第6話
「あぁ!! 何が『私も、まだ寝惚けてるのかな?』よ!!」
私――神代愛梨はベッドの上で悶えながら叫んだ。
つい、先日のこと。
私は一颯君に誘われ、デートに行き、そして帰りに唇を奪われた。
「あ、あれじゃあ、私が一颯君のことが好きだと……」
勘違いされちゃう。
と、言おうとして私は口を噤み、唇に触れた。
あの時の感触が蘇り、体がカッと熱くなる。
「バレちゃうじゃん」
一颯君のことを“ただの幼馴染”だとは、今更言えない。
だって、“ただの幼馴染”に四回もキスしないから。
“ただの幼馴染”にキスしたいなんて思わないから。
キスしたいと言われて、それを簡単に許したりしないから。
だからきっと、私は一颯君のことが好きなのだろう。
好きじゃない人にこんなことをしたいとは思わないし、何より一颯君以外の男の子とはしたいとは思わないから。
論理的に考えれば、私は一颯君のことが好きなのだ。
「……なんか、思ってたのと違う」
恋したら何かが劇的に変わるのかと、ちょっと期待していたのだけれど……。
一颯君への印象が何か変わったかと言われれば、そんなことはない。
一颯君は一颯君だ。
昔からカッコ良くて、頭が良くて、運動もそこそこできて、何だかんだで私の我儘を聞いてくれて、私のことを何よりも大切にしてくれて、そして一緒にいると楽しい人だ。
ほら、やっぱり何も変わらない。
………………
…………
……
「……だ、ダメかも」
私は熱くなった顔を枕に埋めた。
一颯君のことを考えるだけで、心臓がドキドキしてしまう。
手を繋ぎたい。
頭を撫でて欲しい。
抱きしめて欲しい。
キスしたい。
「……えっちしたい」
お臍の下から湧き出るようなグツグツとした欲望と、そして耐えきれない切なさに私は太腿同士を擦り合わせた。
だめ、思考がまとまらない。
「……よし」
私はベッドから立ち上がると、自室のドアに向かった。
内鍵を閉めてからベッドに戻り、毛布を被る。
それから携帯の写真フォルダを開く。
その中には最近食べたスイーツの写真などと混ざるように、一颯君の写った写真もあった。
二人のツーショットもあれば、嫌がる一颯君を無理矢理撮った写真、そして私がこっそり撮った写真もある。
「これ、いいかも……」
少し前の体育祭、二人三脚をした時の写真。
お互いに足を紐で結び、肩を組み、ピースをしている姿がそこには写っていた。
あの時の体温。
体操服越しでも分かる、一颯君の硬い筋肉。
そして汗の臭い。
それを思い出しながら、私はショーツに手を伸ばした。
※
「ふぅ……」
一時間後、私は毛布から這い出た。
「……すごく、よかった」
私はかつてないほどの、心地よい疲労感に包まれていた。
ほんの少しだけ罪悪感が心に浮かんだが……。
しかし冷静に考えると、一颯君はデート中に体の一部を硬くするような不埒な男だ。
消費したって問題ない。
よし、今度はアルバムを漁ろう。幼馴染の特権だ。
「しかし暑いわね」
私は汗でビショビショになったキャミソールを指で摘まんだ。
途中、あまりに暑かったので、上着を脱いでキャミソールだけになったのだけれど、それでも暑い。
とりあえず、暖房を切る。
しかしそれでもまだ暑い。それに空気自体が淀んでいる気がする。
あと、ちょっと臭う。
「空気、入れ替えるかぁ……」
私は部屋のドアを開け、それから窓も開け、シャッターを上げた。
瞬間、涼しい風が部屋の中に吹き込んできた。
「ふぅ……気持ちいい……?」
そして一颯君と目が合った。
「「わぁ!!」」
び、びっくりした!!
私は思わず飛び退いた。
私と一颯君の部屋は向かい合わせの位置関係にあるので、窓を開けて顔を合わせること自体に驚きはないが……
タイミングが悪い!
「ど、どうして窓なんか、開けてるの?」
夏ならともかく、こんな寒い日に!
