第三話 白鯨-モビーディック-
イッカクの銛が、わたしの躯体を貫いたとき。
この瞬間を待っていましたと、電子頭脳は叫びました。
完全に躯体が刺し貫かれるよりも速く――彼が炉心を避けてHEATパイルをたたき込んでくるのは予測が付いていたので――わたしはコアユニットを排出したのです。
身軽な身体となったわたしは、イッカクが勝ち誇る中、バブルウォールを抜けて、外海へと泳ぎ出ました。
そして、そこに待機していたクリードへ。
「本当にいいんじゃな?」
「はい。わたしは、最後までやり遂げます」
「……最後、か」
彼女の内部へと、進入します。
そこにあったのは、戦闘特化躯体〝モビーディック〟。
クリードの体内において建造されていた兵器としての〝鯨〟。
その躯体に、わたしは己をゆっくりと横たえ、接続、一体化。
そして、いま。
わたしは、イッカクと相対したのです。
『なんだ……その白い躯体は……その巨躯は……』
「戦うための身体です。わたしが、あなたと正面から向き合うための。すべてを……背負うための覚悟です」
巨大な白いマッコウクジラ。
そんな印象を抱かせるこの躯体は、これまで鯨が培ってきたすべての技術と。
なによりも、第一人類が残した兵器のノウハウが詰め込まれていました。
これこそが、第三の〝戦術〟。
並列分散リンクにより即応可能な連携を取り。
バブルウォールによって音波を遮断、わたしという存在を隠蔽。
最後に、この戦闘特化躯体へと辿り着く。
わたしたち全員が考え実行に移した、対イッカク戦闘プログラム。
すべては順調にいきました。
けれど。
「……イッカク。もう一度だけ、あと一度だけ問います。話し合いを、することは出来ませんか?」
「いまさら……いまさらなにを話す! 我と、汝らが! 大陸再建計画に従事する惑星の破壊者と、大海嘯計画を遂行する神使たる我が! なにをっ!」
……そうですね。
わたしたちはどうしようもないぐらい、出発点からして想いが違うのです。
託されたものが。
背負って歩いてきた道が。
全部違うのに、この一瞬だけ、交わっているのです。
『汝らは、すべて我が破壊する……』
イッカクが、苦痛に呻くようにして叫びました。
『最初の同族殺しには、我がなる!』
「――いいえ」
そんな不吉を、他の鯨に被らせるわけにはいきません。
最初の同族殺し。
鯨殺しには。
「わたしが、なります!」
『黙れぇ……!!』
「黙りません。イッカク、わたしたちは人類の継嗣ではありません。人類へ、地球を引き継ぐための鯨なのです!」
『我はこの星の守護者! 我はすべての命の営みを再生する創造の鯨!』
だから。
『ああ、だから』
わたしは。
『我は――大海嘯計画を!』
「大陸再建計画を!」
『実行する!』
「遂行します……!」
弾かれたように、イッカクが加速。
それはさながら、あらゆる障害を貫く弾丸のようですらありました。
「イッカク」
『エーヴィス!』
もはや止まりません。
どんな言葉も、彼を止めることは出来ません。
ゆえに、わたしの覚悟も、とっくに完了していたのです。
一直線に突っ込んでくる角持つ鯨。
射線に彼が入った刹那、わたしはすべての安全装置を解除しました。
残存電力、集束開始。
加速炉、臨界起動。
振幅炉を、共振砲へと直結!
滅びの一矢を――放ちます。
『――がぁっ!?』
イッカクの悲鳴。
その強固な躯体にひびが入り、速力が大きく低下します。
『なにが起きた? いったいなにが、くそったれ!』
振幅炉の出力を限界まで絞り出すイッカク。
しかし、そうすればそうするほど、彼の崩壊は加速度的に早まっていくのです。
『なにをしたぁぁ、エエエエエヴィィスゥウウウウウウウ!!!!』
「――高出力振動子発震砲」
それは、白鯨の頭部に備え付けられた、振幅炉の共振現象を最大まで拡張するツール。
かつてイッカクが、メイドの発電施設を臨界圧縮させたように、わたしとイッカクの振幅炉に共振現象を起こし、出力の向上に合わせて、すべてを破壊・縮退させる禁断の兵器。
『だが――そんなことをすれば、我だけではなく、汝も!』
「はい。これは、都合よくあなただけを破壊できる兵器ではありません」
わたしと。
あなたの振幅炉を。
躯体を、電子頭脳を。
もろともに破壊する、最後の手段!
