10.作戦会議
辺りを漂う美味しそうな匂いに鼻先がくすぐられ、俺は目を覚ました。起きてそうそう、ぐぅーと腹が鳴る。
匂いにつられて、食堂に駆けつけると、テーブルの上にはごちそうが並び、その隣に『今日の主役です』と書かれたタスキを掛けたセレナが立っていた。
「セレナ。その姿は、一体どうしたんだ?」
当の本人も、実は良く分かっていないようで、ずっと首を傾げている。
「実は、私にも分からないのだ。フィオにつけろと言われたんだが……。フィオ、これは一体何なんだ?」
「えーっと、魔王様は昨日の晩の出来事を覚えていますか?」
目を瞑り、軽く握った拳を顎に当てたポーズのまま、「うーん」と唸り、動かなくなってしまった。
「徹夜明けでしたもんね! 仕方ありません、魔王様!」
「思い出せないが、それでも良いか?」
「大丈夫です! では、私から発表させて頂きます!」
フィオは、「ジャカジャカジャカジャカ……」と言いながら、期待を高めていく。
「はい!! 『祝・魔王様が夢を打ち明けられた記念パーティ」でーす!」
フィオがパチパチと拍手を送る。当のセレナは、当惑して、目をパチパチさせている。
「い……一体、何のことだフィオ? 夢を打ち明けた?」
そこへ、いつものように分厚い書類を持ったサモンが、澄ました顔で現れる。
「おはようございます、魔王様、アルス殿」
書類の束をテーブルの上にドサッと置く。
「フィオ、サプライズパーティは成功しましたか?」
「いやー……ちょっと失敗しちゃったかも!! せっかくサモン君が提案してくれたのにね」
魔王はサモンを不審げに見つめる。
「サモン、これは一体」
俺は少し気まずくなって、おにぎりに手を伸ばした。
「いや、その……昨日、セレナが俺に教えてくれた夢のことだよ。サモンたちも、実はずっと前からそれに気づいてたって、昨日、夜中に打ち明けられたんだよ」
「なっ……!?」
セレナは絶句した。
隠し部屋に一人籠もって、誰にも知られないように書き溜めていたあの計画。アルスにだけは特別に打ち明けたつもりだったのに、まさか家臣たちにまで筒抜けだったとは。
「き、貴様ら……! ずっと気づいておきながら、私を泳がせていたのか!?」
「滅相もございません。魔王様がご自身で一歩を踏み出すのを、我々はただ静かに、そして忍耐強く待っていたのです」
サモンは眼鏡を押し上げ、フィオは首を縦に振る。
「……ただ、アルス殿という最高の『同志』を味方につけた今、もう我々が知らないふりをする必要もありません。魔王様、今こそその計画書を、正式な『国策』として預からせていただけますか?」
セレナは一瞬悔しそうにしたが、けれどどこか嬉しそうに俺の顔を見た。
「アルス……こうなってしまっては、もう素直になるべきだな」
セレナは覚悟を決めたように胸を張り、俺の手をグイと引っ張った。
「アルス、貴様は我が騎士として、最後まで付き合ってもらうからな!」
「もちろんだ」
「それから、サモン、フィオ。お前たちも逃げ出せると思わないことだ」
「はい!」
「承知いたしました」
俺は鳴り止まない腹の虫をなだめるように、テーブルに並んだ料理を指差した。
「まずは腹ごしらえだ。話はそれからでも遅くないだろ?」
「ふむ、そうだな。腹が減っては戦……いや、公務はできん」
セレナの号令を受け、フィオは待ってましたとばかりに料理を配り始めた。
並んだのは、湯気を立てる魔獣肉のスープに、焼きたてのふっくらとしたパン。そしてフィオ特製の巨大なおにぎりだ。
四人でテーブルを囲む。かつて人間界の軍議で囲んだ冷たい机とは、まるで温度が違う。
