第4話
「そ、そういうのは、や、やめろって……」
「罰だって、悪戯だって、そう言ったじゃん」
愛梨の言葉に一颯は押し黙った。
そもそも一颯も愛梨に似たようなことをしたことがあるので、責めることはできない。
「で、一颯君。……やっぱり、本当に勘違いしちゃったんだ」
「うぐっ……」
ニヤっと愛梨に笑われて、一颯は言葉を詰まらせた。
キスされる……そう思ったのは本当だ。
そしてそう勘違いしていたことはすでに態度で現してしまっており……
誤魔化すことは難しい。
さりとて、「勘違いしました」と素直に言うのも憚られた。
愛梨に揶揄われるのが目に見えているからだ。
「ねぇ、どうしたの? 一颯君。ほら、何とか言ったらどう?」
「お、おい、近づくなって……」
愛梨は生意気な笑みを浮かべながら、一颯の顔を覗き込んできた。
一颯は慌てて愛梨の身体を押そうとして……
しかし途中で手を止める。
剥き出しの白い肩に触れることは憚られたのだ。
それでも尚、愛梨は距離を詰めてくる。
気が付くと一颯は両手を自分の肩の位置にまで引いてしまっていた。
その姿はまるで“降参”しているようだった。
「悪戯って、事前に言ったんだから、冗談だと分かりそうなものだけど……どうして勘違いしてしまったのかしら? 教えてくれない?」
「そ、それは……お前が、目を瞑れって……わ、わざとそうやったんだろ!?」
明らかに愛梨は一颯を勘違いさせようとしていた。
そういう悪戯だったのだ。
それに嵌ってしまったことは一颯の間抜けによるものだが、しかし騙した当人に揶揄われる筋合いはない。
……と、一颯は主張する。
「そんなつもりはなかったけど? ただ、唇に息を吹きかけただけだし」
「だからそれが……」
「暗闇で息を吹きかけられたら、びっくりするでしょ? ……その程度の意図だったけれど。なるほど、そこで勘違いしちゃったのね」
納得した。
と、愛梨はわざとらしく頷いた。
そして口元に手を当てて笑う。
「ごめんなさい……勘違いさせちゃって。刺激が少し強すぎちゃったみたいね」
童貞の一颯君が勘違いしちゃのも仕方がないわね。
私が悪かったわ。
と、愛梨は一颯に対して謝罪した。
しかしそれは一見すると謝罪ではあるが、明確に一颯を煽り、小馬鹿にする言葉だった。
「その……一応、言っておくけれど。私、別に一颯君のこと……好きとかじゃないから。……その、一応ね?」
「……別にそんな勘違い、していない」
一颯は顔を恥辱で顔を真っ赤にさせながら……
小さな声で呟くようにそう言った。
「あら、そうなの。それは良かったわ」
一方で愛梨はニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。
珍しく一颯に勝ち星を上げられて、愛梨は嬉しそうだった。
しかし逆に一颯は不満そうな表情だった。
(好きじゃないって……それは、そう、だろうけれど……)
もしかしたら愛梨は俺のことが好きなのでは?
と、そう思い込みかけていた一颯にとって愛梨の言葉はそれなりに精神的にダメージが大きかった。
冷静に考えてみれば、愛梨が自分のことを好きになるわけがない。
単に幼馴染同士で距離が近いだけだ。
考えてみれば分かることなのに……
勘違いした。
それは一颯に取って非常に恥ずかしいことだった。
同じ失敗を何度も繰り返しているのも、恥ずかしい理由の一つだ。
しかし一颯にも言い分はある。
「キスについては……確かに勘違いしたけどさ」
「……あら、認めるのね」
一颯の言葉に愛梨は目を見開いた。
そして少しだけ……バツの悪そうな表情を浮かべる。
少しイジメすぎたかと、後悔し始めたのだ。
「……でも、それはお前が悪いだろ」
「……別に私は息を吹きかけただけだけど? 勘違いした一颯君が悪いでしょ?」
「そのことじゃない」
「じゃあなに? ……この恰好?」
愛梨は少しだけ頬を赤らめながらも、自分の胸元を指さした。
愛梨も別に恥ずかしくないわけではない。
いくら幼馴染が相手とはいえ、少し大胆過ぎたかと思わないでもないのだ。
ただ、愛梨よりも恥ずかしがっている人を目の前にしているため、相対的に恥ずかしさが薄れていただけだ。
だから指摘されてしまうと、少し恥ずかしい気持ちにはなるのだ。
「そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なに?」
「……二度あることは、三度目もあると、思うだろ?」
一颯の言葉に愛梨は首を傾げた。
一颯は頭を掻き、愛梨から目を逸らしながら……今度ははっきりと口にする。
「だから……キスのことだよ。前はお前の方から……してきただろ」
一度目は「キスしてみない?」と愛梨から誘われた。
そして二度目は「キスしていいか?」と聞かれ、答える間もなくキスされた。
前例があるのだから、今回もキスしようとしているのかもしれないと考えるのは決しておかしなことではない。
むしろ自然なことだ。
「お前の意図は知らないけど……全体として、勘違いされてもおかしくないことをしているんだから……その、お前も気を付けろよ」
俺だって、男なんだから。
と、一颯の言葉に愛梨は……
「な、なっ……」
顔を真っ赤にして固まっていた。
そしてしばらくすると、首を大きく左右に振った。
