第三話 バグ
クリード・マックベインの尽力と、南極基地の解析が進行したことで、レンカ・シリーズの増産体制は整いました。
一方で、フラグシップとしてのレンカ・エスペラントは、他の鯨たちからいくつもの薫陶を受けながら、すくすくと躯体を大型化させていたのです。
「おはよう、こんにちは、おやすみなさい」
「そうです、レンカ。これは挨拶です」
「あいさつ、なに?」
「造物主から受け継いだ、願いのようなものですね。おはようならば、ともに朝を迎えられた無事を。こんにちはなら、今日も一緒である事への感謝を。おやすみなさいは――また会えることを願って、です」
「……レンカのマスター、エーヴィス。エーヴィス、なにを、ねがったの?」
わたしは、その問い掛けに彼女へ寄り添うことで答えました。
すべての鯨がそうでした。
わたしたちはただ、彼女が大切だったのです。
とくに、ヴァール・アインヘリヤルは、レンカの教育に力を入れていました。
「もぐる?」
「肯定。ミネラルは海底のほうが豊富なんだ。より深く潜れる鯨は、より大きくなれる」
「キート、みたいに?」
「肯定」
「じゃあ、もぐる!」
「なら、ボクの子機をつけてあげよう」
「こき?」
「ボクの分身だ」
「ヴァールの、ぶんしん。なかま?」
「そうだね」
「なかま、なかま!」
そうやって、彼女の子機とともに、レンカは何度も海底へと潜る練習をしました。
レンカはどこまでもヴァールになついて。
まるで本当の親子鯨のようでした。
§§
さて、レンカシリーズの増産が決定して、幾つかの問題点が、あらためて浮き彫りになりました。
ひとつは、元素固定能力の荒さです。
もとより廉価版。いくつもの機能がオミットされていますから、わかりきっていたことではありましたが、レンカはそれほど大きくなれない鯨でした。
また、カフのような堅牢さもありません。
当初の計画である十五年スパンでは、5メートルが精々。
フラグシップであり、実験機であるレンカ・エスペラントは例外的に年数を重ねて、40年間元素を固定させてみましたが……精々が10メートルまで成長するのがやっとでした。
無論、その点を補うための増産体制です。
想定の範囲内と言えます。
次に問題視されたのは、AIとしての発育が遅れていることでした。
万全の環境で、ビッグデータを用いて学習を行ったわたしたちと、急場でビルドされた彼女では、やはり差違が出ます。
処理能力も心許なく、ときおりぼぉっとしています。
しかし、これとて時間が解決するでしょう。
わたしたちが見守り続ければ済む話なのですから。
……いえ、もっと画期的なブレイクスルーが、ありました。
わたしたちは、その安易で革新的な道を、彼女が選ぶのを目にしたのです。
レンカシリーズが本格的に大量生産されはじめたとき、レンカ・エスペラントは、並列分散リンクを使用することを選びました。
そう、ヴァール・アインヘリヤルが子機との連携のために実装し、そして個性と呼べるほどの誤差を生み出してしまった、あのシステムです。
わたしたちが、イッカクとの戦闘以来封印しているシステムでもありました。
全員が、マスブレインシステムの影響を受けることを避けるためです。
ですが。
「レンカ、かしこくなりたい。いっぱいつながる、すごくかしこくなる。ヴァール、かっこいい。レンカ、がんばりたい」
精一杯に選んだ語彙でそう訴えられれば、わたしたちには否定することなど出来ません。
反対、できるわけがなかったのです。
そうして、並列分散リンクによって、大規模な情報処理が可能になったレンカは。
その日から、めきめきと成長していったのです。
「おはよう、エーヴィス。うみはすごくつめたいね」
「ここは星の極圏ですからね。海水はとても冷却されています」
「地球のおへそにいるんだ」
「……そんな言葉、どこで覚えましたか?」
「ないしょ」
立派に自己を確立し。
小さいながらたくさんの元素を固定して。
百五十年が経った頃には、とうとうはじめての躯体廃棄――自力でのコアユニットの離脱まで出来るようになりました。
その間にも、レンカシリーズは日増しに数を増やし。
海を満たし。
陸地を増やし。
レンカ・エスペラント。
彼女は、誰よりも働き者として頑張りました。
とてもとても頑張りました。
けれど――その残酷な日は、やってきてしまったのです。
「これは――鯨ではありませんわ……」
困惑を隠せない様子で、ジンユーがそう言います。
わたしたちの目の前には、一頭のレンカシリーズがいました。
けれど、その形は。
「巨大烏賊」
鯨とは似ても似つかない、いくつもの〝食腕〟が後方へと伸びる、烏賊の形をした、なにものか。
〝それ〟は、レンカシリーズの声紋で。
「あぁ……あー、あああー」
……歌を、歌っていたのでした。
何もかも。
大陸再建計画のことも、わたしたちのことも、そして己自身のことも、忘れて――
バグ。
並列分散リンクの中で生じる、情報誤差の積み重ねの残酷な結果が。
ただ、そこにはあったのでした。




