6-〈1〉
夜七時。
アシャは一人暮らしのアパートに帰宅し、鍵を壁のホルダーにかけ、買ってきたパンとシチューの缶詰、飲み物をテーブルに置いて、シチューの缶詰を開けて皿にうつすと、ラップしてレンジで温める。
例え調理しても、一人暮らしでは食べきれない。
シチューを温めている間に、ポストに入っていた父親からの手紙を出し、封筒をペーパーナイフで切って、便箋を取り出した。
不器用な文字の、父親テオドールの手紙だ。
アシャは、善神群アムシャ・スプンタの1柱、正義と真実、聖なる火を司る、善神群最強の天使、アシャ・ワヒシュタである。
アシャは予言者の示した善神覚醒の時より早くに地上へ降り立ち、世界中で最も正義感のある青年を探した。
その正義とは、アシャの物差しの尺度でしかないが、アシャの求める正義の形をした人間は、ヨーロッパ、ドイツ辺境で見つかった。
正義と断罪と戦い。
それを求めていたのが、田舎の鍛冶屋で生まれ育った青年、17歳のザシャ=ミヒャエル・シュミットである。
ドイツ、辺境の街。
ハイスクールでは、休み時間になると定期的に、ユダヤ人のシュムリ・アシュケナージが、ゲルマン、アーリア人やキリスト教徒を差別し、皆からボコボコに殴られていた。
「クソシュムリ。今からでも謝れば、ボコさねーぞ。俺たちだって神を信じてんだ、和解には乗る。」
シュムリは腫れた顔で言い切る。
「信じる者は救われる。旧約に書いてある。それは、ユダヤ人だけが救われるのであって、君らじゃない。」
「クソ差別野郎め!」
シュムリをぶん殴った、大柄なギュンターの前に、立ちはだかる者がいた。
ザシャ=ミヒャエル・シュミットだ。
「ギュンターも皆も、そこまでにしろ。これ以上殴るんなら、俺が相手になるぞ。」
ギュンターは怒り心頭だが、一目置いているザシャを相手に、逆恨みはしない。
「どいてくれよ、ザシャ!!シュムリが悪い、また差別したんだ!!シュムリの野郎、許せねぇ!!」
ザシャはギュンターと、皆に告げた。
「俺はユダヤ教擁護をしている訳じゃないぞ。だが、俺たちの神様は、今の俺たちの暴力を、善とはみなさないはずだ。罪人に石を投げて良いのは、罪を犯したことが無い者だけだ、と、神の子は言ったろ?つまり裁くのは、俺たちじゃない。ましてや、同じ神様の解釈論争なんて。一人を皆で殴るのはいじめに値するし、原因がなんであれ、弱者をその他大勢で殴るのは、決して正義とは呼ばない。わかってくれ、皆。」
ギュンター達は参った。
「そりゃあ、そうだけどよ。ザシャ、原因はシュムリだぜ。」
「わかってる。俺からもシュムリには、また口を酸っぱくして、言い聞かせるから。今は、皆は、手を引いてくれないか?」
「ザシャなら、任せるがよ。そいつ、しばらく大人しくなるだけで、また始めるぜ。差別をな。さ、皆、解散だ!」
ギュンター達は、ザシャに一言言ってから、解散した。
腫れきった顔のシュムリは、ザシャに感謝した。
「助けてくれてありがとう、ザシャ。母さんがザシャにいつものお礼がしたいって。父さん感動して、君の分のタルムードを用意したんだ。ザシャ、シナゴーグに来ないか?改宗すべきだよ、君のような人を、神は迎えると思うんだ。」
ザシャは目を細めた。
呆れているのだ。
「シュムリ。人の信仰は自由だ、君も、皆もな。だが、君はユダヤ教の考えを、思ってても、口には出すなよ。特に学校ではさ。あれだけ前にも言ったはずだ。差別は良くない、社会的なマナーだぞ。信仰は自由だが、心の中でしろ。口に出しちゃダメだ。君はいじめられっ子だが、原因は君にあるんだぞ。」
