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2.溺愛されているがこの妻、好意に鈍感なのである。

「んぅ? あ、なた……?」


 寝台が軋んだような気がして公爵夫人プミラムはわずかにその意識を浮上させた。


「……寝ていろ」

「いえ、うう、むにゃぁ……」


 しかし直後、いつも通りの低く硬質な声がすぐ傍でして彼女は再び眠りへ落ちていく。


 この人が傍にいるなら安心だ。


 そんな風に思ったからだ。


 公爵の妻プミラムは知っていた。


 旦那様となった公爵ムーンリットが夜な夜な公務に出ていることを。


 そしてその仕事にプミラムを関わらせたくないと思っていることを。


 だから、プミラムは夜の仕事について何も聞かないようにしている。


 しかし、それとは別でやはり仕事から帰った夫を迎え(ねぎら)ってやりたいとも思うのだ。


 だからこうして帰宅に気付けた際は起きてみようとするのだが、日の出と共に起き、よく食べよく動くプミラムが睡眠の誘惑に勝てることはついぞなかった。


(旦那様も寝ていろとおっしゃるから……、しかた、ないです……、むにゃむにゃ……)


 プミラムは、旦那様が寝ろとおっしゃるからと勝手に自己弁護をして、今日も健やかな眠りに落ちていくのだった。







「奥様! またこんな場所までいらっしゃって。どうかなさいましたか」

「おはようアンナ。ドロシー、ニックもおはよう」

「おはようございます」

「おはようございます、おくさま」


 使用人のための区画でテキパキと朝食の食器を準備していた年配のメイドは、ここに居るはずの無い女主人の姿をみとめてその手を止めた。


 この邸宅の女主人であるプミラムはそんなメイドからの如何には答えずのんびりと朝の挨拶を返す。


 プミラムの柔らかな声はよく通り、名を呼ばれた給仕メイドや見習いの少年は慌てて頭を下げ挨拶を返すとプミラムからニコリと笑顔で返され頬を赤らめた。


 そんな様子を仕方ないと思いながら年配のメイドアンナは小さくため息を吐く。


「おはよう御座います奥様。朝食の準備は問題なく進んでおりますから、どうぞお席にてお待ちくださいませ。何よりまだ眠っていらっしゃって良い時間ですのに」

「まあ、アンナは私を追い出すっていうの?」

「奥様……」


 わざとらしく驚いたように言うプミラムに、アンナはやはりこうなるかと疲れたように眉間を押さえた。


 この朗らかな女主人には敵わない。


「さあ、アンナも納得してくれたようだし、私も手伝うわ。重そうねニックほら貸してみて」

「そんな! おくさま、ぼく、いえわたくしのしごとでございます!」

「まあまあ、偉いわニック。なんて可愛らしいのかしら」

「か! かわ!?」

「奥様、ほどほどにしてくださいませ」


 プミラムはアンナが諦めたのを見ればすぐさま見習いの少年の仕事を手伝い始める。


 公爵夫人としてはあってはならないことだ。


 しかし、プミラムの人柄は特別で、この国で一番の力を持つ公爵が住まうこの邸宅の中で、まるでそこだけが幸せに満ちるような空気を作り出してしまう。


 公爵ムーンリットは恐ろしい人だ。


 最大の権力を持つ冷酷な御仁はその美貌も相まってあまりに近寄りがたく、その考えはたかが使用人風情が測れるものでもない。


 しかし公爵が迎えた夫人プミラムはといえば、ここがそんな公爵の邸宅であるという現実を吹き飛ばすほどにほのぼのとしており、誰にも親近感を沸かせ慕ってしまうような存在だった。


 公爵夫人が使用人の仕事を手伝うなど、女主人不在であった頃この家の家政を担っていたアンナには頭の痛い話であるはずなのだが、そんなアンナもプミラムの持つ不思議な魅力に惹かれている自覚があるため強くは言えない。