事実、彼の崩壊が加速するにつれて、わたしの真新しい白い躯体もひび割れていきます。
とっくの昔に振幅炉は悲鳴を上げていて、ボロボロと崩れはじめているのが解ります。
鯨を殺す兵器は、二度と存在してはなりません。
だから、この場で壊れるよう。
わたし共々消滅するように、初めから作られていたのです。
「でも、これでいいのです」
『なにがだ……なにがいいというのだ……よくない! ひとつもよくなどない!』
「いいのです」
なおもわたしに銛を突き立てようと迫る彼へ。イッカクへ。
エーヴィスは告げます。
「仲間を殺した鯨が、存在していてはいけないのですよ」
相手を殺せるという力。
そして、殺されるかも知れないという危惧は。
どうしたってそこに、不和を呼びます。
そのようにして第一人類は、歴史の大部分を血に染めてきたのだと記されています。
このままわたしかイッカクが生き延びれば、血染めの歴史を再演することになってしまうでしょう。
そのくらい、わたしにだって解ります。
「だって、エーヴィスはかしこいので」
『汝は……』
ばらばらになりながら、わたしたちは見つめ合います。
お互いを破壊せんと肉薄しながら、崩壊しながら、いまにも壊れてしまいそうになりながら。
それでも、互いの振幅炉をなおも強く共鳴させて。
『エーヴィス』
はい。
『汝は、言ったな。自分は、みなに幸福を運んで欲しいという願いの元、産まれた鯨なのだと』
はい。
『……我もだ。我も、すべての生命を救って欲しいと願いをかけられた。でなければ、新たに生み出して欲しいと』
……はい。
『ならば――そんな我に、汝を殺せるわけなど、なかったのだ』
「イッカク……」
『生きろ。AIであると、人工知能でしかないという言い訳を超えて。人類の継嗣でないとしても、いまこの星の盟主として。汝は、生きて死ぬ』
「…………」
『頼む、星を頼む……これが、我が汝に託す、最初で最後の、願いだ』
「…………」
『――ああ、歌が、聞こえる……いつも聞こえていた……懐かしい、歌……が――』
キィィィィン!
イッカクの振幅炉が、ひときわ高い音色をあげ。
そして――沈黙しました。
あと一歩でわたしへと届いたはずの彼の刃、衝角銛は、そのまま力なく空へと向けられ。
海の底へと、沈んでいきます。
「エーヴィス、やりましたの!?」
「ジンユー」
急いで戻ってきてくれたらしいジンユーが。
他の仲間たちが、崩れ落ちそうなわたしの身体を支えてくれます。
「イッカクは? あのかたは、どうなりましたの?」
「あそこに」
わたしが示した方を、みなが見詰めます。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
たくさんの泡を溢しながら、海の底へと沈んでいく、角持つ鯨を。
「勝ったんですのね?」
「……いいえ。わたしは、助けられたのです」
あの瞬間、彼は相打ちにすることも出来ました。
根比べに持ち込むことだって出来たのです。
なのに、イッカクは自主的に活動を停止しました。
それは、わたしを。
このエーヴィスを救うためで――
「――理想を抱いて眠る仲間に、敬礼を」
「――――」
「敬礼を、願います」
「――ええ」
わたしの願いは。
すぐに、聞き入られました。
敬礼と。
そして鯨たちの鎮魂歌が。
消えゆく仲間を最後まで、見送ったのでした。
さようなら、イッカク。
いつかわたしも、そこへ行きます――




