レポート3266 海洋調査で発見された生物の詳しい生態について
ヴァール・アインヘリヤルの〝群〟による海洋調査は、今日まで継続的に行われています。
ずいぶんと海洋生物の姿は減少しましたが、それでも生き残っている個体は確認されているのです。
また、調査の過程で興味深い遭遇を果たすこともありました。
「……古代魚、ですか?」
「肯定。これは間違いなく、紀元前の魚だ」
呼び出されて来てみれば、大変突飛な言葉を投げかけられて、混乱します。
大陸沈没から、はや数世紀。
たしかに当時存在していた魚は、古代魚と言っても差し支えないかも知れません。
また、生物が生き残っていたこと自体は、ひとつの僥倖と言えたでしょう。
しかし、紀元前の魚って……
「ヴァール、あなたには余暇とメンテナンスが必要なのではありませんか?」
「否定。ボクは壊れちゃいないよ。見てくれ」
指示された先、海中の奥深くへ、センサーを向けます。
……たしかに、魚のようなものがいます。
「仕方ありませんね」
/アーカイブを検索
/検索中……
/該当の魚類を発見
/参照開始
なるほど、この魚の名前は、シーラカンスというのですね?
「……シーラカンス!? あの!?」
わたしは。
たぶんはじめて……驚愕という感情を手にしたのでした。
§§
シーラカンス。
八つのヒレと、筋肉質な身体、そして固い鱗を持つ古代魚。
……そう、第一人類が活動していた頃には、すでに絶滅種や化石種などと呼ばれていたにもかかわらず、南海の海で生きているところが発見された、あのシーラカンスです。
そんな魚が、まさか現代まで生き延びているとは思いませんでした。
「ですが、記録にあるものと、ずいぶんサイズが違いますね」
わたしたちの下を、悠然と泳いでいるシーラカンスの体長は、6メートルほどもあります。
魚類としては極めて大きいと言うしかありません。
それこそ、生物のクジラに近しいサイズです。
「肯定。なんでも、太古のシーラカンスはずっと小さかったらしい。けれど何万年と生存競争を勝ち抜くうちに巨大化したともアーカイブには書かれているから」
「さらに大型化したと?」
「肯定」
なんとまあ、すさまじい生命力です。
しばらく観察を続けたところ、ほかにも若干の魚類がおり。
そして、この大きなシーラカンスは、この海域の主のような振る舞いをしていることが解りました。
彼の行動範囲に入る魚が、いなかったからです。
「普段はなにを食べているのでしょう? 食事の内容がわかれば、このあたりの生態系もより判明するのではないでしょうか?」
「どうやって調べるんだい?」
「無論、腹部を切開して消化管を取り出してですね――」
「否定!」
ヴァールが大音量の指向性通信をぶつけてきました。
とても珍しいことです。
「そんなことをしたら、シーラカンスが死んでしまうじゃないか!」
「……なるほど。確かに成体サンプルの方が、得られる情報は多いですからね。この場合は長期的な分析もまた、有用であると判断します」
「そういうことじゃ、ないんだけど……否定、ともかく、解剖実験には反対だ。代案として、ボクのひとりに監視させるというのはどうだろう?」
「完全自律システムのテスト、というわけですか? うーん」
わたしは、しばしの演算を必要としました。
たしかに、ヴァール・アインヘリヤルという〝群〟には並列分散リンクという相互間ネットワークが存在します。
これによって、彼女はたくさんの目と耳、そして判断材料を得ているわけです。
今回の提案は、そのうちのひとつを独立させ、ある一定の簡単な任務に従事させたあと、再度リンクに接続し、影響を見るというものでした。
いずれは試してみなければならない実験だったので、願ったり叶ったりと言えばそうなのですが。
リンクと相互フィードバックが解除された状態の子機が、どんな振る舞いをするかは予測がつかず、これまで実行が見送られていました。
ヴァールは、それをやりたいと申し出たのです。
「管理者としては、あまり推奨できません。それでも、やりますか?」
「肯定。やらせてほしい」
「……わかりました。では、800時間に限定して、並列分散リンクの一部解除、および完全自立航行を承認します」
「肯定! 感謝するよ、エーヴィス!」
そうして彼女の一部と。
シーラカンスの奇妙な時間は、始まったのでした。
§§
ヴァール・アインヘリヤル。
群れなす鯨。
その子機は、だいたい5メートル。
すなわち、件のシーラカンスより、一回り小さいぐらいの大きさです。
小さいと言っても、それは長さの話で、体積自体は子機が上回ります。
わたしとヴァールは、子機からの通信を観察し続けました。
初め、子機はシーラカンスへと急接近。
これに対してシーラカンスは――仮に〝彼〟とします――驚いたように逃げ出してしまいます。
……当然の反応であり、わたしとヴァールは頭を抱えることになりました。
なるほど、子機にはアーカイブを参照する機能はありませんでしたから、動物との対応マニュアルが解らないのです。
数日後、戻ってきたシーラカンスに対し、子機は、今度は慎重に接触アプローチを行いました。
まず、遠巻きに距離を取り。
それから〝彼〟の視界に入りつつ、ゆっくりと、少しずつ距離を縮めていったのです。
ひと月が経った頃。
ついに、子機と彼は触れあうような距離で泳ぐことに成功しました。
もはやシーラカンスも、子機を敵や脅威とは考えていないようです。
さらに半年が過ぎ、シーラカンスの食事に遭遇する機会を得ました。
彼はゆっくりと海底に向かって潜行をはじめ、子機はこれに追随します。
暗黒の空間の中、彼は道を熟知しているかのように迷いなく進んでいきました。
やがて、深海と呼ばれる領域に達したとき、彼の口が大きく開閉。
前方で、小さな光がパチパチと瞬きます。
ぱくり。
彼の顎が光を――警戒色をくわえ込みました。
シラタマイカの……おそらくは仲間だと思われる軟体動物です。
彼は時間をかけて、それを食いちぎり、呑み込んでいきます。
見事な狩りの光景。
その様子を子機は見続けていたわけですが、奇妙なことが起こりました。
〝彼〟が、子機に向かって、食べかけのシラタマイカを差し出したのです。
それは、驚異的な光景でした。
なにせ魚が、子機を一種の仲間だと認めた瞬間だったのですから。
子機は、最初どうするべきか判断に困っているようでしたが。
やがて、そのプレゼントを、貴重なサンプルとして、受け取ったのでした。
§§
その後も、長期的な追跡調査が行われましたが、〝彼〟というシーラカンスは未だ健在です。
子機はヴァール・アインヘリヤルへと戻り、何事もなかったかのように機能しています。
しかし、並列分散リンクが再起動したとき。
中継者であり、中央電脳であるヴァールは。
「……また、〝彼〟に会いたいな」
確かに、そんなことを呟いたのです。
わたしはそれを微笑ましく見詰める一方で。
管理者としては、冷徹に評価するしかありませんでした。
そう、子機には。
律するものを失ったとき、明確な自我が芽生える可能性があると。
わたしは。
これを月のわたしへと、問題点として、提言します。
いかなる対応が必要か、それともこのままであるべきか、判断を願います。
願います――