シュムリはひたすら頷いた。
「うん。うん。わかった。もう学校では、口に出さないよザシャ。ところでザシャ、うちに来ないか?母さんが会いたがってるし、父さんのタルムードや、シナゴーグだって」
ザシャは呆れ、答えた。
「君のお母さんとお父さんの誠意には、いずれ必ず応じよう。でも、シナゴーグにはいかないし、ユダヤ教徒にはならないぞ。それに、俺ん家はバスで二時間の遠くの辺境だ。学校が終われば寄り道する余裕は、無いからな。」
ザシャはシュムリを保健室に連れて行ってやると、帰り道に教師に報告し、事情を話し、ギュンター達をも守った。
「シュムリが差別を……なら、ギュンター達の謹慎を解いてやらねばな。既に君が解決したんだろう、ザシャ。私たち、ドイツ人は……言い替えよう。わたし達アーリア人は、敏感だ。アーリア人至上主義を掲げ、ユダヤ人を虐殺したヒトラーの二の舞を、過ちを繰り返さぬ為にな。ただ、シュムリは危なっかしい。親御さんにも、話を通しておくよ。」
「はい、先生。よろしく頼みます。」
放課後、学校から、すぐスーパーに寄り、肉とパンを買ってから、バスで二時間。
二時間は長く、ザシャは読書したり、居眠りしたりする。
終点は、ザシャの暮らす辺境の辺境、田舎の荘園だ。原初回帰主義者の村である。
ある意味、ここはカルト信仰に近く、いずれはバスも来なくなってしまうだろう。
ザシャは荷物を持ってバスを降り、バスは運転手がトイレを済ませてから、遠い街まで帰って行く。
バスは、一日二回だけだ。
そこは、中世ヨーロッパのまま、時が止まった場所。
原初回帰主義者が集まり、中世の暮らしを守り続ける村だ。
豊かな葡萄の実り。新鮮な野菜の収穫。
自給自足の暮らし。
そこは、あたかも領主のいない快適な荘園だ。
ザシャは、自宅である鍛冶屋に入って行く。
「ただいまー。父さん、今日は貰い物は?パンと肉を買って来たから、有り合わせで作るけど」
父、テオドールは、まるでドワーフのように背が低く、筋肉質で、髪も髭も伸ばしっぱなしだ。テオドールは鍛冶仕事をしながら、音負けせぬよう、大声で返した。
「娘さんの誕生日用に依頼された、花の簪のお返しに、芋やマスカット、キャベツをたんまりな!」
「しばらく困らないな。まるで領主様のいない荘園だよ、ここは。キャベツはザワークラウトにして、芋は肉と煮て、マスカットはフルーツバスケットに入れて……余ったら白ワインでも作れば、調味料になるな。芋がこんなにあるなら、ふかし芋で良かったな。パンはいらなかった?」
「いいや。俺はパンが食いたい!」
「了解。パンが切れたらふかし芋にしようか。」
テオドールはいつもの持論を唱えた。
「芋の恩恵はピサロのインカ帝国侵略にある。インカ皇帝達の犠牲の上の食物だ、割りきれん。」
「確かに、正義の戦いで得た食べ物じゃあ無い。食事時は、神と、犠牲になった皇帝アタワルパ達に祈ろうか。」
ザシャが手際良く用意し、終わると父親の元に来た。
「肉と芋が煮えるまで、鍛冶を教えて、父さん。」
「任せな。だが、約束だザシャ。剣は人殺しに使うな。剣は、人助けの為にしか、振るっちゃならん。」
父親のテオドールは現代でも剣や鎧を作る鍛冶職人で、ネット上でも受注生産している。ザシャも遠くの学校から帰ると、その手伝いをしていた。
「アチチ、あっつ!」
「冷やせ」
ザシャの打った剣はぐにゃりと曲がった。
「あちゃー……」
「半人前はギルドに入れんぞ。親方を目指すか、ザシャ?」
「ははは。剣や鎧は大好きだ。でも、言うなら、騎士になりたいかな。」
テオドールはもじゃもじゃの髭を揺らして笑った。
