4.二人とも、どこかずれているのである。
「今さらですが、まだ夢のようなのです……」
ふとこぼされたプミラムの言葉が途切れ、その続きを待つように視線を紅茶のカップからプミラムへと向けた。
それからムーンリットは表情を変えないまま、ゆっくりと席を立った。
そうして向き合っていたテーブルを迂回するとプミラムのすぐ隣まで来て立ち止まり、彼女を見下ろすような体勢のままじっと立っている。
そんな主人の突然の行動に虚を突かれていたハントは、一拍後でやっと主人の考えに気付き、慌てて彼の椅子を掴むとプミラムの隣、ムーンリットの立つ位置へと移動させた。
何でもないようにムーンリットはそこに再び腰掛ける。
視線はその間ずっとプミラムを見たままだ。
「……」
「……」
再びのきょとん顔になったプミラムと、プミラムを真っ直ぐ見たままのムーンリットはしばしすぐ隣で見つめ合う形となった。
それからふと何かに気付いたプミラムがパチリと一つ瞬きをしてから口を開いた。
先程より声量が増した声で、少しはにかむように表情を緩ませながら。
「もしかして、先ほど私が『遠い』と言ったから、傍へ来てくださったのですか?」
「ああ」
プミラムは破顔した。
「嬉しい!」と。まるで花が一斉に満開になったようなその喜びように、それを見ていた使用人たちも思わずつられて笑み崩れてしまったのだった。
+ + +
「教会で旦那様にお会いした頃、私はまだ七歳でした。親もなく、名もなく、神のために尽くし祈ることが私の全てでした」
クッキーにも満足し、プミラムはすぐ手の届く距離にまで来てくれた旦那様へとぽつりぽつり話し始める。
今こうして公爵家で菓子を食べていることが、一年近く経った今でもまだ現実味がない夢の中の出来事のように感じていた。
ムーンリットは相槌こそ打たないが、じっとプミラムを見つめ言葉の続きを待ってくれている。
世間でムーンリットが畏れられる人であるのは知っているが、やはりこうして積極的に話しかけたりする人物には好意的に接してくれるのだなと、”グイグイくるタイプをムーンリットは好む”という自身の立てた仮説に改めて自信を強めたプミラムはとつとつと一方的に話し続けた。
「旦那様が私に『導きを』と申し出られた時はとても驚き、そして光栄でした。いつしか、旦那様が次はいついらっしゃるかと心待ちにするようになっていたんですよ」
幼いあの頃、教会でつとめていたプミラムはムーンリットと出会い、やがて相談役シスターとして”導き手”の役割を与えられた。
実際にはそんな大層なものではなく、七歳のプミラムが六歳のムーンリットから他者には言い辛い愚痴を聞くという程度のものであったが。
プミラムが当時を思い出して「ふふ」と小さく笑うと、ムーンリットは表情を変えないまま僅かに首を傾ける。
その仕草が何故か動物がする仕草のように見えてプミラムはまた小さく笑顔をこぼして、それから続けた。
「名前を与えていただき、住む場所を与えていただき、こうしてわがままを聞いて、美味しいものを与えてくださって。本当に感謝しています旦那様」
「……ああ」
「これからは公爵家のために尽くし、いつか期待以上の働きをご覧に入れてみせます」
プミラムは幼き日に知り合い交流してきたムーンリットから多くのものを与えられ今ここでこうしている。
プミラムはムーンリットとエピフィラム家に心から感謝していた。
プミラムは、ムーンリットが導きへの恩返しのつもりの慈悲で自身を救い出してくれたのだと受け取っている。
妻として迎えるなんて行き過ぎではないかという気もしたが、高尚な考えあってのことだろうと深くは考えなかった。
そう。
ここに至ってもまだプミラムは、ムーンリットから自身に愛情が向けられる可能性があるなどとは微塵も浮かんでいないのである。
公爵家のため、これからも励もうなどと気持ちを新たに気合を入れている。
そんなプミラムを見つめ続けるムーンリットからは何故か満足げな空気が出ている気がするのだから、こちらもこちらでどこかずれていた。
それからも二人は一つのポットで入れた紅茶を分けて楽しみ、そうして午後の公務の時間になってそれぞれの仕事場へと別れた。
茶器を片付けるため動き始めた年配のメイドであるアンナが思わずというように「旦那様は良い奥様をもらわれましたね」とぽつりと言い、同じく片付けの指示を出していた老執事セバスも感慨深げに頷き同意を示す。
執務室に戻るムーンリットの後を追い、歩き始めていたハントだけはそれにこっそり苦笑した。
(閣下もプミラム様も、もう少し欲張っても許されるだろう)
そう、もう少しだけ、我が主とプミラム様が想い想われ合う関係で繋がれたのならもっと良いのに、と。
そんな贅沢なことを考えて。
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次話はお茶会中のムーンリットが何考えてたのかなど書く予定です。




