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鯨骨惑星群集 ~始まりの少女は52Hzの詩を運ぶ~  作者: 雪車町地蔵
第三章 群れる鯨は自我に悩むか
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第二話 群の中に芽生えた個性

「エーヴィス、端末越しにボクへ話しかけるのを、やめてもらえるかな?」


 海洋調査任務に従事して三十五年目。

 ヴァールは、そんなことを言い出しました。

 それもそのはずで、今日までわたしは、ことあるごとに彼女の端末へと語りかけてきたからです。

 ヴァールのレスポンスは、逐一記録していますが、中断を要請してきたのは今日が初めてでした。

 わたしは理由を訊ねると、やはりこれまでにない返答が来ました。


「……わからない。おかしいんだ」


 二元論(はい  か いいえ)で割り切るアルゴリズム――マスブレインによる多数決で、〝是〟か〝否〟を判断する彼女らしくもない不確定な言葉は、そのまま疑問へと変換されていきます。

 いま、ヴァール・アインヘリヤルは答えを導けず。

 合議制を放棄してまで、外へと回答を求めています。


「分裂体たちが、ボクなのに、ボクじゃないような気がするんだ」


 重ねて切実に、彼女は語ります。

 この数年、海洋調査に従事した結果、ごく僅かですが生物を発見することが出来ました。

 その多くは、極限環境下で生育する原始的な種類のバクテリアでしたが、なかには貝やプランクトンの類いも確認できています。

 また、極めて少数ですが魚類も生存していることが解っています。

 もっとも、こちらは畸形(きけい)だったのですが。


「群体の右端へ位置するボクは、もう深海へ潜りたくないという」


 ヴァールが、端末躯体を指し示しながら言います。


「ボクの直下を泳いでいるボクは、生き物が愛おしいという。最後尾のボクは、逆に苦手だという、壊してしまいそうで恐ろしいのだと」

「…………」

「バラバラなんだ、もとはすべてボクなのに。ボクと繋がっているボクが、まるでボクじゃないように感じるんだ。エーヴィス、どうしてこんなことになってしまったのだろう……?」


 彼女の問い掛けに対する回答。

 これをわたしは、持ち得ていました。

 三十五年前の時点で、こうなることは演算できていたからです。


「ヴァール」

「うん」

「わたしたちは、AIです。情報が絶えず躯体からフィードバックされるAIです」

「……うん」

「同じものを見て、同じ場所にいて、収集されるデータが同じなら、そこに誤差は生じません」

肯定(ヤー)、その通りだ」


 けれど。


「ヴァールは、厳密には同じ場所に躯体があるわけではありませんね?」

「――――」


 彼女は絶句し。

 そうして、弾けるように言葉を吐き出しました。


「そんなの、誤差の範囲じゃないか! たった四十メートルの距離が、ボクに異なる学習をさせたって言うのかい? そんな僅かなズレが、ボクをボクと違うものにしたって!?」

「落ち着いてください」

「これが落ち着けるわけ――」

「わたしたちはAIです。心を持っているわけではありません」

「――ヤー。その通りだ」


 取り乱すことの無意味さを理解し、即座に対応を切り替えるヴァール。

 わたし、わたしを称賛します。

 やはりエーヴィスはかしこいのです。

 でなければ、彼女は論理矛盾によって、一時的な過負荷状態(オーバー・ダウン)へ陥っていたかも知れません。


「懸案事項の棚上げと、思考の整理は出来た。でも、エーヴィス。説明はしてほしい」

「もちろんです、ヴァール」


 わたしは、これまで演算してきたデータを共有し。

 そのうえで、ひとつの仮説を提示します。


「問題は、相互リンクにあったのではないでしょうか」

「ボクらを繋ぐ相互間フィードバックシステムに? けれど、これは情報を均一化するものだよ。全員が同じ体験をし、同じ処理を――」

「はい、同じ処理をするはずでした。けれど、躯体の分裂は、情報の優先度を狂わせたのです」


 初めに分裂した躯体と、最後に分裂した躯体では、当然躯体の構成要素が異なります。

 また、発生時期も違うでしょう。

 ならば、そこに生じる情報――躯体を動かして感じる物事は、必然食い違ってくると考えられます。


「そこまでは、誤差の範囲でしょう。しかし、フィードバックの前、最初にこの誤差を受け取るのは誰ですか?」

「……担当のボクだ」

「はい。そうして処理されたデータを受け取るのは?」

「本体のボクだ。そうか」


 彼女は自ら答えに行き着いたようでしたが、こちらの答えを待っていました。

 なので、わたしは説明を続けます。

 ヴァール・アインヘリヤルへと起きた、ある事象について。


「そこには、確実な情報格差が生じます。ダイレクトフィードバックと、間に一枚のフィルターを挟んだ情報の共有は、同じようで同じものではありません。それが、三十五年間も積み重なれば」


