6-〈7〉
アシャは帰り道は跳躍して行き、アパートのドアの前で鍵を出して、鍵を開けた。
アシャが帰宅すると、ドナは踊っていた。
集中しているのか、アシャに気づかない。
ゆっくりと脚を上げて廻る。
優美な、バレエだ。
とても、綺麗だった。
まるで、そこだけスポットライトを浴びた舞台のようで。
アシャが見入っていると、ゆっくりと回っていたドナ=ジョーと、目が合った。
「ひゃええ……」
ドナ=ジョーはたじろぎ、慌てて取り繕った。
「ごめんなさい!!不謹慎だわ、わたしの手で家族が死んだのに……。これは、ちょっと現実逃避してたの……素人の、お目汚しだけど……。」
見られたことを恥じ入るドナ=ジョー。
アシャは感動して、思わず拍手をした。
「すごいな。まるで、チケット無しで劇場に迷い込んだかと。ドナ=ジョーは、バレエを習っていたのかい?プロのバレリーナみたいだ。」
アシャが褒めると、ドナ=ジョーは控えめに笑って、語る。
「……嬉しいわ。素人なりに、わたしの本当の夢は、バレリーナになることだったから。でも、バレエを習ったのは、幼い頃に一、二年だけ。わたしの後に生まれ育った、二人の妹達がバレエ教室に通い出して、とても綺麗だった。二人は、生まれつき美人だしね。家が貧しかったし……月謝が妹達で精一杯で。わたしはバレエを諦めて、妹達の世話につとめたの。でも、妹達のバレエを見ながら、時々一人で踊るのよ。わたしはお姉ちゃんだから、ある程度は我慢するけどね。」
アシャは、この少女の夢を笑わないし、学業を終えて、働きだしたら、好きにバレエ教室に行けたはずだ、と思う。
「君だって美人だろう?学園のマドンナだと聞いたけど。」
ドナ=ジョーはため息。
「後天的には、そうね。でも、子供の頃は不細工で太りやすかったから、わたしは。醜いアヒルの子を繰り返し読んで、自分を励ますのが日課だわ。」
「ハンス=クリスチャン・アンデルセンか。醜いアヒルの子はハッピーエンドだよ。君は、幼少期から成長した、白鳥の子なんだね。」
ドナ=ジョーは控えめにだが、微笑んだ。
「白鳥なんて言われたの、初めてだわ。そうね……美しい白鳥は、嬉しい褒め言葉だわ。ありがとう、アシャ。」
アシャは、持ち帰ったアップルパイの包みを皿に出し、カップに苺のジュースをそそいで、ドナ=ジョーに差し出す。
「アフラ……オーエンに会ってきたよ。彼は、君の苦しみが酷ければ、天に還してあげるべきだと。僕が守らなくちゃいけない人だと、言っていたよ。アップルパイは、彼の育てのお父さんのお手製だ。おやつがまだだろう?」
ドナ=ジョーはオーエンの優しい言葉に、つい涙が一筋流れた。アップルパイを口に運び、泣きながらアシャに告げた。
「アシャ……アップルパイはありがとう。でも、オーエンのそんな優しい言葉を聞かされたら、涙でアップルパイがしょっぱいわ。」
アシャは慌ててハンカチで涙を拭ってあげた。
「すまない。俺はデリカシーが欠如しがちだ。おやつタイムに言う話じゃなかったな。」
「いいのよ。有難くて、出た涙だから。」
アシャは、彼女に起きた不幸を、改めて、ぬぐいさってやりたい、と願った。
「……君は善人だ。俺は、君を出来ることなら、火で焼く事無く、助けたい。ドナ=ジョー。教えてくれ。君の魂は、どうやってアジ・ダハーカの中に残された?」
アシャに答える為に、ドナ=ジョーは、ベッド下に置いたノートを取り出して、開いた。
「わたしって本当に馬鹿で、物覚えが悪いの。だから、わかった範囲をノートに書いたわ。ノートを見ないと、やっぱりわからないんだけど……」
「構わないよ。ノートを見ながら、話してくれるかい?」
ドナ=ジョーは頷き、ノートのページをくくりながら、話した。
「わたしを、支配している悪魔が、確か、アジ・ダハーカだわ。わたしは死んだ時、臨死体験みたいな経験をしたの。この遺体には、もう、いなかったのよ。天国みたいな……見た事が無い文明の、けれど美しい王国のような場所に、いたんだと、思うの。アジ・ダハーカが復活したのは、確か……悪魔の仲間達の、悪の……投票よね?先にいたのはアジ・ダハーカなの。後からわたしが遺体に戻ったのも、多分それに似てるわ。わたしはおそらく、オーエン達が街の人たちを助けたから……善の投票で、肉体の支配権が、ちょっとだけ、あるんだと思うの。誰かが、ええと……クシャスラ、さんが、わたしに言ったわ。善の投票で、わたしは生き返ることも出来る……天国が降りたら、皆が生き返るんだって……それは、オーエン達次第、なんだわ。」
アシャは確信を抱いた。
「クシャスラが!?君は……天国からの、前兆なのか……!」