「アルス様、このスープ、実は魔王様も味見を手伝ってくれたんですよ!」
「フィオ! 余計なことを言うなと言っただろう!」
「魔王様、塩加減にすごくこだわってて。アルス様が濃い味が好きなんじゃないかって」
暴露されて顔を伏せるセレナを横目に、スープを一口啜る。確かに、少し濃い目の味付けが、寝起きの身体に染み渡るように美味かった。
食事を終え、食後の茶が運ばれてくると、サモンがすっと表情を引き締めた。
「さて、親睦を深めたところで、本題に入りましょうか。アルス殿、そして魔王様」
サモンが分厚い書類の中から、一枚の地図を取り出してテーブルに広げる。それは、魔族領と人間界の国境付近を詳細に記したものだった。
「魔王様の計画――『種族を超えた共存』を実現するためには、まず揺るぎない実績が必要です。理屈だけでは、人間界の欲深い貴族も、魔族領の頑固な古参兵も納得しません」
「実績……。具体的にどうするつもりだ?」
俺の問いに、サモンは地図の一点を指差した。
「国境ナミール川沿いの『ナミール村』です。川を挟んで魔王領側に魔族が、人間界側に人間が住んでいます。二つの村の間に橋がありますが、現在は利用されておらず、人の行き来はありません」
「ここは数年前の大干ばつ以来、人間と魔族が細々と、しかし互いを拒絶しながら隣り合わせで飢えています。ここを『魔族と人間が手を取り合い、幸せに暮らせる村』にするのです」
人は変化を嫌う生き物だ。『魔族と人間が共存』と言えば、利権にうるさい貴族たちだけでなく、その他の民衆も聞く耳を持たないだろう。
せめて、民衆の中から、共存への気運が高まれば……。
「分かった。……だが、魔族と人間の共存を促すにはどうしたら良いのか……」
俺は考えを絞り出す。
「互いに助けあえる関係性を構築できれば……」
俺と目が合ったサモンは、深く頷く。
「そうです。互いに助け合うことで、感謝の気持ちが育まれ、最終的に一致団結した一つの村にまとまるのではないでしょうか」
セレナが身を乗り出す。
「例えば……だが、魔族の土壌改善魔法と人間の灌漑工事。他には、魔族の狩猟技術と人間の食べ物の貯蔵技術なども協力できそうだ」
「あとは、最初のきっかけですね。魔族領側と人間界側に人を派遣して、一芝居うってもらいたいのです」
「一芝居? ただ助かるだけではダメなのか?」
「人の心を動かすには、単なる美談では足りません。演出が必要なのです」
サモンのメガネがキラリと光る。
「人間界側はアルス殿が適任でしょう。勇者として村を訪れて頂ければ、村人の協力を得られるでしょう。魔族領側ですが、魔王様に行って頂ければ、こちらも協力を得られます」
「私とアルスが、共に現場へ……?」
セレナが驚いたように顔を上げる。サモンは深く頷いた。
「ええ。これは単なる農業支援ではありません。魔王と勇者が、同じ大地で汗を流す。その光景を見せることこそが、世界への宣戦布告ならぬ『平和布告』となるのです」
フィオが身を乗り出して、拳を握った。
「いいですね! 私も護衛として、おにぎり百個持ってついていきますよ!」
「おにぎりは十個にしておけ」
俺は苦笑しながら、地図を見つめるセレナに声をかけた。
「どうだ、セレナ。お前の夢の第一歩、俺も一緒に踏み出したいんだが」
セレナはしばらくの間、地図と、それから俺の手を交互に見ていた。
やがて、彼女は凛とした、けれどどこか愛らしさの混じった魔王の微笑みを浮かべた。
「……よかろう。アルス、貴様の力、存分に借りるとしよう」
朝の光が食堂に差し込み、四人の影を長く伸ばす。
勇者の休職期間は、どうやらここから、少し忙しくなりそうだった。




