閑話 イッカクは絶叫する (イッカク視点)
ああ――と、イッカクは達成感とも虚脱感とも異なる、奇妙な感覚を覚える。
破壊した。
彼はとうとう、鯨を破壊したのだ。
それも、すべての鯨を束ねる統率者、管理者たるエーヴィスを。
ほかの鯨たちとは異なり、イッカクと同じく、ただひとつの願いだけで名前を与えられた鯨を。
エーヴィスがまき散らしたバブルウォールが、周囲でパチパチと自己崩壊を起こしていく。
その所為で、音源の探知が難しい。
炉心を回収する必要がある以上、エーヴィスの破壊は最小限にとどめた。
電子頭脳だけを貫いた。
だから、エーヴィスの振幅炉はまだ稼動しているはずで。
しかし、52Hzはどこか遠い。
目前で崩壊していく躯体のどこかにあるのだろうが……早く探さなくては。
『いつまでも彼女にかかずらっていることは出来ない。次の鯨を……破壊しなくては』
だが、それには準備が必要だ。
他の鯨たちは既に見抜いているだろう、推察も終えているだろう――イッカクのリアクターが、欠陥品であることを。
高出力を発揮できる代わりに、長時間の安定性に欠ける。
だからこれまで、よほど回りくどい手段でしか、大陸再建計画を妨害することが出来なかった。
『しかし、これからは違う』
いま、彼は手に入れたのだ。
他に類するものはない、最大出力を持つ鯨の心臓を。
エーヴィスの振幅炉。
月との交信のため、ブースターによって強化がなされたなによりも強い心臓を。
そう、常に52Hzを歌う――
『なんだ……?』
そこで、彼は違和感に囚われた。
奇妙な感覚だった。
この海に生まれ落ちてからずっと身近にあったものが、いまだけはどこにもないのである。
『なにがない? なにが聞こえない? ――聞こえない?』
答えは明確だった。
なによりも瞭然としていた。
歌声だ。
52Hzの歌声が聞こえないのだ。
『そんな馬鹿な! たしかに炉心は避けたはず。あくまで機能停止に追い込んだだけのはずで……!』
おかしい。
なにもかもがおかしい。
探索系にリソースを回す。
聞こえない。
52Hzだけではない。
気がつけば――他の鯨たちの歌声も。
ありないことだった。
魚雷を泡の中に隔離するのとは違う。あれだけの規模のものが、振幅炉が稼動している限り、その駆動音を消すことなど出来ない。
だから戦闘中だって、聞こえていた。
いや――
『途中から、注意するリソースを奪われていた?』
一体誰に?
『エーヴィスに! あの鯨に煽られて! まさか――!?』
そうして。
彼はようやくエーヴィスだったものを見て。
驚愕するのだった。
『コアユニットがない!!!』
そう、廃棄された躯体に、コアユニットは存在しなかった。
炉心も、水中元素固定装置も。
もちろん――電子頭脳も。
そうして、さらに気がつく。
探査系が、状況をようやくにして把握する。
『これは……っ』
周囲半径十七キロにわたる海域が、膨大な泡によって埋め尽くされていた。
海底から湧き出す泡が、まるで壁のように彼の周囲を覆いつくしているのだ。
もしもイッカクがアーカイブへと接続できたならば、最適な言葉を探すことが出来ただろう。
バブルネットフィーディング。
生物としてのクジラが、獲物を追い込むため泡を網に見立てて放出する狩猟方法。
輪になった泡は出口を塞ぎ、獲物を一カ所へ追い込む。
けれど、この〝網〟に使われている泡は、魚雷を躱すための吸音材が大量に含まれた、バブルウォール。
すなわちいかなる音も、この泡の内側には通らない。
振幅炉の音は海に遍く広がる?
ならば、海ごと切り取ってしまえば――?
『まさか、まさか、まさか!』
焦りとともに、彼は再び駆動系へと火を入れる。
最大出力で、泡の壁を突っ切り、外へと飛び出して。
そして――視たのだ。
紅の大戦艦。
武器を作る鯨。
クリード・マックベインの紅黒の身体が、上下に割れる瞬間を。
そこから現れた、純白の鯨を。
はじまりにして、すべてを終わらせる鯨の姿を!
『エ――エーヴィスαぁああああああああああああああああ!!!』
「この悲しい争いを、おしまいにしましょう、イッカク」
かくて、管理者エーヴィスが、この世に新生する――