アフラ=マズダ様の王国だ。
そこで、天使クシャスラが彼女を送り出した。
ドナ=ジョーの体験を、天国の到来の前触れと感じ、アシャは信じた。
「今夜、パトロールの時に、オーエンに話してみよう。俺たちが善の投票を頑張れば、君は助かるんだ。」
「そうなのかな……ううん。わたしも、体験を信じてみるわ。」
アシャはスーパーで買った食材をテーブルに置き、片手にぶら下げた紙袋をドナ=ジョーに差し出した。
「ドナ=ジョー。これを。シャワールームで着替えるんだ。女性天使のアールマティにスキャンを頼んだから、多分サイズは正しいはず。ただ、俺はファッションがわからないから……店員に聞きながら買って、だいぶ恥ずかしかった……俺が着るみたいに思われてしまって。」
ドナ=ジョーは自分の血塗れの服を見てから、紙袋の中身をそっと開いた。
衣服だ。
「編み上げリボンがついてる……!可愛いわ!ありがとうアシャ!着替えてみる!!」
「あぁ。俺は夕飯を作ってるから。少しかかる、シャワーを浴びててもいいぞ。バスタオルはこれ。」
「ありがとう!早く出て来て、手伝うわね!」
ドナ=ジョーが去ると、アシャはキッチンに立った。
まずはキャベツを半分、ザワークラウトにして、残り半分はボールへ。
ブロック肉を大きめに切り、塩コショウする。フライパンで表裏焦げ目をつけてから、沸騰した鍋へ。
人参は、二分の一をみじん切りして、玉ねぎスライスとじゃがいもと、別の鍋で茹でる。
余った人参と玉ねぎとじゃがいもは、大きめに切って、肉を煮ている鍋に加えた。
ここは荘園と違い、ダシをとる野菜が山ほどある訳ではないから、コンソメ、シナモンスティック、タイム、セージ、ローズマリーを肉の鍋に投下。
茹でていた野菜が火が通ったら、水切りする。
しかし、じゃがいもをボールで潰しながら、アシャは買ってきたマヨネーズを睨んだ。
ここはドイツじゃあない。ジャーマンポテトでは無く、ポテトサラダの方が、ドナ=ジョーの口に合うだろう。
しかし、アシャ=ザシャは荘園育ち。
マヨネーズの使い方が、わからない。
そこで、ドナ=ジョーが本当に早くシャワーを終えて、着替えて、やってきた。
リボンがついたトップスや、フリルのついたショートパンツや、レースのタイツが、よく映える。確か店員は、流行りのバレエコアだと話していた。アシャが店員に伝えたイメージは、正しく反映されたらしい。
「早かったでしょ?手伝うわ。」
「本当に、随分と早かったな。髪が長いのに。」
「うちは大家族だし、わたしやお母さんが早くないと。妹達は、わたしとお母さんが洗ってあげないと、髪の毛が洗えないの。」
アシャは瞬きした。
「え。妹さん達、何歳?」
「14歳よ、二人とも。妹達は、うちのお姫様だから。」
アシャはちょっと考えた。
ドナ=ジョーはだいぶ苦労性だ。
「姉という立場は……苦労が多いんだな。」
「まぁね。これ、マッシュポテト?それともポテトサラダかしら?わたしが混ぜるわ。得意なの。」
アシャがマヨネーズを片手に、尋ねた。
「ポテトサラダだよ。良ければ、マヨネーズの加減を、教えてくれないか?俺はかなりの田舎の出で、さじ加減がわからない。」
ドナ=ジョーは張り切った。
「任せて。マヨネーズはこの位かしら……アシャ、その人参と玉ねぎを入れて。わたしが混ぜてるから。」
アシャは言われた通りに野菜をボールに入れた。
「頼りになるな。俺は肉の煮込みを見てみる、ポテトサラダは任せていいかい?」
「任せて、得意だから。」
アシャが肉と野菜の煮込みを、味調整していると、ポテトサラダが終わったドナ=ジョーが、冷蔵庫の中を見た。
「アシャ?使ってない卵がある。明日賞味期限だわ。使ってもいい?」
「君の好きにどうぞ。一人暮らしじゃ、使いきれなくてね。」
ドナ=ジョーはアシャが野菜を茹でた鍋をリサイクルし、湯を沸かして、卵を茹でた。
「アシャ?お肉がまだなら、ゆで卵の殻を取るの、手伝ってくれる?」
「ん?勿論だ。」
ゆで卵の殻を外すのも、何だか二人だとレクリエーションのようで、楽しい。
「全部剥けたから、作っちゃうわね。」
ドナ=ジョーはボールに剥き卵を入れ、潰して、塩コショウし、マヨネーズで和える。
最後に、レモン汁を垂らして、和えた。
「これが……タマゴサラダかい?本当にこういうの、得意なんだな。」
「うん。今日アシャがパンを多めに買って来てくれて、よかったわ。パンを薄切りして、と……」
ドナ=ジョーは薄切りパンにバターを塗って、タマゴサラダ・サンドを仕上げて、皿にラップしてから、冷蔵庫に入れた。
「明日の朝ごはんは、冷蔵庫から出せば食べられる。」