 それどころか、心のどこかではプミラムがもっとプミラムらしく自由に振舞えるようにしてやりたいという気持ちが湧いてくる。


 使用人ひとりひとりの名を呼び朗らかに笑いかける眩しいほどのあの笑顔を守ってやりたいと。


 アンナはそんな思いを無理やり打ち切ると、意識的に気持ちを切り替えプミラムに苦言を呈する。


 プミラムが公爵夫人らしく振る舞うためのサポートも、アンナの主人である公爵ムーンリットから指示された業務の一つであるのだから。


「アンナ、今日は私が旦那様に給仕してみたいわ」

「ご勘弁くださいませ、奥様……」


 ふっくらと頬を赤らめたプミラムの強烈な愛らしさに思わず自身も顔を赤くしながら、アンナは目を逸らして無理難題を回避しようと奮闘するしかないのだった。








 + + +



「給仕をきっかけにお話する作戦はだめかぁ」


 朝食を終えたプミラムは、公爵夫人として任されていた仕事の手を一旦止め物思いに耽った。


 今は次に開く貴族会の招待客のリストを精査している。


 貴族会まで日は十分あるし、まだ公爵家に来て一年ほどのプミラムにはまだ息つけないほどの仕事が回ってくることはなかった。


 そもそも貴族というもの自体せかせかと自身が動き回ることはなく、周囲の人間をいかに使いこなすかという部分が大きい。


 そうして出来る暇にまだ慣れないプミラムは度々使用人の仕事を手伝ってみたり、未だ親密とは言えない旦那様との距離を近づけようと作戦を立ててみたりしているのだ。


「そうだわ、お昼のあと少しだけ一緒に食休みをしてもらいましょう。うん、今日は天気もいいし」


 妙案だと一人頷いたプミラムは早速同じ邸宅内にいるムーンリットへとお誘いの手紙を書いた。


 それから、控えていたアンナを呼んで昼食後に庭で休めるよう手配を頼みムーンリットへの手紙も託す。


 プミラムは一年に満たない公爵家での生活で得たいくつかの処世術があった。


『旦那様を突然、面と向かってお誘いしてはいけない』


 それがお出かけの誘いであれ茶会の誘いであれ、旦那様であるムーンリットは途端にいつも以上に表情の読めない顔になり、時に眉間に皺を寄せ、それからしばらく自室に籠って出て来なくなってしまうからだ。


『旦那様は意外とグイグイ接するのを喜ばれる』


 妻となりここへ来てすぐの頃、庶民であった自分は立場を弁えるべきだろうと控えめに振舞っていたところ、ムーンリットから「良くない」と一言言われたことがあった。


 公爵夫人として堂々としていろという意味だと思いそれから態度を改めたのだが、よくよく過ごしていくうちにどうやらムーンリットがどちらかといえば"馴れ馴れしいタイプ"を好むようだと気付いた。


 側近として置いている補佐の若い男ハントも気さくで砕けた態度を取る人物であるし、老執事セバスも意外とズバッとものを言うタイプだ。


「お忙しくなければきっと、応じてくださると思うのだけど」


 そしてやはりプミラムの予想通り、"諾"の返事がもたらされた。


 それはもうすぐに。


 速攻で。


 使用人に指示を出し、それからムーンリットへと手紙を届けたはずのアンナが全力疾走で往復したのかと思うほどの速さで戻って来て教えてくれた。


「ハァ、ハァ、旦那、様は、お喜びで、ござい、ましたよっ……」

「アンナ! あらあら、まあ、急いでくれたのね。さあソファーへ行きましょう、さ、肩に掴まって」

「あり、ありがとうございます……」




 そうなのである。




 ぜえぜえと息を切らしたアンナに驚き、慌ててその体を支えソファーに連れて行くプミラムは知らないのだ。


 自身がどれだけムーンリットを振り回しているか。(※ただし顔は真顔)


 自身の思い付きでムーンリットがどれだけ舞い上がるか。(※ただし顔は真顔)




 手紙を受け取った瞬間、表面上は平静なままのムーンリットが淡々とぶっとんだ指示を使用人に飛ばし始め、それを側近のハントが諌め、アンナはそんな窮状から「いいから行け!」と逃がされたことを。


 広大な庭を薔薇で一面埋め尽くすことも、宮廷楽師を集めたオーケストラを準備することも、国中すべての最高級菓子を揃えることも、昼食後までという短い時間ではどうやっても無理な話なのだ。


 これ以上主人がおかしな事を言い出してはいずれ妻付きのメイドたちにも余波が及ぶと判断され、アンナはハントとセバスの手によって帰され今に至る。


 プミラムが何かお誘いする度に毎度こんな調子なのだから違和感くらい持ちそうなものだが、のんびりとした女主人はむしろそんなドタバタに慣れてしまったようで最近では『公爵家の使用人さんってハードなのね』と落ち着いてしまっていた。




 何を隠そうこの公爵夫人、旦那様からの溺愛にまったく気付いていないのである。




次回、使用人がいたたまれないお庭プチデート開催!

明日14日土曜日の12時に予約投稿しました。

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