「あ、あの時と……さっきのでは、ぜ、全然、話が違うでしょ! か、関係ないし……」
「何がどう違うんだ? 前回、キスされたんだから今回もされるかもしれないと思うのは普通だろ?」
「ふ、普通じゃないわよ……お、幼馴染同士よ!?」
幼馴染同士でキスするのはおかしい。
愛梨はそう主張したが……しかしそれは理屈に合わなかった。
キスしようと提案したのは愛梨で、そしてキスしてもいいかと聞いたのも愛梨。
実際にキスしたのも愛梨だ。
「じゃあ、あの時はどうして……したんだ?」
一度目は分かる。
あれは口喧嘩の延長であり、またそれぞれお互いがお互いに好意があるかを確かめるための儀式だった。
しかし二度目は分からない。
何故、あの時愛梨は一颯にキスをしたのか。
愛梨の気持ちが、理由が……一颯は全く分からなかった。
自分のことが好きだから。
それ以外に見当がつかなかった。
(……あれで好きになるのも変な話ではあるけど)
もっとも、一颯には愛梨が自分のことを好きになる理由も分からなかった。
なぜなら、あの時一颯は醜態を晒したからだ。
今まで、愛梨に自分を大きく見せようとしていたことを、背伸びしていたことを告白したのだ。
挙句に本気で戦って負けたら恥ずかしいから、手を抜いていたなどという、人として恥ずかしいことも正直に話してしまった。
普通は幻滅するだろう。
なのに愛梨はそんな一颯にキスをした。
一颯には愛梨の動機と気持ちが分からなかった。
「……どうなんだよ。愛梨。あの時と、さっきの違いは何だ?」
一颯は黙ってしまった愛梨を問い詰めた。
じっと、一颯は愛梨の目を見つめる。
すると愛梨は恥ずかしそうに目を逸らし、後退りをし始めた。
「っきゃ!」
一颯はそんな愛梨の肩を掴んだ。
剥き出しの肌に触れられ、愛梨は思わず声を上げてしまう。
「逃げずに答えろよ」
一颯は愛梨の顔を覗き込みながら、そう尋ねた。
愛梨は思わず顔を背ける。
「ちょ、ちょっと……や、やめてよ」
「じゃあ、答えろよ」
「じゃ、じゃあ、放して。きょ、距離が近くて……は、話し辛いから……」
「放したら逃げるだろ」
一颯はそう言うと、手に込めていた力を強めた。
絶対に逃がさないと、愛梨を拘束する。
「俺のことを散々、馬鹿にしたんだ。……正直に話してくれるまで、放さないからな」
一颯は少し苛立った声でそう言った。
勘違いしたのは一颯の落ち度だが、勘違いさせるようなことをしたのは愛梨の落ち度だ。
一颯の勘違いを馬鹿にしたのだから、最低限勘違いさせるようなことをした理由について、弁解してもらえなければ納得できなかった。
「あ、あの時は、その……」
愛梨はそう言って口籠る。
それからチラっと一颯の顔色を伺う。
そして全く引くつもりがなさそうな一颯の様子に観念したのか……
ようやく、一颯の方に顔を向けた。
「そういう、気分だったから……」
「……気分?」
「……これじゃ、ダメ?」
愛梨は一颯の顔を見上げ、上目遣いでそう尋ねた。
そんな愛梨の表情に一颯は少しだけ、自分の胸が高鳴るのを感じた。
「き、気分……気分か……」
「そ、そうよ。そういう気分……だったの。……べ、別に一颯君のことが好きとか、そういうわけじゃないから、か、勘違いしないで」
愛梨は早口でそう捲し立て……
それから少し後悔した様子で口を噤んだ。
「……悪い?」
「い、いや……悪くはないけど……どうして、そんな気分に……」
好きじゃないのであれば、尚更その理由が気になる。
と、一颯は愛梨に尋ねるが……
「き、気分は気分でしょ! り、理屈なんてないし……」
もちろん、愛梨にはそういう気分になった理由の見当はついていた。
一颯の醜い部分を知ることができて、親近感が湧いたからだ。
しかしそれを口にするのは愛梨にとって死ぬほど恥ずかしいことなので、口にするのは憚られた。
「……じゃあさ」
「……何?」
「もしも俺がそういう気分になったら……」
――キスしてもいいのか?
一颯の問いに愛梨は固まった。
それから震える声で……尋ねた。
「し、したい……の?」
瞳を潤ませ、頬を赤らめながらそう尋ねる愛梨は……
普段の何倍も艶っぽく、そして女の子らしい表情だった。
「え、いや……」
そんな愛梨の雰囲気に一颯は気圧された。
それからようやく気付く。
今の自分の姿勢に。
そう、一颯は今、愛梨の肩を掴み、その顔を見下ろしているのだ。
この姿勢でそんな言葉を口にするのは……
まさに、そういう意味とでしか捉えられない。
「わ、悪い……そ、そういう、意味じゃない!」
一颯はそう言うと慌てて愛梨の肩から手を離した。
そして後退りをする。
「……」
「……」
しばらくの沈黙。
二人は顔を真っ赤に染めながら、俯き、無言を貫いた。
そんな雰囲気の中……
「ハロウィンパーティー、始めないか?」
「そ、そうね……始めましょう」
一颯の提案に愛梨は頷いた。
そして……
「ところで、その、一颯君。……一つ、お願いがあるのだけれど」
「な、何だ?」
一颯は少し緊張しながら尋ねると……
愛梨は両手で肩を抱きながら――胸元を隠しながら――はにかんだ。
「その、寒くて。羽織れるもの、ないかしら?」
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