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勇者に疲れた俺、宿敵の魔王に休職を勧められる。~殺しに来たのに手料理で救われました~  作者: かくかたる


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08.勇者の休職、騎士への復職

「……そ、その。あまり見るなよ。何もないからな」


 赤面しながら案内された彼女の部屋は、意外にも温かみのある、普通の少女の部屋だった。


 昔、俺が贈った青い石のネックレスが、一番見えやすい位置に飾られていた。あの日、暖炉の横でこれを見ていたのは、俺に言い出すきっかけを探していたのだろう。


 部屋全体を漂うのは、陽だまりのようなハーブの香りだ。俺がずっと好きだった香りだ。


 俺は、ふと違和感を覚えた。


(……風が、動いている?)


 勇者として、隠れた敵や罠を察知するために磨き上げてきた感覚が告げている。この部屋の容積に対して、壁の位置がわずかに不自然だ。


 俺は吸い寄せられるように、壁の一角――飾られた風景画に視線を寄せる。身体で感じる違和感が邪魔をして、視線を風景画から逸らせない。


 そうか。風景画そのものじゃない。その背後の空間だ。密閉されているはずの部屋なのに、そこからだけ、微かな空気の『揺らぎ』を感じる


「アルス、気になることでもあるのか?」


「……違和感があるんだ。この奥に、ダンジョンの隠し部屋のような……」


 彼女は迷うように視線を彷徨わせたが、やがて小さく溜息をつくと、諦めたように笑った。


「……隠し通せると思ったのだがな。お前のそういう鋭いところ、本当に困る」


 彼女が壁の燭台を捻ると、音もなく壁の一部がスライドした。


 現れたのは、狭い通路と、その先に広がる柔らかな光。


「ここは……」


「私の『わがまま』を詰め込んだ場所だ。サモンやフィオにもここのことは隠しておる。……と言うよりも、話せないというべきか……」


 案内された隠し部屋。そこには、人間界との共存のための計画書が山のように積み上げられていた。


「これは……?」


「私は人間界と戦いたくなかったのだ。戦になれば、お前のようなお人好しは、真っ先に戦場に駆けつけてしまうだろう。『私を守る』と言ってくれたお前が、私のせいで命を落とす。それだけは絶対に避けたかったのだ」


 一人の少女が、誰にも言えない「禁忌」として守り続けてきた、人間界との平和への道。


「魔族領の魔族の少女と人間界の一人の少年。別々の世界に住んでいる二人だ。端から見れば再会など二度と叶うはずもない夢物語だっただろう。だが、なんでだろうな。それでも私は、お前がいつか来てくれると信じていたんだ」


 俯く彼女の言葉は、暗い後悔ではなく、ようやく誰かに見せられた安堵に震えていた。


俺は計画書の山の下の方、ひょっこりと顔を出していた一枚の古びた紙を手に取った。


 黄ばんだその紙には、今の達筆な文字とは違う、幼くたどたどしい字でこう書かれていた。


『アルスと再会したらやりたいこと』


 一番上には『名前を呼んでもらう』。その下には『一緒にご飯を食べる』。どれも、魔王の願いと言うにはあまりに些細で、切実な願いだった。


「……セレナ一人で、こんなに俺のことを待っててくれたんだな」


「魔族領内では、人間の血を引く我々は異端だ。父に連れられて行ったあの街でも、私が身に纏う魔族特有の気配が、同年代の人の子を遠ざけた。見た目は人の子と変わらんと言うのにな……」


 セレナは自嘲気味に笑い、俺の手にある古い紙を見つめた。


「世界中、どこにも居場所なんてなかった。……お前に会うまでは」


「……」


「森でホーンラビットに襲われ、お前に助けられたあの日。お前だけは、私を怖がらないでいてくれた。妙な気配がする私を前に、お前は気にせず笑いかけてくれた」


 俺の脳裏に、鮮明な記憶が蘇る。


 そうだ。俺にとっても、あの一週間は特別だったんだ。


 街の英雄の子と言うだけで、剣も魔法の才も無かったというのに、周囲の大人たちに期待され、訓練漬けだった日々。誰もが俺を「未来の英雄」として見る中で、彼女だけは俺をただの「アルス」として見てくれた。


「……俺も、同じだったんだ」


 俺の言葉に、セレナが顔を上げた。


「え……?」


「大人たちの期待が重くて、逃げ出した森の中でお前に会った。お前が俺の名前を呼んでくれた時、俺も初めて『自分』になれた気がしたんだ。……俺にとっても、お前と過ごしたあの一週間だけが、灰色の子供時代の宝物だった」


「アルス……」


 俺は彼女の手を取り、その震えを包み込むように強く握った。


 彼女はずっと戦っていたのだ。俺が戦場で剣を振るっている間、彼女はこの暗い部屋で、孤独と恐怖に震えながら、二人の未来を守るためにペンという武器で戦い続けていた。


 その健気さと強さに、胸が締め付けられるほど熱くなる。


 勇者を辞めて空っぽだった俺の心に、初めて確かな熱が灯った。


「ありがとう。あの時助けた少女がセレナで……そして、今俺の隣にいる魔王がお前で、本当に良かった」


「……っ、そんな風に言われたら、私が必死に隠してきた意味がないではないか」


 セレナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それを合図にしたように、俺の中で一つの決意が固まる。


「俺は勇者を休職中だ。世界を救うなんて大層な役目は、もう御免だ」


 俺は彼女の目を見て、今度は逃げずに一歩踏み出した。


「そして、昔約束したお前を守る騎士。そっちの仕事の方は、ずっと休んでたな。お前を守り、お前の夢を叶えるための『騎士』として、復職させてもらう。……この計画、人間界と魔族領の共存計画、二人で完成させないか?」


「……ああ。お前が手伝ってくれるなら、百人力だ」


 隠し部屋を照らす柔らかな光は、かつての孤独な避難所を、二人が未来を切り拓くための「作戦本部」へと変えていった。


 セレナの瞳から、長年の孤独が消えていく。その代わりに宿ったのは、俺への絶対的な信頼と、明日への希望の光だった。


 ……二人の声が響く隠し部屋の外、閉ざされた扉の隙間に、一つの影が落ちていた。


 共存、復職、そして二人だけの契約。


 密やかに交わされたその言葉を、影は音もなく闇の中に持ち去っていった。


 去り際、カチャリ、と眼鏡のフレームを押し上げる微かな音を残して。


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