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耳垢まくら 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやはさ、ここのところ耳掃除とかしてるか?

 ぶっちゃけ、俺はひとり暮らしをはじめてから、今に至るまでの数年、まったく耳掃除をしていない。

 生活に支障が出るほど、耳が遠くなることがなかったんだよなあ。聞いた話だと、耳垢は特に異常がない限り、耳内部の保護をしてくれる機能もあるらしい。あまり神経質になって耳掃除をする人はかえって耳のコンディションを損なう恐れもある、と。


 そしてこいつは、何も耳垢をとる動作そのものが関わるとも限らない。そのときの姿勢もまた、関係してくるかもしれねえのさ。

 ――ふ、耳かきお約束の姿勢といったら、お約束のあれを思い浮かべるだろう。

 ちょうどそれ関連のネタに触れる機会があった。聞いてみないか?



 うちのいとこが、小学校にあがる前後の話だ。

 いとこは耳掃除をしてもらうのが大好きでな。文字通り、3日とあけずに母親へ耳掃除を頼んでいたそうだ。

 そして、お決まりの姿勢といったら、やはり膝枕。いとこは母親の膝枕を、いっとう気持ちよく感じていたらしい。

 寝具の枕と似て、張りとか弾力とかに差があるだろうし、人によっては好き嫌いがあるかもな。

 いとこいわく、母親の持っている身体のポテンシャルばかりじゃないらしい。

 ももの上のジーンズ、さらにその上のかっぽう着。この組み合わせこそが、子供心に最強だと感じていたとか。ぶっちゃけ、夜にいつも使っている枕よりも気持ちよく、つい眠気を誘われるほどだったという。


 だが頼まれる側からすると、面倒だろうな。

 かっぽう着をつけるとは、つまりはメシどき。これからメチャ忙しくなる矢先に、息子に呼び止められるんだ。身内とはいえ腹が立ってもおかしくないぞ、こりゃあ。

 しかも、自分の膝もといももの上でおとなしくしてくれるわけじゃなく、眠気に誘われるまま、「かくん」とか「ころん」とか、耳のついている頭がずれる恐れさえある。

 してもらう側はボーナスタイムだろうが、やっていく側にはプレッシャーでしかなく、会話を楽しみながらの安らぎのひとときからは、ほど遠く。

 いつ自分の耳かきさばきが、相手の耳を傷つけてしまうか分からない。義務でも仕事でもない、日常の時間の一幕として横たわる。

 だが当時のいとこは、そのようなかかる重圧などつゆしらず。しょっちゅう母親を呼びつけていたのだそうな。



 そんなある日のこと。

 いつものように耳かきを頼むいとこは、普段とは違う場所まで歩かされた。

 外には出ない。あくまで家の中。

 テレビのある居間が、これまでの定位置だったのに、今日はそれよりもうひとつ縁側よりにある、床の間が選ばれた。

 外へ面する側のふすまは、開け放たれている。そこより向こうは、数十センチの板の間をはさんで西向きの窓が待ち受けていた。

 カーテンは引かれていない。ガラスの向こうにはこの時間、傾いた陽が容赦なく差し込み、和室の畳へ大きい「く」の字を形作りながら、差し込んできている。


 母はそのそばへ、腰を下ろした。

 入ってくる日差しにあてるのは、折り曲げられた膝からももまでの部分のみ。

 残りの母親の身体は、きっちりと陽のささない影の部分へ沈んでいる。

 これまでにない構図に、いとこもひと目見て、どこか違和感を覚えたらしい。だが、直後に母親が、自分のももをポンポンと手で叩くしぐさをしてみせる。

「ここに寝なさい」と、母親がいつもやる招き方。どこか安堵を覚えなおしたいとこは、そのももに頭を預けて横になったんだ。


 これまでで一番、気持ちよかったらしい。

 眠気へのいざないもまた格別で、頭を乗せただけで、すっと意識が遠くなりそうな感覚に襲われてしまったくらい。

 だが、すぐ目を閉じることはしなかった。「耳かいている間に、寝るんじゃねえ!」とさんざ母親に雷を落とされてきたからだ。

 そのたび頬を叩かれて、心地よさを途切れさせられる。それが嫌だから、いとこはまぶたが落ちそうになるのを感じると、きっと意識の糸をたぐり寄せて、ぴんと張ろうと努めてきた。

 なのに、今回はそのとがめがない。

 いつもなら頭が少しでも動いた時点で、耳かきを持たない手が飛んできて、アイアンクロ―をかます。それが今はこない。

 一度、うっかり集中が途切れて、頭が4分の1回転ほどした。なのに母親は手も声も少しも出さずに、ひたすら耳をかいている。


 ほどなく、いとこは新たな違和感へ気づく。耳をかく時間があまりに長い。

 いとこはいま左の耳が上へ、日差しのあたる畳側へ顔が向くようにしていた。母親の顔が見えていない。

 耳の中をいじる音も感触も、いまだにある。ごそり、ごそりと音を立て、四方八方がこすられて、ときに身もだえしかねないくすぐったさが走る。

 しかし、それも限りのあること。いとこが物足りなさを覚えるくらい早く、耳かきの先は抜かれて梵天が突っ込まれる。耳いっぱいを埋めつくし、ぐりぐりと右へ左へ大ざっぱにあさっていくその感触、いとこはあまり好きではなかったらしい。

 

 それが耳を向けてから、ずっと変わることなく棒の先が突っ込まれている。

 10分以上は立っただろうか。耳の中をいまだがさごそいわせながら、棒を漁っていた。

 いくら丁寧にやろうとも、表層で取れる耳垢には限界があるらしいことは、いとこももう知っている。それ以上に深く潜ろうとしても、耳の繊細さは増していき、ほんのわずかでも不用心な接触があれば、泣いて飛び上がりそうな痛みが走る。

 でも、そのようなことはせず、母親の耳かきは丹念に、執拗に浅いところばかりをさすっているようだった。


「……そろそろ、反対の耳も」といとこが言いかけて。



「ただいま」


 玄関の開く音とともに、聞こえてきたのは母親の声。

 同時に、すとんといとこの頭が落ちた。乗せていたももから一転、わずかな浮遊感ののち、いぐさの香り漂う畳に寝かされていた。

 そこに母親の姿はなく、いとこと耳かきが置かれるのみ。遅れて床板鳴らしながら、母親がここへやってきた。

 よそ行きの格好。ジーンズもかっぽう着も身に着けてはいない。早着替えとしても、どうやって息子の耳かきをしながら、ほぼ同時に何メートルも離れる玄関を開けることができようか。


 畳の上には、大量の耳垢が散らかっていたらしい。

 いとこの身体へまんべんなく振りかけられそうなそれは、大半が湿り気を帯びていたんだ。いとこの耳垢は本来、ドライなものばかりだというのに。

 耳垢の正体と思しきものが知れたのは、だいぶ後の話で、いとこは脳の検査をしてもらったとき、その大きさが同年代に大きく劣ることが指摘されたらしい。

 母親の姿をしたそいつは、痛みを心地よさでだまして、いとこの脳をかきだしていたのかねえ?


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