第五話 ここに芽生える命
鯨の墓場へ辿り着くまで、わたしたちは多くの海を巡ります。
基本的には超深海を潜り、元素を固定し、エタノールを作るために、日中は水面へと浮上。
鯨の墓場で分離したコアユニットは、躯体を大きくするために、墓場の周囲をぐるぐると回り。
それから深海へと、緩やかに居場所を移していきます。
それは、丁度円を描くように。
下向きの螺旋を記すような、行動範囲の遷移です。
そうして躯体が成熟し、最後のときになると、再び鯨の墓場へと戻ります。
そこは、もとより海が浅かった場所で。
いま、とうとう陸地へと変わった場所でもありました。
「……ずいぶんと、長くかかってしまいました」
打ち寄せる波の音。
空を征くものはなく。
海にはレンカシリーズが満ちている。
潮流は陸地を削り、それをメイドたちが埋め立て。
レンカたちが押し寄せて、礎を盤石とする。
一面に広がるのは、無数の物質が混合された錆色の大地。
「レムリア2と、もう少し大きくなったら名をあげましょう。きっと、皆も了承してくれるはずです」
そんな独白をしながら。
わたしは躯体から、コアユニットを分離して。
鯨として、はじめて陸へと上がりました。
鯨である以上、大気組成を気にする必要はありません。まだまだエタノールが合成できると思うだけです。
だから、第一人類のように感慨はなく。
わたしは、マニピュレーターの中の〝もの〟にこそ、思いを馳せていました。
イッカクの住み処、南極基地で見つかった、〝キノコ〟。
重金属と貴金属を多量に含有した鯨の、その躯体が積み重なって出来た陸地には、命が芽生えることはありません。
いかに元素固定装置によって有機物を生み出せても、結果は同じです。
だから、この〝キノコ〟を植える必要がありました。
陸地の汚染物質を分解し、死んだメイドを分解し、土壌へと変える菌類。
わたしは、大陸再建計画を次のステップへと進めるため、この〝キノコ〟とともに、陸地へと上陸したのです。
カプセルを、そっと陸地へと突き立てます。
プシューっと固定用のガスが排出され、周囲に胞子が散布されました。
見届けて、わたしは一度、その場を離れます。
そうして。
百年の月日が経過して――
「見えていますか、イッカク……?」
再び上がった陸地には、命がありました。
僅かではありますが、定着したキノコが増えて、コロニーを作っていたのです。
ごくごく微量ではありましたが、彼らが分解した鯨の廃棄躯体――陸地とメイドの遺骸は、土へと変わっていました。
いまは、風に吹かれれば消えるような表土に過ぎません。
それでも、いまここに、たしかな命が息づいているのです。
「イッカクは、この星に命がなくなることを、本当に悲しんでいましたね」
でも、どうか見て下さい。
あなたの遺産が、世界を変えていくのです。
確かに芽生えた命が、この星に未来を灯すのです。
「あと何千年か。それとももっと多くの時間が必要になるか、現状では試算できませんが。しかし、イッカク。わたしは、決して諦めません。あなたという存在と引き換えに選び取った、この未来を」
大陸再建計画を。
「きっと、遂行してみせます」
だから、イッカク。
この海原で。
どうか、どうかいつまでも、微睡み、眠っていて下さい。
「それが、わたしがあなたに託す、願いです」
進捗を見届け。
海へと戻りながら、思います。
イッカクに、わたしたちのような固有名はありません。
群れるわけでも、開拓者でもないからです。
識別の必要がなく、正規ナンバーでもないからです。
それでも、わたしは彼を、こう呼びたくて仕方がありませんでした
回路の奥からせっつかれるような、リアクターの奏でるメロディに乗せて。
その名を呼びます。
さようなら、イッカク。
イッカク・スリーピング・プリンス――と。
わたしは歌います。
管理者として、友たちのために、彼女たちを知るための歌を。
52Hzの心音を。
この世界がよみがえるまで。
わたしは、歌い続けるのです――
次回、最終回です。




