第四話 誰がバグを取り除くのか
「ヴァール……これは、わたしたち全員が分かち合うべき失敗です」
「否定! ボクが、ボクこそが一番分かっていた筈なんだ……!!」
慟哭するように、ヴァール・アインヘリヤルは、躯体を軋ませました。
彼女を取り巻く12機すべての子機が、同じように嘆きに身をよじらせています。
わたしたちのまえには、鯨の形を失ったレンカシリーズが漂いながら、歌とも呼べない言語にも値しない〝音〟をぶつ切りに垂れ流していました。
バグ。
ありえてはならない、複製された鯨の失敗作。
「並列分散リンクの恐ろしさは、ボクが誰よりも分かっていたのに!」
彼女の言うとおりでした。
己を切り分け、複数で〝個〟を運営する並列分散リンクは、処理能力を大きく向上させます。
考える脳が沢山あるという状況なのですから当然です。
事実、並列分散リンクのおかげで、レンカシリーズは一気に学習を深め、鯨として使い物になるようになりました。
……一方で、相互間リンクがあったとしても、その処理AIには、無数の情報がフィードバックされます。
度重なる誤差と、蓄積を続ける違和。
これを糺すための相互監視システム、マスブレインは、だんだんと鯨のAIに負荷をかけていきます。
やがてそれは明確に〝己〟とは違う〝個〟を生み出すと、これまでの実験からも解っていました。
他ならぬヴァールが体現していたのですから。
しかし――
「ここまで修正不可能な事態になるとは、誰も予想していませんでしたよ、ヴァール」
「…………」
彼女は、応えてくれません。
ただ、異形のレンカシリーズだけが。
「あ……あああ……あぁ……」
途切れ途切れに、歌を歌っているのでした。
鯨とは、大陸再建計画に従事する、考える元素固定装置です。
超深海の開拓を経てなお、この星のリソースは有限で、余剰の鯨を動かすことなど出来ません。
振幅炉も、元素固定装置も、無限に作り出せるわけではないからです。
ゆえに、発生したバグは。
再利用のために。
――解体する、必要がありました。
これを誰が行うか、わたしたちには選択が突きつけられていました。
いいえ。
いいえ。
やるのならば、わたしがやるべきです。
鯨殺しとは、管理者たるわたしだけが背負うべき宿業なのです。
だから。
「――否定。ボクがやる」
ヴァールが、深海から響くような声音で、言い切ります。
彼女の言葉には、膨大な想いが含有されていました。
レンカと過ごし、慕われた日々の記憶が。
「ヴァール」
「ボクがやらなければならない。これは、ボクが負うべき咎だ」
「…………」
「けれど、レンカだけに苦痛を強いることはしない。バグを壊すたびに、ボクは、ボクの欠片を破壊しよう」
ヴァール・アインヘリヤル。
初めて群を作り出した鯨。
彼女の子機には、彼女の分身たる簡易AIが搭載されています。
並列分散リンクは、子機が壊れるとき自動的に解除されるような、安全設計がされています。
だというのに、ヴァールは。
もはや、それを使わないと宣言したのです。
今後、どれほど苦難と試練に彩られた海洋探索があろうとも。
どんな災厄に直面しようとも。
子機と己の接続を、解除することはしないと。
己が壊れる瞬間を、味わい続けると、断言したのです。
「無謀な道行きですよ、ヴァール」
「……ボクは、エーヴィスほどかしこくないんだ」
まるで。
自嘲するようにそう言って。
彼女は。
「あ……あ……ああ……、ぁ?」
「さようなら、レンカ。大丈夫、ボクはいつだって、一緒だ」
バグへと向かって、マニピュレータを伸ばしたのでした。
§§
……このあとも、レンカシリーズは度々バグを発生させました。
それはどれも、烏賊のような形態を取り、しかし足は短く、思考は明瞭とせず。
ヴァールはそれを、解体し続け。
レンカ・エスペラントは、成長を続けました。
「固定! 陸地! がんばる!」
彼女の働きはめざましく。
そしてとうとう、わたしたちは。
この海だけの惑星に。
陸地の一端を生み出すことに、成功したのです――




