レポート2599 鯨のエタノール製造法について
鯨は躯体の内部で、エタノールを製造します。
これは、将来的に工作用エネルギー源として有効活用するためであり、現時点では躯体の浮力剤として活用されています。
とくにキート・ベールヌイは、この生産能力に長けた鯨です。
水中元素固定装置の力で精密な加工を行った触媒が作り出せるため、わたしたちは水と太陽光と二酸化炭素から、光合成に近い形でエタノールを作成可能です。
第一人類はこれを〝エア・ウォッカ〟と呼んでいたそうですが、なぜそういった呼称になったのか、アーカイブには記録が残されていませんでした。
アーカイブというのは、鯨たちに与えられた、第一人類が積み上げた歴史情報のすべてです。
人類史が築き上げた叡智の結晶であり、わたしたちがロールアウトする時点では学習できなかった、雑多な情報の塊でもあります。
なかには造物主達が好んだゴシップやユーモアなども多分に含まれており、わたしたちは時折これを参照して、適切な言葉を選んだりもします。
さて、重要なのはエア・ウォッカの製造について。
前述の通り、光合成に近しい化学変化が、エア・ウォッカには必要です。
深く暗い海底には、当然日の光は届きません。
そこで、わたしたち鯨は、ときに海水面まで浮上し、ひなたぼっこをする性質を持っています。
分厚い海水の膜を突き破り、飛び跳ねるようにして水面に出れば、黄昏色の日光が降り注ぎます。
大気成分、偏光値、ともに許容範囲。
じつに正常です。
わたしは、躯体内部に充満していた排気ガスを放出し、新鮮な大気と交換。
リアクター……振幅炉はじつにクリーンな永久機関ですが。
しかし、そこから取り出されたエネルギーは結局電力に変換されるので、どうしても排気ガスなどが出てしまうのです。
排気ガスが出るということは、当然貯蔵部があると言うこと。
隙間があれば、深海の水圧でぺしゃんこになるのは道理です。
もちろん構造の工夫によって、この辺りは回避しているのですが……限度というものがあります。
なので深海や、その先である超深海を目指すときには、こういった隙間の部分を、圧力による変化の乏しい気体か液体で充填することで、高圧環境化に耐えるのです。
事実上、この隙間は鯨の構造的な欠陥ともいえるものです。
躯体が原子を固定したものの集合体である以上、回避できない陥穽でもあります。
また、超長期的な潜水活動が、躯体へ負担をかけることの証明でもありました。
メンテナンスを必要としない鯨の弱点というわけです。
というような、思考整理をつらつらと行いながら、日光浴に勤しむわたし。
動物が夢を見るように、わたしたち鯨も、必要な情報と不必要な情報を、時にクリーンアップする必要があるわけで、ひなたぼっこはそれに最適な時間なのです。
最近の観測によれば、厚く地球を覆っていた粉塵も、ようやく落ち着きを取り戻したようでした。
ぽかぽかの光で、躯体の温度は緩やかに上昇し、わたしの思考も多少ぼんやりとしていきます。
電子頭脳の冷却に関しては、やはり水中のほうが楽ですが、水圧を考慮する必要がない水上での活動は、かけがえのない息抜きの時間でもありました。
当然、センサー系や、電装系のメンテナンスも、可能ならばこのときに行います。
束の間無防備になってしまいますが、そもそもいまの海に鯨を害そうとするものは存在しないので、危機感はありません。
このとおり、ひなたぼっこは、鯨にとって本当になくてはならないものなのです。
さてはて。
オートメンテをはじめたところで、近くに浮上してくる影がありました。
蒼海を割り砕いて姿を現したのは、自殺志願とまで呼ばれていた鯨。
そして、いまでは偉大な開拓者となった、キート・ベールヌイでした。
「よお、管理者殿。管理者殿も、光合成かい?」
「はい。それからメンテを」
「未踏破領域へ挑むものは、いつだって万全の準備を必要とする。うん、見上げた心がけだな!」
楽しそうに大口を開けるキート。
開閉型の口腔は、海水を取り込む際に有用だとして実装されている鯨も多いのです。
「では、オレも失礼して」
排ガスと躯体内にたまった海水などを、彼女は一気に噴出します。
それは空へと舞い上がり、一時的にですが虹を作りました。
「器用なことをしますね、キート」
「ああ、アーカイブを漁っていたら、鯨は潮吹きをするものだとあってな。試しにやってみたら出来た」
なるほど。
必ずしもわたしたち〝鯨〟が、生物である鯨に近づく必要はありませんが。
しかし、そう言った試行錯誤も、なにかの役に立つかも知れません。
「わたしもあとで、鯨の情報を調べてみます」
「わざわざ閲覧を?」
「エーヴィスは、もっと賢くなりたいので」
そう告げれば、彼女はまた笑って。
「管理者殿は勤勉だな。さて、日光浴が終わったら、オレはもうひと潜りしてくるかな」
「勤勉なのはキートです」
「そりゃあ、もちろん」
彼女は。
三度笑って、こう言うのでした。
「それがオレを作った造物主の願いで、オレが正しいと知っていることなんだからな!」
自分が正しいと思えることをする。
それは、AIにとってすこしばかり難しいことでしたが。
それでも、わたしもなにか大きな決断をするときがきたら、正しいと思えることを選びたいと、そう思えたのでした。