01.勇者への休職のお誘い
「……はぁ、はぁ、はぁ。いよいよ、魔王との最終……決戦だな……はぁ、はぁ、はぁ」
遂に、魔王城の最深部に控える魔王の間にたどり着いた。不気味な装飾の凝らされた重厚な扉に手をかけると、身体の熱を急激に奪い取っていく。
指先は霜焼けで感覚が殆ど無く、古傷を抱えたままだった右膝は悲鳴を上げていた。
一人旅を続けてきたこの身体には、この冷たさはかなり堪える。こんな些細な身体への負荷ではあったが、少しだけ弱気になっている自分がいた。
――最後に人と接したのは2ヶ月ほど前だったか。
場所は、確か、もっとも魔族領に近いサイハテ村だった。貧しい村だったが、村の住人は勇者である俺に本当に親切にしてくれたと思う。
固いながらもベッドを提供してくれたし、少ないながらも食べ物も恵んでくれた。僅かでも人間らしい生活をできて、救われたな。
だが、村を出発する際の村人たちのあの視線は、未だに慣れない。「魔王討伐を頼んだ。あなたにしかできないんだから」と訴えるあの視線だ。
あんな視線を送られたら、投げ出すわけにいかないじゃないか。「やらなくても良いんだよ」と言ってもらえたら、俺はこんな責任放り出して、どこか小さな街でのどかに暮らしたいのだ。
やりたいこととは裏腹に、責任ばかりが重くなっていく。
――勇者になったのは。
始まりは、城からの派遣団が俺の家に来たときのことだ。俺を「勇者だ」なんだと囃し立てた。勝手に勇者誕生祭なんて開きやがって。
その後、街の住人の間に「世界を救うため、お前は旅立たねばならない」という雰囲気が醸成されてしまった。出発を躊躇する俺に対する好奇の視線。あれは未だに忘れない。夢の中でうなされることもしばしばだ。
――国王は、支援してくれなかったのか。
国王も冷たい男だった。「魔王討伐は勇者にしか出来ない」とかなんとか言って、俺の支援のために軍を動かす事は一度もなかった。
そのくせ「旅の途中、困っている者がいたら救済してくれ」だなんて。都合が良いにも程がある。
なかなか出発しない俺を都合悪く思ったのか、ある日突然大々的な宴が催された。まんまと、逃げ出すわけに行かない状況を作られてしまったわけだ。
今振り返ると、祭りだの宴だので、外堀を埋めて行くのが、あの王様の常套手段なんだろう。いずれにしても、俺は我慢して城を発つしか無かったんだ。
――仲間たちは。
道中、パーティに加わった仲間がいた。みんな良い奴らだった。俺はあいつらを信頼していたし、あいつらも俺を信頼してくれていた。
野営の時に、国王の悪口を言いながら眠りにつくのがお決まりのパターンだった。心から信頼していないと、そんな危険なまねできないからな。
だが、俺たちの旅に怪我はつきもの。魔法で回復できず、旅を続けられないような大けがをして、仲間たちは離脱していった。
あいつらも「魔王討伐を頼んだ」という趣旨の台詞で別れたな。言葉に悪意が無かったのは分かる。
俺みたいな凡人は、逃げるか続けるか二つに一つだ。「頼んだ」なんて言われると、最後まで続けるしか無いって やらなきゃいけないって。
――本心に従い旅を続けたのか
本心なんかじゃ無い。街でも、城でも、外堀を埋められて、仕向けられて旅に出ただけだ。
そこから先は、責任感だけでここまでやってきたようなものだ。だって、誰かがやらなくちゃいけないのに、他に誰もやらないから。
――旅は順調じゃ無かったか
魔族領に入ってからは、食料の確保が本当に大変だった。魔物の肉にも手をつけたし、手近な植物は大抵手をつけた。
こんな無様な勇者がいるのか? 魔物の肉を毒抜きして食べる姿を王族に見せてやりたかった。自分でも良くここまで持ったものだと思う。
――じゃあ、最後の戦いだ
そうだ。長い旅だったが、ここで責任から解放される。勝っても負けても、だ。
もし魔王に勝てたなら、胸を張って故郷に帰ろうと思う。もし魔王に敗れたとしても、俺は死に魔王討伐の使命からは解放されるんだ。
感傷に浸ってる暇はない。重い扉を押し開ける。
「来たか勇者」
響き渡ったのは、若い女の声だ。禍々しい咆哮や、冷酷な宣告を予期していた俺の耳には、その声はあまりに……異質すぎた。
背後から扉が閉じる音がした。あの扉を開けるには、敵に背をむけるしかない。それはあまりに無防備だ。……これで逃げ場は無くなった。
目の前に広がる広大な広間は、吐息すら凍り付くような冷気に満ちていた。そして、その中央に漆黒の鉱石から削り出されたであろう玉座が鎮座していた。
俺は意を決する。
「お前が魔王か!」
玉座に腰掛ける魔王は、端正な顔立ちの女だった。魔族にも色々あり、人とかけ離れた見た目の種族もいれば、人とほとんど変わらない種族もいる。魔王は基本的には人間と変わらない種族のようだ。
「いかにも。私は魔王だ。ひれ伏しても良いぞ」
魔王は立ち上がり、こちらにゆっくりと近づいてくる。真っ直ぐ腰付近まで伸びた青髪が、一糸乱れず、絹布のようになめらかに揺れる。
魔王に対し不謹慎だと自覚しているが、姿勢や仕草は美しく、その一挙手一投足に目を奪われる。
「勇者よ。名を何と言う?」
魔王は俺の目の前で立ち止まった。剣を抜けば、すぐにでも斬りかかれる距離感だ。
それに、俺は勇者だぞ。お前の敵だぞ。何故、名前を聞くんだ。訳が分からない。
「魔王に名乗る名など無い!」
奴の誘惑に心を折るわけにいかない。俺は勇者なんだ。剣を握る拳に、意識を集中して、いつでも繰り出せるよう力を込める。
「そうか……お前、顔色が悪いぞ」
「……」
顔色が悪い? 皆は俺の背を力強く押してくれたぞ。
『勇者様には女神様がついているから大丈夫です』
『皆、あなたの勝利を遠方から応援しております。決して諦めないで下さい』
『あなたは勇者様。誰よりも強い身体をお持ちです。だから大丈夫』
誰もが俺に期待をしていた。がっかりさせてはならない。だから、諦めず、戦い続けなければならない。それが勇者だ。
魔王と目が合う。俺の覚悟を決めた顔を見た魔王は、ふっと視線を落とし、悲痛な表情を浮かべた。なぜ敵である俺にそんな表情をするんだ。
「一緒に……休まないか」
「……」
休むだって!? そうしている間に、人の世界を滅ぼすつもりか? 俺はだまされないぞ。
……だが、その甘い響きに、心が折れそうになっている自分がいた。




