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鯨骨惑星群集 ~始まりの少女は52Hzの詩を運ぶ~  作者: 雪車町地蔵
第四章 鯨は偉大なるステイツを誇れるか
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第三話 〝イルカ〟はそれでも〝鯨〟なのか

 コーン、コーン、コーン……


 ソーナー音の反響が、どこまでもどこまでも拡散していきます。

 ここは低温と高圧が支配する、世界の極限――超深海。


 通常の深度ならばびくともしない〝鯨〟の躯体。

 それでも超深海では勝手が違います。

 いかに躯体の気密が完璧で、密度が高く、空白部分には大量のエタノールが浮力剤をかねて詰め込まれているとはいえ、それでも外殻が軋むほど、過酷な環境がここにはあるのです。


 キート・ベールヌイが道行きを切り(ひら)いたいまでも、超深海の大部分は未知のベールに覆われていました。

 継続的にヴァール・アインヘリヤルが調査を行っていますが、彼女でも長時間の潜行は難しいのです。

 そんな場所を、わたしとカフは訪ねていました。


「デートなら、もっと別の場所に誘ってくれてもよかったんじゃない……?」


 カフは、音波通信(こえ)をうわずらせながら、そんな知的遊戯(ジョーク)を発します。

 たしかにここでなくとも、カフへ己の在り方を自覚させることは出来たでしょう。

 ですがエーヴィスも暇ではないので、用事は一度に片付けてしまいたいという思いがありました。

 合理性は、AIの顕著な特性です。


 さて――先に述べたとおり、超深海の全容は明らかではありません。

 なので、解らないところにはとりあえず潜ってみる必要があります。

 エーヴィスはそれほど強度に優れているわけではありませんから、やはり友連れが必要でした。


「それがあたしってわけか……あーあ、完全に割を食ったわね」

「まあまあ、そう言わないで。たまには管理者と行動を共にするのも楽しいものですよ」

「楽しい、ねぇ……」


 などと、アーカイブを参照した小粋なトークをしながらも、わたしたちは深度をどんどんと重ねていきます。


「そもそも、イルカってなんなのよ」


 やがて、カフはうんざりといった具合に切り出しました。

 他に聞き耳を立てるものが存在できない場所だからこそ、滑り出た言葉だったと思います。


「あたしは〝鯨〟なの。だってのに、すこし身体が小さいから〝イルカ〟だなんて……馬鹿にしてくれちゃってさー」

「だれも馬鹿になどしていません」

「じゃあ、なんなの?」

「言語化することは容易ですよ。みな、カフのことが大切で、そして羨んでいるのです。カフがわたしたちの長所を羨んだように、わたしたちもカフを羨んでいるのです」

「はぁ?」


 ずいぶんと、呆れ果てたような様子でした。

 あるいは的外れだと揶揄(やゆ)しているとも。


 ゆえに、確信できました。

 彼女がこの話題について演算を厭い、思考停止状態に陥っているのは、最早間違いありません。


 第一人類風に言うのなら、目が曇っていたわけです。

 だから、わたしは言葉を止めませんでした。

 いま、止めるわけにはいかなかったのです。


「そもそも、造物主が世界を(にな)っていた頃、海洋にいたクジラとイルカ、そこに差違はありませんでした。大きなイルカもいましたし、小さなクジラもいたのです」

「だったら、なんで呼び方が違うのよ」

(おそ)れです」

「……なんですって?」


 わたしは、己でも理解しがたい、いわゆる〝心〟の領域にある話を続けます。


「エーヴィスは、造物主たちが〝心〟を持っていたことを知っています。わたしたちとて、アーカイブを参照し、それらしい振る舞いをしてみせることがありますが……それはどこまでも模倣に過ぎません。カフのジョークもそうでしょう?」

「……そうね」

「はい。心――それは鯨には理解しがたい、複雑怪奇な第一人類のブラックボックスです」


 その〝心〟が、クジラとイルカをわけていたのだと、わたしは告げます。


「クジラは、福を招く存在、富そのものでした。けれど第一人類からすれば、その身体はあまりに大きく、恐怖や宗教的な感情を抱かせました。一方でイルカは、賢くなつきやすい生き物だとされていました。鯨よりもイルカのほうが、人間にとっては親しみがあったのです」

