじゃないのか?」
「……なるほど。そら、次の通り魔発見だ!わたしが可愛らしく行こう!」
通り魔は銃口を人に向けるところだ。
「くぅ〜ん、ペロペロペロ、はっはっはっ」
ベルフェゴールの媚び作戦が、通り魔の狙いを外させた。
「あ、わんこ?可愛、あっ」
弾丸が街灯に当たり、狙われていた被害者が慌ててうずくまる。
「きゃあああ!!」
ベルフェゴールが頭を悩ませながら怒鳴った。
「逃げろと言うに!!」
アシャは通り魔が二発目を放つ前に、蹴りで拳銃を飛ばし、聖なる火で焼いた。
「順調だ。」
「よし。次に……」
「あぁッ……う、あぁ!!」
ベルフェゴールとアシャが振り向くと、通り魔に狙われていた被害者が、大勢存在する女悪魔、パリカーの一人に、刺殺されていた。
「被害者が!」
ベルフェゴールがアシャを抑えた。
「よせ!あれは助からん!あの女悪魔の撃退が先だっ!!」
パリカーは何故現れたのか?
疑問だが、まずは倒さなくては。
「これ以上犠牲は出させん!俺が相手だ!」
アシャは背中から剣を抜き放ち、パリカーに斬りかかった。
「やああああッ!!!」
パリカーは大勢存在するとはいえ、悪神群と同格の強さを持っている。
アシャの剣をナックルクロウではじき、素早くアシャの首に斬りかかる。
「わたしの手柄だあああッ!!」
アシャの首元の鎧がナックルクロウを弾く。
アシャの切り返しでパリカーの腕が斬られて飛んだ。
しかし、パリカーは切断された腕と、自身の腕のナックルクロウで、両サイドからアシャに斬りかかった。
アシャは跳躍して下がって攻撃をかわしてから、前に走り込む。
「たあああッ!!!」
パリカーは各個体ごとに能力を有するが、このパリカーは突風を起こし、アシャの至る所を斬り裂いてきた。
「くぅ……ッ!!」
血が吹くが、アシャは強引に走って進んだ。
「はぁッ!!!」
アシャは力押しに剣を横振りし、パリカーの胴体を斬り捨てた。
アシャは鎧で覆われた場所以外は血まみれになって、やっと剣を降ろし額の血を腕で拭った。
パリカーは最期に告げた。
「ふふ、ははははは……手遅れだ……アシャ・ワヒシュタ……地獄の到来は、我らの、手に」
アシャは聖なる火で火柱を立てた。
「断罪、決行!!」
聖なる火柱は、パリカーの腕と胴体、下半身を焼き払った。
パリカーは塵になって消えた。
ベルフェゴールが非難した。
「冷酷な男だ。悪魔だからと、事情聴取もしないとは!野蛮な善神群め。」
アシャはベルフェゴールも悪魔だったことに気づいて、屈んで謝罪した。
「怖がらせてすまない。確かに、正義だけでは救えないものもいる。君だって悪魔の側から人間達を助けているんだ。断罪は、早まったかもな。」
ベルフェゴールはアシャを見て、愚かと見なしたのか、何とも返事はしなかったが、代わりに尋ねた。
「悪魔を抱えているな?」
「……何故それを?」
「悪に理解があるらしい。だから、悪魔を匿っていると考えたのだ。善神群にそれは不可能。しかし、君は人間と融合している。人間には、悪がある。悪魔と意思疎通をはかれるのは、君が人間だからだ。」
アシャは、自身の中の正道を考えた。
人に寄り添う為の、正義を。
「この、気持ちは……俺の中の……ザシャなのか……?」
ベルフェゴールは自主的に匂いを嗅ぎ周り、推理した。
「あの通り魔の一度目の射撃だが……わたしに気を取られたフリは、わざとかもしれん。悪魔の匂いがプンプンする。コロンビアの街灯は全て、ミカエルやサタンが魔除けの術式をかけて回っている。灯りが途絶えた途端に女悪魔は現れたのだ……。」
アシャは立ち上がって割れた街灯を見た。
「通り魔の真の狙いは、魔除けの破壊なのか?」
「悪魔として言わせてもらうならば、魔除けの破壊は一番合理的だ。人間を使う必要性も無く、直に悪魔が蔓延れるからな。」
ドナ=ジョーは、自ら洗面所の鏡に来ていた。
鏡の自分に語りかける。
「わたしは……悪を抱えてしまったわ。どこからが、わたしの失敗だったのかしら。お母さんを愛し……妹達だって天敵ではあったけど、可愛いところも、あったのよ。」
