5-〈8〉
オーエンはロッジを出て、全力で駆け出し、建物から建物へと跳躍して行く。
手術が長引いているのだ。
ラジーはそれだけ重傷だったんだ。
走りながら、オーエンの脳裏には今までのラジーの笑顔が過ぎった。
ジュリーおじさん。
ラジーを守って。
母さん、父さん。
この一夜を、乗り越えさせてください。
オーエンが病院について、手術室の前にいるミカエルの元まで駆けつけた。
心なしか、気落ちしているミカエルの様子に、オーエンは不安に駆られる。
「ミカエル。ラジーの手術は?」
ミカエルは大真面目に告げた。
「長引いてる。医師が説明に来たわ。心臓を縫ったの。一時は、心停止もして……医師は、助かったのが奇跡的だって。天使達が止血していたから、ギリギリ間に合ったけれど。ただし、しばらく血が通わなかった脳の方は、麻酔から目覚めてみなければわからないって。植物人間も覚悟しておいてくださいってさ……。」
オーエンは目の前が真っ暗になった気がした。
ラジーが生きた植物人間状態になるのを、覚悟してくださいだって?
「無理だ。……僕はラジーの傍にいる。」
光の欠片がオーエンの元まで飛んで来て、ミカエルに言った。
「まったく、僕に道案内をさせるだなんて、天使使いの荒い奴だよ。」
「サタン!アブサロムは?」
青年が歩いてきた。
褐色の肌に白く長い髪を縛った、イスラーム圏の服装をした人物だ。
彼は、ミカエルに膝まづいて礼をした。
「お久しぶりです、マスター。聖地イェルサレムよりこのアブサロム、増援の要請に応え参上仕りました。」
オーエンは呆気に取られた。
その構図はまるで、歴史物の映画の騎士と姫君のよう。歴史オタクとしては、心惹かれる気もするが。
「やだ、顔を上げてよアブサロム!!」
「マスターがそうお望みであれば、承りました。」
アブサロムは立ち上がった。よく見たら少しだけミカエルに似た、すごく美形の青年だ。
気づかなかったが、ミカエル自体が、人間みがあるのは表情があるからで、すごく人並み外れた美人なのだ。
オーエンは尋ねた。
「……彼は?君のこと、マスターって……彼はミカエルの、騎士?いや、部下なのか?」
ミカエルは両手を振りながら否定した。珍しく恥ずかしがって、顔を赤らめている。
「ちっがーう!!これは、違うの!!誤解よオーエン!アブサロムは、あたしの作り主のアレックス・サンダースが、あたしを作る前に作り出した、聖地イェルサレムを守る為のゴーレム。言わば、あたしの兄なの!それが、父が死んで、あたしが後継者になったもんだから、アブサロムのマスターは流れ的にあたしになっちゃっただけでさ。認識的には、ミカエルのお兄さん、で頼むわね。」
アブサロムが言う。
「マスターのご好意は有り難いのですが、異論があります。俺は確かに先には生まれましたが、貴方が我が主であることを誉れとしております。」
オーエンは改めてびっくりした。
「ゴーレムだって?人間と何一つ変わらない……それで、ミカエルのお兄さんか……」
ちなみに、ホムンクルスもゴーレムも同じ意味の言葉だから、後継者と他のもの達の呼び方を変えたことになる。
「マスターは主です。俺はマスターの使役する、聖地守護のゴーレムと、お考えください。」
頑ななアブサロムに、オーエンは頭を捻ってから答えた。
「ミカエルが貴方の主で、貴方はミカエルのお兄さんだ。」
「マスターの御意思と俺の意思を合わせる場合は……そうなりますね。マスター、ご友人は賢明な方だ。オーエンと呼んでおられましたが……」
「アブサロム。彼はオーエン・テイラー、生まれ変わったアフラ=マズダ神よ。」
「!貴方が……」
アブサロムに一礼されて、オーエンは慌てて片手を振る。
「神様って柄じゃないよ、僕は。人間扱いでいいから、アブサロムさん。ミカエル、増援って?今の悪神群の大量暗示の状況の為に?」
「そうよ。今回は相手が守らねばならない無実の人間だし、殺してどうにかなる話じゃあないわ。だから、イライジャ側は頼れない。あいつ、手加減出来ないしね。それに、あっちはアミナみたいな小さい子もいるもの。それに加え、善神群は頼れない。オーエンとイライジャの事情を理解しているのは、まだ悟空とアールマティだけだわ。しかも、悟空は所在不明。圧倒的に戦力不足よ。だから、無茶言ってアブサロムにSOS要請を。本当なら、イェルサレムの守護の任が、アブサロムの最優先事項なんだけどね。」