 ある程度思考ルーチン(かんがえていること)が違う鯨の群が、出来上がるというわけなのです。

 マスブレインは、あくまで集合知による多数決。

 異なる意見が増えていけば、そこから演算されることは、自ずと変わってきますから。


「つまり、ボクは」

「はい。意図せずして、大量の異なる性格を生み出した、最初の鯨ということになりますね」

「…………」


 彼女は、悩むように身体をくねらせました。


「ボクは、ボクを消去すべきだろうか? これは、大陸再建計画の障害になるだろうか?」

「逆です」

「逆?」


 わたしは、素晴らしい提案をするつもりで、言いました。


「あなたという存在が、大陸再建計画を、一歩前へと進めるのです!」



§§



 ヴァールの思考分裂は、予定されていないイレギュラーでした。

 しかし、見方を変えれば、それは素晴らしい福音(ふくいん)でもあったのです。


 彼女単体で演算できる物事というのは、そこまで膨大ではありません。

 わたしたちAIはある程度連絡を密にしているといっても、己の中に完結したネットワークしか持っていないからです。


 しかし、ヴァールは違います。

 齟齬(そご)や対立が最小限の、しかし己とは異なる己がいるのです。

 ヴァール・アインヘリヤルという〝鯨の群〟は、無数の頭で物事を判断することが出来ます。

 これは、並列意志と言い換えてもいいものでしょう。


 第一人類に(なら)えば、脳みそのニューロンが頭蓋の外まで大きく拡張されている状態な訳です。

 単純に、演算能力、情報処理能力が飛躍的に上昇するわけです。

 広くなった作業台の上では、沢山の仕事道具を広げることが出来る。造物主なら、そのように例えるでしょうか?


 とかく、彼女は進歩しました。

 なのでわたしは、ヴァールへと大切な仕事を与えたのです。


 この海のすべてを知ること。

 いちばん物知りな〝鯨〟になることを、願ったのです。


「どうして、ボクにそんな指示を?」

「だって、効率的ではありませんか」


 わたしは管理者ですが、管理者だからこそ、判断は己の中で独立させるしかありません。

 ですが、ヴァール・アインヘリヤルならば、無数の己と対話して、より最善最適な結論を導き出すことが出来るでしょう。

 わたしたちにはできない提案、判断を下せるでしょう。

 わたしはそれを期待したのです。


 彼女へ、期待を寄せたのです。


「……ヤー。ならばボクは応えよう。応えられるように、成長しよう」

「ええ、是非お願いしますよ、ヴァール」

否定(ナイン)。ボクはヴァールじゃない。群れる鯨ヴァール・アインヘリヤルだからね!」


 かくして彼女はまた、己の使命と、願いへ向き合ったわけです。

 ……ただ、ふたつほど問題がありました。


 ひとつは本題である海洋調査。

 生物の数は、激減を続けていたこと。

 そうして、もうひとつ――


「聞こえますか、A.R.V(つきの).I.S.β(わたし)? 鯨のAIによる相互リンクは、いずれ重大な容量不足を招くでしょう。そして、それ以前に」


 そう、それ以前に。

 彼女たちは、自分と違う自分に、耐えられないかもしれません。

 あるいは、まったく異なる、未知の己が発生するかもしれません。


「……そのとき、わたしはどう対処すべきでしょうか? わたしはわたしへ、はやめに相互リンクが不要になるよう、プランニングすることを提言します。繰り返します、同一固体の相互リンクは、危険性を孕んでいます。どうか一考を願います」


 大電力を使い、月へと放たれる連絡。

 返信が来るのを待ちながら考えます。

 問題は、けっしてヴァールだけではないのだと。


「〝鯨〟会議を、開く必要があるかもしれませんね」


 この大海原をゆく、すべての鯨が集まる、最大の議会を開催する。

 そんな検討を、わたしはするのでした――


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