鏡のドナ=ジョーは肩を竦めて返した。
「その問いは、貴方自身の悪であるわたしじゃ、わからないわよ。」
ドナ=ジョーは尋ねた。
「アジ・ダハーカは?」
鏡のドナ=ジョーはアジ・ダハーカと入れ替わった。
今のドナ=ジョーには、なぜアジ・ダハーカがブラック・スワンのバレエチュチュドレス姿なのかが、わかる。自身の願望、写し身の姿だからだ。
「……学ぶのは構わない。けれど、昨晩のように嘆かないで、ドナ。わたくしは、貴方の悲しみは望まない。……貴方の強大な悪の始まりは、貴方の善性から生まれているわ……貴方の深く健気な愛よ、ドナ。泣いてる母親をほっとけない、貴方の優しさ。その責任感。強過ぎる善性が、貴方の首を絞めたわ……母親をほうっておけば、貴方は自由になれたし、セオドアが少しは母親を背負ったでしょう。あるいは、家庭崩壊したら、貴方の父親は、自らの過ちに、気づけたのかもしれないわ。妹達だって、自分を守って突っぱねても良かったの。バレエの夢だって、押し通していいの。妹達には、バレエなんてただの幼少期の遊びなのだから……」
ドナ=ジョーは涙を一筋流した。
自ら、皆を背負うことで、悪に堕ちてしまった。愛する家族を殺してしまった。
アジ・ダハーカの言う通りだ。
もっと自由気ままに、自分の夢だけ追っていれば良かった。
そうしていたら、家族を愛し、憎むことなど、無かったんだ。
「わたしは間違っていた……でも、わたしは目覚めてしまったの。もう善性には、戻れないかもしれない……セオドアが、兄が憎いの……わたし達に多額の借金を押し付けて、借金取りの電話や苦手なことからあの人は逃げて……もう幼い頃に守ってくれた、愛する兄じゃないわ。」
アジ・ダハーカは真摯な眼差しでドナ=ジョーに告げた。
「わたくしから見て……セオドアは変わってはいない。善にも悪にもなる、一般的な人間よ。彼を、愛し、憎むことは否定しないわ……けれど、セオドアを失えば、貴方は本当にオーエンの元に帰れなくなる。セオドアは貴方を縛りはしないでしょう、殺すべきではないわ。わたくしは、貴方自身を愛してるわ、ドナ。悪神群に貴方がついたら、わたくしは嬉しいけれど……貴方は、苦しむわよ……。わたくしは、それを手放しには喜べない。」
ドナ=ジョーは聞き返した。
「アジ・ダハーカ?どうして、わたしの心配をするの?」
「わたくしは貴方の悪を愛しているからよ。貴方の原動力はその愛と憎しみ……でも、貴方は複雑な人間で、貴方の強い理性は貴方が秘める巨大な悪を押さえつけるし、貴方はその理性から、きっと自分を責めて苦しむはずだわ……わたくしは貴方に自由になって貰いたいだけ。貴方の悪性に焦がれているだけ。けれど、グレーゾーンを越えたら……貴方はオーエンの元には、帰れない。貴方はわたくしに支配されていた方が……悲しみの道には、行かなくて済むのかもしれないわ。」
ドナ=ジョーは、揺らいだ。
「オーエン……」
ドナ=ジョーは、悪への決意を固めながらも、オーエンとの日曜日、共に清掃したことを思い出す。
学校からの帰り道に、カフェ・ラテを飲んで。
水溜まりからサンダルが汚れないように、オーエンがエスコートしてくれたことも。
彼は優しくて、賢くて。
ずっと遠目に見て恋焦がれて。
課題を頑張って、少しでも近づきたかった。
愛する人。
あの人を殺したくはなかったし、あそこで自分が死ぬのは納得が出来た。
怖かった、けれど。
「わたしは……オーエンの、敵……?」
不安が押し寄せた。
アジ・ダハーカすら、自身を心配している。
このままでは、アジ・ダハーカの関与無く、自身は自ら深い闇に堕ちてしまうだろう。
アシャに会いたい。
アシャは、唯一の理解者だ。
アシャなら、わたしを止めてくれる。
待たなくちゃ。
急いては、誰か殺してしまう。
落ち着いて……待たなくちゃ……。
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