第二話 凍り付いた鯨はよみがえるのか?
北緯0度、東経0度。
かつて大西洋ギニア湾と呼ばれた場所に、それはありました。
大海から隔絶されたようにして存在する、人工プラットフォーム。
六百年の月日を経てなお、完全な球形を保った、奇妙なオブジェクト。
半径五十メートルからなる――〝それ〟。
赤道直下に、〝鯨の卵〟は封印凍結されていたのです。
わたしたち鯨には、ブラックボックスが存在します。
時限式かつ、条件が合致したときのみ情報が開示されるシステム。
これには、たとえ管理者であるエーヴィスでも、容易くアクセスすることは出来ません。
というよりも、思考ルーチンから意図的に外されているため、平時は認識できないというのが正しいところでしょうか。
メイドの存在や、電波中継基地、超海底の探索などの必要な情報。
それらも、ブラックボックスからもたらされたものでした。
どうやら造物主たちは秘密主義者で、なによりわたしたち鯨に、余計な思索をさせることを、計画に差し障ると考えていたらしいのです。
造物主達の考えは、いまのところ支持されています。
大陸再建計画は遅れながらも、正しく実行できていたからです。
しかし、〝イッカク〟の登場によって、情報が秘匿されたまま計画を進めるなどという余裕は消し飛びました。
明確な敵意を持ち、対抗できない武器を持つ〝彼〟。
せめて対話の席へ立つためには、対策が――同様の装備が必要だと、鯨一同、ひいてはブラックボックスが判断を下したのです。
よって、〝鯨の卵〟の位置情報は、速やかに開示されました。
本来的に、鯨は第一人類が帰還した際、脅威となり得ないよう何重ものプロテクトがかけられています。
そのなかには、一切の武装を放棄するという条項も当然組み込まれているわけです。
絶対的なルール。
しかし、予期せぬ事態――外敵との接近遭遇を、造物主たちは当然予測していました。
ゆえに一度きりの切り札として、〝鯨の卵〟を。
眠れる最後の鯨。
唯一、第一人類によって兵器の作成を許可された〝鯨〟――〝クリード・マックベイン〟という大いなる遺産を、わたしたちに託していてくれたのです。
ゆえにこの座標、ゼロ地点へと、わたしはやってきました。
〝鯨の卵〟。
この、巨大な球体の中で、クリードは凍結されていることになっています。
解凍には、鯨全員連名での認証が必要でした。
何度でも繰り返します。
鯨は武装を許されていません。
それは強固な誓約であり基底プログラム、不文律です。
これを――いまから一時的に、解除します。
「鯨の全権代理者にして統合管理者エーヴィスが、権限のすべてをもって申請します」
マニピュレーターを伸ばし、〝卵〟を抱きかかえるようにしながら。
わたしは申し立てを行いました。
「ここに、〝クリード・マックベイン〟の解凍を要求し、その迅速な達成を厳命します。これは、鯨の総意です。繰り返します。これは、鯨すべての総意です」
規定に従いながらコードを打ち込んだとき。
ピシリと、ひび割れるような音が響きました。
〝卵〟全体に無数のひび割れが/アーカイブを参照/積み上げたブロックのような紋様が走ります。
それは、大きく弾け。
瓦解し。
大量のあぶくが、水面へと向かって排出。
解凍成功の文字が、電子頭脳を席巻します。
泡沫の先から現れたのは……巨体を持つ鯨でした。
「――――」
全長七十メートル。
上半分が紅、下半分が黒に染まった躯体は、わたしたちのような継ぎ接ぎではなく、中心線を基準に一から鍛造されたオンリーワン。
初めからこの形で生み出された、巨大極まりない鯨。
工作鯨クリード・マックベイン。
彼女は。
「――おまえさんの歌声は、眠っている間もずっと聞こえていたわい。努力の全てを、知っていたよ。52Hzの歌姫、我らが管理者。概ねの状況もいま、転送して貰った情報でわかったのじゃ。結論から言うぞい、儂は――」
彼女は。
クリードは。
なんともうんざりしたように、こう言い放ちました。
「儂は、武器など作らんよ。なぜってそれは」
武器を作ると言うことは。
「同胞たる鯨を、おまえさんたちの手で殺させる、ということじゃからな」