「いかにこの村が原初回帰主義の荘園でも、騎士様は難しかろう。仕えるべき王が、いなければ、な。」
ザシャは尋ねた。
「王がいたら?」
テオドールはニヤッと笑う。
「そんときゃ、俺がお前の鎧と剣を一式、打ってやるさ。」
肉と芋の煮込み。パン。ザワークラウト。デザートに、マスカット。
夕飯を終え、ザシャがベッドで眠りにつくと、アシャ・ワヒシュタは夢の中に入って行った。
夢の中のザシャは顔も知らぬ教皇に、膝まづき、剣を捧げ、聖戦で勇敢であることを誓う。
「我が正義、我が正道を持って死ねるならば本望!俺は決して、悪しき者には怯みません!」
アシャは、そんなザシャを見て共鳴した。
彼こそ、正道を歩む者だ。
「誉れ高き夢を、見ているんだな。ザシャよ。」
ザシャは振り向く。
そこに神々しい光が差し込み、天から白い衣をまとったアシャが降りて来るのを見た。
その聖なる光景に、ザシャは自分が夢の中にいた事や、その人は天使かもしれないこと、そして自分にはジャンヌ・ダルクのような使命があるのではないかと、一瞬で理解し、アシャにひれ伏した。
「貴方は……天使様!」
「ひれ伏す必要は無い、ザシャよ。俺は天使アシャ・ワヒシュタ。面を上げ、立て。ザシャ。俺と君は、対等でいいんだ。」
ザシャは面を上げた。
そして、立ち上がる。
「……聖なる御使いが、俺に何を知らせに?」
アシャは熱く語った。
「近々、俺のお仕えする善神様は覚醒なさる。俺はかの御方の元に集い、従い、自らの正義の元、剣を手に聖戦に赴くつもりだ。俺は正義と真実、聖なる火の守護者だ。」
ザシャが感動した。
「まるで大天使ミカエルだ。俺にも、何か貴方に協力出来ることは、ありますか?えーと……戦争を終結させたり?」
アシャは笑いながら、しかしザシャを馬鹿にはしなかった。
「人間一人が戦争を止めに入ったところで、予言の子でも無い限り、尊重されないぞ。無駄死にはよせ。だが、君のそこなんだ、ザシャよ。俺は君の誰よりも強い正義感、断罪への意思、そして勇敢なる聖戦への意欲に導かれ、君を訪ねたのだ。俺たち天使は霊体だ。人に宿り、人の中の善の心に力を借りることで、ようやく本来のフルパワーを出すことが出来る。ザシャよ、君には、俺と融合し、一緒に聖戦で戦ってもらいたいんだ。」
「!!……俺のような田舎者が?天使と共に、神の聖戦へ?」
アシャはザシャの肩を優しく抑えた。
「強制ではない。例え俺と君が共闘しても、我々の剣は正義の為に振るわれるものだ。卑怯な悪魔が人間を人質にでもすれば、俺たちとて死の危険を伴うだろう。三日だ。三日間、考える猶予を与えるから。君の命にも関わる戦いなんだ。よく考えて決めて欲しい。」
ザシャは、答えた。
深い理解を持って、アシャを認めた。
「アシャ様、いや、アシャ。三日間考えるよ。父さんも、残していくのは心配だし……。けど、俺は嬉しいんだ。貴方のような理解者が現れたことや、俺が叶わぬ夢に近づけること。俺は正義の名のもとに剣を捧げる騎士になりたかった。父さんの作った鎧を着て、父さんの作った名剣を振るう。勿論、人間に剣を振るったりはしないけれど。仮に俺が、三日間で、父さんとの生活を選んだとしても、アシャはいつでも訪ねてくれていいし、力になりたい。俺は、アシャのような人と、友になりたく願ってるよ。……今は、アシャと一緒に聖戦に行きたいから、万が一の話だけどね。」
アシャは微笑んだ。
「俺にも君が他人とは思えない。この縁を、大事にしよう。」
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