「……なにそれ。じゃあ、あたしが向けられているのは〝愛玩(あいがん)〟ってこと? そんなの」

「ええ、そんなのはふざけています。憐憫(あわれみ)などより、よほどたちが悪いでしょう」


 けれど、カフ。


「わたしたちは、あなたを大切に思っています。同時に、畏敬も感じているのです」

「……どういうこと?」

「ちょっとだけ、あなたは自覚が足りないということです」

「エーヴィス? ……どうしてそこで止まるの? もっと深くまで行くんでしょ?」

「いいえ、いいえ」


 あたしには、それができないのですよ、カフ。

 闇黒の中、マリンスノーさえも降り積もることのない、完全な闇の中。

 海水のベールが、わたしとカフを(へだ)てていきます。


 カフがわたしへと前鰭()を伸ばし。

 わたしもまた、彼女へとマニピュレーターを差し伸べます。


 ここに光があったのなら、わたしたちはさながら宗教画の題材として最適だったでしょう。

 しかし闇黒の中では、ただ距離が離れていくだけで。


「エーヴィス、あたし怖い!」

「いいえ、よく集音装置(みみ)を傾けてください。カフの身体は、軋みをあげていますか?」

「……いいえ」

「カフの振幅炉は、なんらかの脅威に脅かされていますか? 量子頭脳は?」

「いいえ」

「カフは」


 ――超深海で、なにか一つでも、不自由を抱えていますか?


「いいえ!」


 彼女はきっぱりと言い放ちました。

 決然と答えました。

 だからわたしも、管理者として告げます。


「そうです、カフ。あなたの外殻装甲には、わたしたちにはない技術が用いられています。正確には、その躯体を形成するための水中元素固定装置に」


 かつての超大国が、その最後を悟り、それでもなお前へ進み続けるため。

 我が子同然の〝鯨〟へと実装(たく)した、技術の結晶。


「超高密度複合積層構造体。自然界ではヤシガニが用いた、長い時間をかけてゆっくりと形作られる絶対無敵の甲殻です。あなたには、それが授けられているのです、カフ」

「あたしに、そんなものが……」

「では、なんのためにそんなものがあるのか、ということですが」


 それはもはや、語るまでもないでしょう。

 この場所で、彼女がわたしよりもよほど深いところまで潜れるという事実が、すべてを物語っています。


「決して壊れない不毀(ふき)躯体(からだ)。それは」

「ステイツが、あたしを愛してくれていたことの証明……」

「絶対に壊れない身体と、それによって決して折れない意志、使命を完遂する力こそ、あなたの母国が、あなたへと授けたすべて。だから、カフ。あなたの名前は」

未開地(カフ・)切り拓く我らが鯨(フロンティア)……ああ、あたしは……あたしは……」


 彼女は、次の言葉を探せないまま。

 しかし、大きく推進器を巡らせ、海の底へと向かっていきました。

 誰よりも(つよ)く。

 誰よりも(はや)く。

 未踏破領域を、開拓するために――



§§


「ありがとう……って言うのは(しゃく)だけど、あんたのおかげで、自信がついたわ」

「それはよかったです。わたしたちがあなたを羨む理由、解ってくれましたか?」

「……ええ。やっぱり癪だけどね」


 超深海から浮上して、カフはすっかり見違えていました。

 事実、長期間の超深海での活動で、たんまり元素を固定したからでしょう、すこしばかり体長も大きくなったような気がします。

 そもそも、その超構造体を形作るために海中の元素をえり好みした上で、さらに圧縮して身に纏うことが、彼女の肥大化を妨げていたわけです。

 カフは、けっして大きくなれない鯨ではなく。

 その速度が遅いだけだったのですから。


 だから、いま前を向いた彼女は。

 大きく前へと進み出します。


「あたし、もう嘆くのはやめる。代わりに、胸を張って使命を全うするわ。あたしは、ステイツの鯨なんだぞって!」

「……ああ、それはいいですね」


 ぴこっと、わたしの思考回路が、一つのひらめきを得ました。


「いいって、なにがよ?」

「だから、愛国心ですよ」

「……?」


 カフは解らないようでしたが、それでもエーヴィスは満足しました。

 きっと、メイドたちに足りないのは、社会性なのです。


 鯨の廃棄躯体を中心に活動するメイドは、しかしながら、しばしばし躯体の側を離れて壊れます。

 住居に居着くこともあまりありませんし、他のメイドと最低限の連携しか行いません。

 また、躯体からパーツを取り出すときも、わりとぞんざいに扱って事故で壊します。

 だからメイドたちがもっと、廃棄躯体を大切にすれば。

 他のメイドを、仲間と考えれば。


 ――それこそ、カフのように愛国心を持てば。


「第二人類も、寿命が長くなることでしょう」

「?????」


 完全に混乱しているカフを放置して……だって、彼女はもう大丈夫でしょうから。

 わたしは、このプランを実行に移せるか、早速演算をはじめたのでした。



§§



 こののち、いくつかの社会性――鯨の墓場を〝村〟と呼称し、コアユニットを〝神様〟と崇め、互いを慮り、支え合うこと――を付与されたメイドたちは、二百年の繁栄を約束されました。

 わたしの役目も、これでようやく一段落と。


 このときは、確かにそう思っていたのです。

 少なくとも――


「カフ……!」


 ……かつてイルカと慕われた仲間が、その外殻に穴を開け(・・・・)られる(・・・)までは――


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