アシャは感心した。
「普段は、君を庇護する立場だが……キッチンでは頼もしい、君の方が逞しいな。」
ドナ=ジョーは笑った。
「お母さんのお手伝いしてるから、役に立てたのかしら。でも、学校の課題は片付かないし、山積みになってくんだけれどね。それに、あくまでお手伝いだから、マヨネーズとかあるから出来るだけで……アシャみたいな……その、いい香りの、一から作るような煮込みは、わたしには作れないわ。これ、どこの料理なの?」
アシャは自慢げに、照れながら、鼻の下を擦った。
「俺の住んでいた、辺境の……中世ヨーロッパの荘園の暮らしを守る人達の、煮込みだよ。勿論、スパイスや新しい野菜は認可されているから、その日の余った野菜次第なんだが……修道院の煮込みと似た、その日ある物で作る料理だ。新大陸の野菜も込みってとこかな……トマト味の時もあれば、じゃがいもも使うし。これは野菜のダシが足りなかったから、コンソメと白ワインの煮込みだよ。」
ドナ=ジョーは瞬きした。
「中世の暮らし……ええと。荘園て、習った気がする。偉い人が……農民をめちゃくちゃ、働かせて、野菜をほとんど取り上げる……のよね?」
アシャが笑った。
「すまない、訂正する。領主様のいない、荘園だ。野菜食べ放題の、農民の楽園だよ。」
「だったら、最高だわ。旅行してみたい。」
目を輝かせたドナ=ジョーに、アシャが微笑んだ。
「君みたいな美人が来たら皆が騒動になるぞ。おカミさんに旦那さんが叱られる案件だな。それに、綺麗な服は着れないし。土で汚れる。農民達は好意的だけど、土まみれの野菜をプレゼントしてくるからな。……さぁ、煮込みが出来た。夕飯にしようか。」
「汚れていい服があるから、大丈夫よ。兄のセオドアが着古した、ガソリン汚れが落ちないジャージ!」
「そうか。なら、旅行の時は大丈夫そうだな。」
アシャが煮込みを皿によそっていると、ドナ=ジョーが静かになったのに気づいた。
「ドナ=ジョー?」
ドナ=ジョーは俯き、落ち込んでいる。
「お母さんのお手伝いは、もう二度と、出来ない……あの優しい笑顔は、わたしが殺めてしまったのね。……セオドア。せめて、セオドアだけでも、生きていて欲しい……。」
アシャが考えてから、彼女を励ました。
「……君が蘇った理由こそが、天国の前兆だ。俺達に任せなさい。君の幸せを、取り戻すから。俺たちが善の投票をこなし続ければ、天国が到来し、人は皆生き返る。君は自分の中のアジ・ダハーカと戦いながら、待っていてくれ。俺やオーエンが、君の家族を取り戻してみせるよ。」
「……うん……ありがとう、アシャ。わたしも、自分の中の悪魔と、戦うわ。」
二人で食卓を囲む。
夕飯を始め、アシャは驚いた。
荘園暮らしのザシャ=アシャには、天地がひっくり返るような衝撃だ。いや。先史オリエントを知る天使アシャ・ワヒシュタだって、こんな衝撃は知らなかった。
どんどんスプーンが進んでしまう。
ポテトサラダだ。
「君のポテト異様に美味いぞッ!?美味すぎるッ!!これが、マヨネーズ……これは、マヨネーズの効果なのか!!?」
ドナ=ジョーはそんなに褒められてびっくりし、ふと、気がついた。
「わたしはお肉ホロホロのアシャの煮込みのほうがめちゃめちゃ美味しいけど……アシャは、マヨが初めてだものね。好物だったのかもしれないわ。マヨを使う副菜なら任せて。むしろマヨが無いと何も作れないわたしよ。ドンと来いよ。」
それを聞いたアシャは立ち上がって深々と頭を下げ、ドナ=ジョーがびっくりして慌てた。
「え!?何故にお辞儀!?も、もっとフランクに行きましょうよ……!」
「君の好意に深い感謝を。俺が君を匿うはずが、君に大変お世話になっている。人の為に親切を返せる相手には、礼儀を返さなくてはならない。それが正道だからだ。」
ドナ=ジョーは、アシャが大切にしている正道が、ちょっとだけわかってきて、それを馬鹿にはせずに、微笑んだ。
「確かに、それってすごく大事なことだわ。わたしには出来てないけど。でもねアシャ、わたしも手間暇かけた美味しい煮込みをいただいてるわ。ザワークラウトも美味しいし……だから、この場合、美味しかったらハイタッチでいいんじゃない?」
「え?……そうか。お互い世話しているから……だが、ハイタッチは軽過ぎる。」
アシャは、手を差し出した。
「美味しかったら、感謝の握手。それでもいいかい?」
ドナ=ジョーは頷き、アシャの手を握った。
「いいわ。握手なら、アシャにつられてわたしも感謝を伝えられるしね。」
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