07.魔王城お部屋訪問
勇者休職三日目。
この日の朝、俺が最初に見たのは、ゆっくりゆっくりと音もなく開く居室の扉、そしてその扉の先にたたずむ恐怖に引きつったサモンの顔だった。
「……信じられないものを見ました、アルス殿」
これまで、常に冷静沈着だった少年宰相サモン。彼をこんな状態にしたものが、俺には想像がつかない。
「朝から、一体どうしたんだ?サモン」
良くぞ聞いてくれましたとばかりに、サモンのメガネがキラリと輝いた。サモンは一度大きく深呼吸をしてから、自分の見た光景を語り始めた。
「……魔王様は一ヶ月間、未決済案件を山のように蓄えておられました。夕べまでは机の上にあったんです。乱雑に置かれた書類は可哀想なものでした」
サモンは目尻をハンカチで押さえながら続けた。演技などではない。サモンは本当に涙を流していた。
「ところがです、今朝、魔王様の部屋に入ると机の上には、塵一つありませんでした。当然、また書類を捨てたんだろうと思いました」
「また……? それで良いのか?」
国というものは、そんなにいい加減でも何とかなるものなのか。まぁ、俺だって人間界の国王を知っているが、あの国王も碌でもなかったとは思う。
「ですが、今回は違いました! 驚くべきことに、魔王様はすべての案件に目を通し、完璧な裁定を下されていたのです。区分けの美しさには、もはや芸術性すら感じました……」
サモンはひとしきり泣いた後、ハンカチを正確に折りたたみポケットにしまった。
その隣では、当の本人であるセレナが、目の下に隈を作りながらも、勝利の女神のようなドヤ顔で胸を張っていた。
「ふん、私を誰だと思っている。これくらい、本気を出せば造作もないことだ」
……あれだ。あれがセレナのやる気に火をつけたんだ。昨日の夕方、俺の問題発言をきっかけに、セレナが「いかがわしい」と誤解したフィオとの会話。
あの時、セレナの背後に立ち込めていたあの禍々しいオーラを思い出す。彼女を突き動かしたのは、魔王の「本気」ではなく、間違いなく「意地」だった。
「……で、魔王様。その、一睡もせずに働かれた理由は?」
サモンの冷ややかな問いに、セレナは顔を赤くして視線を泳がせた。
「き、決まっているだろう! アルスにこの階層を案内するためだ!」
遠くからドタドタと足音が近づいてきた。
「えぇー! 魔王様、ずるいー! 私もアルス様とデートしたいー!」
フィオよ。お前は地獄耳か。それとも野生の勘が働いたのか?セレナもサモンも特段驚きを見せていないので、彼女の通常運転の範疇なのだろう。
セレナはコホンと咳払いをして、二人に目配せをした。
「お前たちは普段通り過ごせ。 私は普段の居住区を案内したいのだ」
……と、言ったそばからフィオが俺の腕を掴んで引きずり出した。セレナが怒鳴る声が聞こえたが、今のフィオの耳には届いていないらしい。サモンもやれやれといった様子で後を追う。
「アルス様、お楽しみは後で! 先にサモン君の仕事部屋を案内しまーす!」
「アルス殿、ここが私の仕事部屋です。立ち入る場合には相応の御覚悟を」
サモンが開いた扉の奥からは、凄まじいプレッシャーが漏れ出していた。物理的な重圧ではない。効率と正確さを極限まで突き詰めた者が放つ、職務の覇気だ。
俺は既に扉の前。あと一歩踏み出せばサモンの部屋だ。だが、この一歩は遠い。この一歩が踏み出せない。
「……すまん。俺にはまだ、その領域に踏み入る資格がないようだ」
俺が一歩退くと、サモンは「賢明な判断です」と眼鏡を光らせた。
その後、案内されたサモンの寝室は、打って変わって「無」だった。ベッド以外、家具も生活雑貨も何もない。
「次はお待ちかね、私の部屋です! アルス様、覚悟してくださいねー!」
自分の仕事をしろと言われてたのを完全に忘れてる。それに、「フィオの部屋! 立ち入り禁止!(魔王様と騎士様はOK!)」の札がドアに掛けられていたが、これは一体……。
そんなことにはお構いもせず、フィオは勢いよく開けた。彼女の寝室は、戦場だった。
フリル、ぬいぐるみ、そして壁に掛けられた巨大な大鎌。可愛らしさと物騒さがマーブル模様のように入り混じっている。
「……フィオ。この、ベッドの横にある鉄球は何だ?」
「寝相が悪い時に、自分を繋ぎ止めておく用ですっ!」
そんな賑やかな案内が終わり、「ついに最後の一部屋」である、セレナの寝室へ向かった。