つまり、ミカエルの兄アブサロムは、ミカエルと同じように、ゴーレムだけど感情があり、ミカエルのピンチに駆けつけてくれたんだな。
「優しいお兄さんだね。アブサロムさんは……戦えるのかい?」
アブサロムはイスラーム圏のゆったりとした服を着ているが、細身なのは服の上からでもわかる。
「強いわよ、アブサロムは。魔術頼りのあたしより勝負は速いし、俊敏な格闘をこなすわ。だから、本来ならアブサロムにはパトロールで戦って欲しかったんだけど……今は事情が違う。アブサロムは守護の専門家よ。弱っているラジーについててもらって、ラジーを最優先に護衛してもらうのが最善だわ。」
オーエンが反論した。
「……でも。ラジーのことは、僕が!」
「耐えて、オーエン。女神アールマティの支援を受信出来るのは、善神アフラ=マズダである貴方だけなのよ。だいたい貴方は主戦力だし、戦線離脱は出来ない。それに、今ではラジーは貴方の弱みなの。ラジーの完全防衛は、いま一番必要なことだわ。貴方は帰って寝て、学校行って勉強して、それが終わってから、ラジーに会いに来なさい。そうじゃなきゃ、ラジーだって何の為に頑張っているのか、わからないじゃない。」
オーエンは今までを振り返った。
ジュリーおじさんもラジーも、オーエンが学術の道に進みたいから、限界まで働いて、ミズーリ州に引っ越したし、今はラジーだけで、オーエンの夢を支える為に働いている。
「……わかったよ。ラジーの意思を尊重する。寝て、学校に行って勉強して、それからラジーの様子を見に来る。」
ミカエルは微笑んだ。
「いい子ねオーエン。不安だろうけどあたしとアブサロムで、ラジーは守るから。」
「……ミカエルは、いつ帰ってくるんだい?」
「あたしはまだ役目があるから。ラジーが手術室を出たら、アブサロムに守護対象のラジーを教えなきゃだし、ラジーの掛け持ちの職場の上司んちに次々と乗り込んで、血玉髄のペンデュラムの催眠術で、ラジーは働きましたって暗示をかけといて、ラジーのお給料を守ってあげないとね。大丈夫、朝ごはんはあたしが作ってあげるから。安心しておやすみなさい。」
日々は忙しく急変した。
ジリリリリリ!!
オーエンは目覚まし時計を止めようとして、ベッドから落ち、ようやく目覚まし時計を止めて、待つ。
しかし、ミカエルがオニオンスープを運んで来ないので、オーエンは諦めて階段を降りて行った。
ミカエルは、台所にいる。
「グッモーニン、オーエン。よく眠れた?」
「……疲れすぎて。爆睡してた。期末テストの勉強にも遅れが。」
「なら、今日は夜七時までは勉強、その間は、あたしが街を持たせるからさ。はい、朝ごはん。豚ひき肉とひよこ豆のトマト煮込み。適当にバジリコ振って。トースト焼けたわよ。はい、バター。」
オーエンがげんなりと料理を眺めた。
「ミカエル。昨日も同じメニューだ。朝も夕飯も、同じだった。」
ミカエルはこれにふてくされて返した。
「あのねぇ、オーエン。ラジーやジュリーおじさんと比べないでよ。貴方が恵まれてただけ、あたしはイングランドの片田舎で魔女の婆ちゃんに、イモリや蜘蛛の巣の怪しい煮込みしか教わってないのよ?豚ひき肉とトマト使ってるだけ、マシに思ってよね。それにあたしは具は変えてますぅ。今日はひよこ豆、昨日はミックスビーンズだから。」
立ち並ぶ缶詰めゴミを見る。
トマトソースは缶詰だし、ひよこ豆も缶詰だ。
「ミカエル……君は以外と、ズボラなの?」
ミカエルは堂々と肯定した。
「そりゃあそうよ。いつあたしが生真面目だって宣言したっての?楽できて美味しければ、あたしなら文句は無いわよ?」
オーエンは嫌な顔をした。
「……トーストだけでいい。ツナ缶くれる?」
ミカエルは渋々ツナ缶を渡した。
「こんのわからず屋。ツナマニア。煮込みはあたしが食べちゃうからね。」
オーエンはトーストにツナを乗せ、朝ごはんを終えた。
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