私の問いに一颯君は気まずそうに目を逸らした。
「そ、それは……」
ま、まさか、盗み聞きしてたんじゃ……。
い、いや、声は抑えてたはずだし! 何より、窓は防音性だし、シャッターもあるから、音は漏れないはず……。
「か、換気だよ。換気……」
なぜか、一颯君は私と目を合わせなかった。
やましい理由でもあるのだろうか?
「ふ、ふーん」
「そういうお前は?」
「私も換気よ」
そう答えてから、私はふと思った。
これ、私の部屋の臭い、そっちに流れ込むんじゃ……。
「そ、そうだ! 一颯君!!」
“換気”も終わっていないのに窓を閉めるのも不自然なので、私は強引に話題を作り、意識を逸らすことにした。
「な、何だよ」
「勉強のことなんだけどね」
私がそう切り出すと一颯君は真面目な顔になった。
そんな顔をされると、話題を作る程度の気持ちで切り出したこっちが申し訳なくなる。
「いろいろ考えたけど、文転することにしたの」
「……文転?」
私の言葉に一颯君は怪訝そうな表情を浮かべた。
一颯君にとっては突然のことだったのかもしれない。
でも、私は前から考えていたことだった。
「私、文系科目の方が得意だから」
そして理系科目はそんなに得意じゃない。
今までは無理して頑張ってきたけど、今回の件でよく分かった。
私に理系は向いてない。
「いいのか? お前、お父さんの……」
「ただの見栄と義務感だったから」
別に私は医者になりたいわけじゃなかったし、そこまで医者という職業に憧れを抱いていない。
ただ親の職業がそうだから、私もその跡を継ぎたいという曖昧な気持ちと、一颯君への対抗心から目指していただけだ。
これからずっと、頑張り続けられるような動機じゃない。
「それに文系なら、一颯君と同じ大学に行けるかもしれないし」
これからもずっと、一颯君と一緒にいたいから。
一颯君のことが好きだから。
好きな事をして、好きな人と一緒にいたい。
それが私の正直な気持ちだ。
「そうか。そう、だったか……」
私の言葉に一颯君は大きく目を見開いた。
そして複雑そうな表情を浮かべながらも、頷いた。
「じゃあ、お互い頑張ろうか」
「うん!」
私は笑顔を浮かべながら頷いた。
しかし一颯君は何か、言いた気な雰囲気だ。
……何だろう・
「と、ところで、愛梨」
「……何!?」
「お前、普段……一人の時はそんな恰好、してるの?」
一颯君は目を逸らしながらそう言った。
そんな恰好……?
一颯君に指摘され、私は自分の恰好を見下ろした。
キャミソールとショーツ。それだけ。
「きゃっ!」
私は思わず両手で体を隠した。
それからしゃがみ込み、慌てて一颯君の視線から外れる。
「み、見た!?」
「な、何を?」
「し、下……」
私はそう尋ねた。
ショーツ、それもいろいろと酷い状態になっているそれを見られたなら……
一颯君を殺して私も死ぬしかないかもしれない。
「下? え、お前……パンツ履いてないのか!?」
「は、履いてるわよ!!」
さすがにそこまで痴女じゃない。
「じゃあ、下って……」
「いいの! 見てないなら!!」
この様子だと、私がスカートを履いてないのはバレていないようだ。
致命傷はギリギリ回避できたと見ていいだろう。
「と、とりあえず、閉めるから! また、明日、学校ね!」
「お、おう!!」
私は強引に会話を打ち切り、シャッターを下ろした。
それから窓を閉める。
「びっくりしたぁ」
余計に汗を掻いてしまった。
私は心臓が落ち着くまで、深呼吸をする。
「……もっと見せても良かったかも」
落ち着いたせいか、そんな欲求が頭をもたげてきた。
一颯君にもっと、私を見て欲しい。
あのクールな幼馴染を狼狽させたい。
夢中にさせたい。
「一颯君、絶対に私のこと、好きよね?」
当然だ。
私が好きなのだから、一颯君も好きに違いない。
そもそも、あの時「キスしたい」って言い出したのは一颯君だ。好きじゃない子とキスなんてしたいと思わないだろう。
九分九厘、私のことが好きと見て良い。
「ということは両想い。恋人同士……」
とは、言えない。
だって、お互い好きって言ってないし。
交際しようとも言ってない。
宙ぶらりんな関係だ。
でも、もしかしたら一颯君は私のこと、恋人だと思っているかもしれないけど……。
「私たち、恋人同士だよね? ……いや、聞けないでしょ」
脈絡がなさすぎる。
それにもし……
違うって、言われたら。
私は慌てて首を左右に振った。
「そんなことない。絶対に一颯君は私のことが好き。だから……」
もし、告白したら……。
“好きです。付き合ってください?” “え?俺のことが好き? 仕方がないなぁ、付き合ってやるよ”
……ムカつく。
「私が頼むのはおかしいでしょ!?」
それじゃあ、私が一颯君に夢中になっているみたいだ。
もし私から交際を申し込んだら、きっと一生「お前から頼んだんだろ?」と擦り続けるに違いない。
だって、私ならそうするもん。
「一颯君から告白させなきゃダメね」
それも一回じゃダメ。
できれば二回断って、三回目で受けるのがベスト。
三国志にも書いてある。
三顧の礼だ。
「よし、作戦を考えましょう」
でも、その前に……。
もう一回、スッキリしてもいいわよね?
