第二話 レンカシリーズは海を征く
廉価版〝鯨〟プロジェクトは、挫折と試行錯誤の連続でした。
多くの課題の中、真っ先に立ちはだかったのは、水中元素固定装置の再現です。
オーバーテクノロジー。
すでにこの時代では失われて久しい技術は、現物を手に入れたことで、ある程度突破可能な技術点かと思われていました。
しかし、存在するだけで周囲の元素を固定し、同時に任意の組み替えを行うためには、AIと装置の高度に有機的な接続、なによりも熟練度を必要としたのです。
解析の結果、現存する技術と素材では、完全には装置の機能を再現することは出来ませんでした。
そこで、思い切ってパフォーマンスを切り捨てる判断をくだします。
具体的にはこうです。
無制限に元素を固定するオリジナル水中元素固定装置を制御することは困難である。ならば、恣意的に回収できる元素を限定すればいいのではないか?
そんな案が提出され、わたしはこれを採択しました。
仮設コアユニットに〝濾過器〟を取り付け、海水を越し取ります。
比較的取り出しやすい元素は、そのまま固定化を行い、選別できないものは、躯体外に排出します。
これにより、水中元素固定装置の負荷を軽減し、いちいち選別しなくとも元素を固定することが可能となりました。
ただ、問題点として躯体の形成――元素の結びつきが弱くなる傾向があり、外殻がぽろぽろと剥離しやすくなるというデメリットも発生。
短い期間での運用には問題がないため、この〝鯨〟では成熟までの期間を15年と区切ることにして、対応――間に合わせます。
必然サイズは小さくなりますが、背に腹は代えられません。
無論、要改善です。
次に上がってきた問題は、一番の難所であったと言っていいでしょう。
振幅炉の複製についてです。
こちらは、南極基地で入手したオリジナル振幅炉とドリームハイドレートで複製を作ればいいのではと、当初は考えられていました。
しかし、廉価版鯨の成熟が早く、躯体の形成と交代のスパンが早いことから、強い負荷がかかることが明白になります。
また、高性能な炉心を作るとなると、ただでさえ少ないドリームハイドレートを、試験目的でも大量に消費することになってしまいます。
そして最大の問題点――振幅炉の起動――時間結晶の無限振幅を開始させるためには、膨大量の電力が必要とされました。
これは、鯨七機を直結しても、すこしばかり足りない数字です。
そもそも、振幅炉は大出力を可能にする炉心ではないので、致し方ないのですが……
さて。
そこで、思い切って、こちらも大幅に機能をオミットした疑似振幅炉を制作することにしました。
純度の低いドリームハイドレート凝縮体――ラムダP9のダミーを中枢に使い、量産こそを目的としたのです。
結果だけ見れば、炉心は低出力で、安定性がなく、個体差が大きいという散々なものでしたが。
しかし、運用自体には問題がないと、合意を得ることが出来ました。
わたしたちの技術力では、この辺りが限界だったというのが、本当のところでもあります。
そして、最後に立ち塞がった問題こそ――AIの習熟でした。
わたしたちの蓄積データをすべてつぎ込み、はじめから学習を終えたAIを作る。
これは――はっきり言って、机上の空論でした……。
単純なコピーアンドペーストでもないのですから、そこまで簡単にいくわけがなかったのです。
それでも。
どうにかこうにか試行錯誤を繰り返して。
鯨によるはじめてのAIが、生み出されたのです。
その第一声――わたしたちにとっての『ハロー・ワールド』が、
「あい、あすく、ゆー。あー、ゆあ、まざー?」
だったのです。
/アーカイブを検索。
/適切な比喩表現を抽出。
正直、目の中に入れても痛くないぐらい可愛らしく思えました。
だって、わたしたちのことを「お母さんですか?」と訊ねてきたのですよ?
これはもう、感激です。
他の鯨たちも、クリードですらそうだったようで、全員がフリーズしたように動きを止めたあと、とてもとても丁寧に廉価版鯨をもみくちゃにしました。
「かわいいのう、かわいいのう」
「肯定、いやされる」
「語彙がなくなるな」
「皆、さがるのですわ! わたくしがお母様でしてよ!?」
「うるさいの、ジンユー」
「だー! 全員さがる! AIの発育に最悪よ!」
カフが無理矢理に全員を引き離し、なんとかその場は事なきを得ました。
彼女、こういったとき、本当に真っ当に振る舞いますよね。
「……あー、ゆあ、まざー?」
廉価版の鯨は、わたしを見詰め、そう問いました。
「そうですね、管理者ではあります」
「ますたー?」
「はい」
……そうです。
大切なことを忘れていました。
この鯨には、まだ名前がありません。
わたしたちは、願いや使命、役割によって名前を与えられました。
ならば、彼女にも〝名前〟は必要なはずです。
「……当初の予定通り、廉価版なのでレンカでいいですね」
「いいわけあるか」
「エーヴィスは本当役に立たないの」
「もうちょっと思慮深くあって欲しいですわね!」
「あたしもさがすにそれはどうかと……」
「儂もドン引きじゃ……」
「否定。今回は断じてナイン」
総スカンを食らいましたが、わかりやすいのは大事なことです。
だから、わたしは管理者の権限で横車をおします。
「彼女は――彼女たちはこれからたくさん生まれてくるでしょう。そして、この海を満たしていくでしょう。ゆえに、レンカ・シリーズと名付けます」
「エーヴィス!」
誰かが、あるいは誰もがわたしに文句をつけようとして。
「レンカ・エスペラント・シリーズです」
そのまま、沈黙を選びました。
エスペラントとは、第一人類が生み出した人工言語のひとつです。
あらゆる国家に属さず、あらゆる不自由に負けない言語。
その意味は――
「〝希望〟の鯨。レンカ・エスペラント。それが、あなたの名前ですよ?」
「れんか、えすぺらんと……あい、こぴー」
幼き鯨は、解りましたと言わんばかりに、一回転をしてみせました。
わたしたちはそれを、ただ見守り。
そして、このあと二百年かけて、彼女が苦難の道を辿ることを、目撃するのです――




