5-〈6〉
キングの部屋では、勉強会の真っ最中だ。
「康熙帝はルイ14世の大好きな文通友達だった?あー……映画でルイ14世は観た。でもよ、中国の国と皇帝の名前が、頭ん中で一致しねぇ……黄河と長江はわかるんだけどよ……」
「それは、今まで自分で書いたノートを見れば覚えられる範囲だから、大丈夫だぞワイアット。理解度が上がったな。もう中国史まで来たんだ、コツを掴んだな。」
「それは、カマンガー兄貴が映画みたいに話してくれるからだ。歴史は苦手だが、映画みたいな物語は好きだしな……」
時刻は午後七時を過ぎていた。
玄関から帰ってきたマッマが、重たい食材と仕事鞄を抱えて、両手が塞がったまま靴を脱いでいる。
音で察したアールマティが駆けつけて、重たい食材を持ってあげた。
「おかえりなさい、母殿。この重たさは……昨晩より多い?」
「持ってくれるなんて。ありがとうワイアット……今日からは、カマンガー君の分も必要でしょう?勉強を教えてくれてるんだし。食材が重たくったって頑張るわ。パパには出前のピザでも良かったんだけど、ワイアットはパパが好きだから、きちんと同じメニューを作るから、安心してね。」
マッマは、心を入れ替えて頑張っていた。
完全悪じゃ、無かったのだ。
息子を想い、息子が心配しないように、つとめてみせた。
それを知ると、アールマティはいきなり胸が痛くなった。
天使であり女神である彼女が、人間並に辛さを感じた。
アールマティは、自分が彼女を悪と決めつけたことで、自分を責めた。
悪い母親だったマッマが、今、ワイアットの為に、皆の分の重たい食材を抱えて帰ってきたのだ。
母の愛による行動を、彼女は選んだのだ。
しかし、アールマティはマッマが困ろうが怒ろうが、自分が善を説いて正すのみ、と、コリンを引き受けてしまった。
その苦労は実はアールマティが引き受ける訳では無く、マッマの心や、買い出しや、調理の負担なのだと、今になって気がついたのだ。
母らしく頑張りを見せたマッマに、アールマティは先入観から、彼女の負担を考え無かったことを悔いて、辛くなったのだ。
「母殿。いいえ。お母さん。わたくしは、三日以内にうちに来る友人が増えるよう、誘ってしまいました。お母さんの買い出しや調理は、きっと、もっと大変になるでしょう。」
マッマは一瞬、顔が引きつったが、慌てて怒りを押し殺した。
「あー、いけないわ!わたしったら。ワイアットの友達に先入観はダメだったわね。どなた?やはり、カマンガー君のような……」
「コリンです。馴染みの……暴れん坊の、不良の仲間というか……」
マッマは仕事鞄を床に落とした。
額に血管が浮き出て、両手をワナワナと震えさせた。
マッマの怒声が爆発した。
「そんなの逆戻りだわ!!どういうことよワイアット!?またコリンやハリソンと問題を起こしたいの!?勉強は投げたの!?わたしは、そんなことの為に、苦労して夕飯を作る召使いじゃあ無いッ!!!」
マッマの無意識下で、悪癖の張り手が飛んだ。
アールマティは覚悟した。
これは、自分の責任だ。
マッマを追いつめ、逆戻りさせてしまったのは、自分の安易な安請け合いの責任だ。
アールマティは、その制裁として、マッマの張り手を受け止める覚悟だった。
だが、張り手は、アールマティの頬に届かなかった。
アールマティの右手が、マッマの張り手を掴んで止めていたのだ。
キングである。
キングはアールマティを守る為に、入れ替わって出てきた。
「お袋よ。ぶん殴られても文句は言えねぇ。追いつめたのは、この俺の責任だ。だが、目を覚ませ。頑張ったんだろ?ここで自らに抗わなくていいのか?暴力癖に舞い戻って、アンタはそれで、いいのか?」
マッマは息を飲み、我に返った。
自分の行動を知って、息子に手を出したことに苦しみながら、苦悩の涙を流した。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ワイアット……!ワイアットだって抑えてるのに……!なのにわたしは、また暴力を……どうして!?どうしてわたしは傷つけてしまうの!?何故わたしは、良いママになれないのよ!!頑張ったはずなのに!ワイアットを、愛しているのに!!」
キングは、不器用ながら、力を込めないように、マッマの肩をそっと抑えた。
「アンタは……変われるはずだ。今日お袋が頑張ったことは、何よりの証だろ。今日は自分を責めるな。俺が怒らせたんだからよ。それに、アンタは自分に抗っただろ。変わっていけるんだ。お袋も俺も……良い家族に、変わるんだ。」
マッマは、今度は息子の優しさに泣いて、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした。
「変わりたいわ。変わっていける。ワイアットが言うなら、ママは頑張ってみせるわ。コリンのことだって、ママの早とちりだった。ワイアットはこんなに変わったんだもの。勉強会なら、夕飯はママに任せて。二日ほど、用意させてね。大きいテーブルをパパに作って貰うし、食材の買い置きもあるし……とびきり美味しいご飯を作るから。せめて、母親らしいことをさせてちょうだい。」
キングはマッマの弱みである泣き顔を見ないように、背を向けて、マッマの尊厳を尊重した。
「苦労かけて、すまねぇな。夕飯は……期待してるぜ。……母さん。」
キングは食材をリビングに運んでから、部屋に歩いて去る。
アールマティは、自分のことすら守って責任を引き受けたワイアットに、語りかけた。
(これは、わたくしの責任ですのに……ワイアット。貴方は、わたくしのことも、お母さんのことも、守ってくれたのですね。)
(俺も、天使様に助けられて今があります。それを忘れて天使様を助けねぇ奴は、男じゃねぇ。)
(ワイアット……感謝を。そして、貴方を選んだ大地の導きに、改めて感謝しなくてはなりませんね。)
ちなみに台所で調理を始めたマッマ。
途中で帰って来て、見ていたパッパは、とても会話に途中参加は出来なかったが、リビングに来て仕事鞄とワイアットの為に買って来たわかりやすい勉強のベストセラー本を置くと、マッマに尋ねた。
「すごい量だ、頑張ってるねジル。献立は何かな?手伝うよ。」
「献立は大きなミートボール山盛りの辛味ミートボールパスタと、チーズをたっぷり乗せる副菜に白身魚とオニオンとブロッコリーのクリームソースグラタン、ワイアットの好きなコンビーフを使った山盛りのポテトサラダよ。九時には全部完成させる。貴方は邪魔だから台所には近づかないで、シャワールームの清掃でもしててちょうだい。」
「了解だ。」
ジルは思い出して、振り向いた。
「ローレンス。明日は早上がりして、木材を買って帰ってきて。大きいテーブルを作ってちょうだい、余力があれば、椅子もね。コリンが来るから、流石に今までのテーブルじゃあ、料理が乗らないわ。」
「うん。任せてくれ。久々に日曜大工だ。」
パッパはジャケットを脱ぎながら、言った。
「俺たちの息子は、いつの間にか成長して、器のデカい人間になってたんだな。嬉しいね、ジル。」
「貴方にワイアットの父親面はさせたくないけど……そうね。嬉しいわよ。責任感の強い優しい子だわ。」
「……ママも、変わってきたよ。皆が頑張ってる。俺も、ワイアットに応えなくっちゃあな……。」
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