※
「あぁー、びっくりした」
俺――風見一颯は胸を撫で下ろした。
“換気”のために窓を開けたら、キャミソール一枚の幼馴染が現れたのだ。
寿命が縮んだ。
「別に諦めなくてもいいと思うんだけどなぁ」
試験の出来が悪くて落ち込んでいると思ったら、いきなり文転。
正直、驚いた。
でも、愛梨は「決めた」と言った。
“相談”ではなく、“報告”である以上、俺から言えることはない。
……ライバルとして、張り合いが少し無くなるのは残念だけど。
「しかし……えろかったな」
脳裏に先程の愛梨の姿が思い浮かぶ。
普段と違い、生活感がある感じで……ちょっと背徳的だった。
「全く、無防備な姿を晒しやがって……」
おかげで、ついさっき収めたはずの体の熱が、再び湧き上がってきた。
もっとも、これ以上は体に悪い気がするので、我慢するが……。
「いつから、あんなに可愛かったっけ?」
笑っている姿が可愛い。
怒っている姿も可愛い。
拗ねている時も可愛い。
ちょっと怖がっている時も可愛い。
無防備なところも可愛い。
生意気なところも可愛い。
キスしている時は、とてつもなく可愛い。
全部可愛い。
そんな愛梨が……好きだ。
「……でも、あいつも俺のこと、好きだよな?」
最初にキスをしようと言い出したのは愛梨だ。
二回目は愛梨の方からキスしてきた。
三回目はお互い、したいからした。
四回目は俺から頼んだが、受け入れたのは愛梨だ。
好きじゃない男とキスなんか、しないだろう。
「もっと、キスしたいな……」
手も繋ぎたいし、頭も撫でたいし、抱きしめたい。
あの白くて滑らかな肌をもっと触りたい。
その柔らかい体に全身で感じたい。
そしてもっと、愛梨の蕩けた顔が見たい。
あの生意気な顔を蕩けさせたい。
「……もう、恋人みたいなものだし。してもいいよな?」
四回もキスしたんだ。
これで恋人じゃないとは言えない。
もちろん、お互いにまだ“好き”とは言えてないので宙ぶらりんだが。
「俺たち、もう恋人だよな? ……いや、これはダメだな」
多分、あいつは認めないだろう。
認めない上で、図々しく俺に頭を下げさせようとするはずだ。
“え? 一颯君、私のこと恋人だと思ってたの? ごめんね、勘違いさせて。そんなつもり、なかったの。あ、でも? 一颯君がどうしても、どうしてもと言うなら……恋人になってあげるわよ?”
こんな感じで。
「やっぱり、生意気なところはイライラするな」
調子に乗らせちゃダメだ。
特に最初は肝心だ。
最初にどっちが上か、分からせてからじゃないと。
愛梨が言い逃れできない、そういうシチュエーションで確かめないといけない。
「でも、あいつ、強情だからなぁ……」
どうやって、愛梨に恋人だと認めさせるか。
俺は方策を練るのだった。




