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12.初デートは成功と言っていいのである。

「馬車を呼ぶことも抱えて飛ぶことも出来るが、歩いて帰るか?」

「そうですね──」


 それが現れたのは、そろそろ帰宅をと二人が考えていた時だった。


「離れなさァい!?」


 甲高い女の声が辺りに木霊する。


 高飛車な声が舞台の女優さんみたいだと、どこか危機感の無いプミラムは思った。


 そして、ポカンとしている間にがしりと腹に腕が回される。


「あなた?」


 覚えのあるその力強さに首だけで振り返り聞くが、プミラムをがっつり小脇に抱えたムーンリットは無言で背から黒翼を解放した。


「なんで更に引っ付くんですの!? 離れなさァい!」

「行くぞ」

「あなた、あの方は」


 移動手段は空に決まったようだなんて呑気な事を考えながらもプミラムが女性は良いのだろうかと聞くが、ムーンリットは気にした様子も無くバサッと、一度その意思で大きく翼を動かす。


 局所的に突風が巻き起こる。

 

 その拍子にプミラムの顔に柔らかな翼が触れて前髪をそよがせ、高飛車な女は軽く吹き飛ばされて「キャッ」と短く悲鳴を上げた。


「よろしいのですか?」

「知らん」

「降りてらして! お離れになって!」


 ほとんど垂直に飛び上がり滞空状態になった公爵夫妻に、女は地上から両手の拳を振り上げキィキィ叫んでいる。


 ムーンリットとしてはプミラム危険に晒される可能性がある以上、相手を排除するかこちらが退くかしかない。


 どちらかと言えば二人の時間を邪魔された事もあるし排除一択なのだが、プミラムが怖がってはいけないので大人しく帰ろうと思っていた。


 女に見覚えは無く、貴族の喋り方を真似ているつもりのようだがそれもつたない。


 貴族では物心付けばまず最初の教育でエピフィラムの恐ろしさを教え込まされると言われているほどで、ムーンリットがエピフィラム家の者だと分かっていて何かしてくる事はまず無い。


 何かを勘違いした裕福な庶民の子女か貴族の婚外子あたりだろうと考え、全く気にかける必要の無い相手だと即座に脳内で切って捨てた。


 しかし。


「ペルフェクティオ・エピフィラムにィ! よくも女! 汚らわしい売女ばいたがァ!」

「チッ」


 あまりに不愉快な言動に、ムーンリットの赤い瞳が一瞬明滅するようにその色を濃くした。


 舌打ちひとつ、片腕で小脇に抱えていたプミラムを反対の腕で胸元まで抱き上げると頭を抱えるように抱き込み耳を塞いだ。


「んむ」


 ムーンリットの胸に顔を押し当てる形になったプミラムがくぐもった声を出したのとほぼ同時、ヒステリックに叫んでいた甲高い女の声も栓を締めるようにピタリと止んだ。


 石畳の上、糸が切れたように倒れぴくりとも動かなくなった女が護衛のハント指示の元連れられて行く。


 ムーンリットは、プミラムを抱く腕に改めて力を籠めた。


 自身が呼び寄せてしまったらしい不快な塵を粛正した事には何の感情も動かず、ただプミラムの耳に先ほどの戯言が届いてしまったかもしれない事が恐ろしかった。


「んーー」


 腕の中、プミラムがもぞもぞと動いた。


 スポンと顔を腕から出して上目遣いにムーンリットを見る。


 その目はムーンリットの機嫌を窺っているようにも見えた。


「殺したのですか」

「気絶させただけだ」

「なるほど」


 じっとムーンリットを見ていたプミラムだが、彼の普段通りの無表情から何を読み取ったのかどこか安心したように頭をムーンリットの胸にポスンと預けた。


 今さらムーンリットがプミラムとの距離に鼓動を跳ねさせたりしていたが、それに気づいた様子はない。


「あなたのお役に立ちたいのに」

「十分だ」

「でも……」


 分かっていた事だが、エピフィラム家に庶民が嫁いだ事への反発はあるのだ。


 エピフィラムが強大すぎるために面と向かって言われる事が無いのだと、理解しているつもりではいた。


 けれど直接言われては多少は落ち込みもする。


 ムーンリットはまずプミラムが状況を飲み込めてしまっていたのだという事実をひとつ心に留め、それからやはり警戒心は薄いらしいとちょっと困り、それから思ったよりも平常通りの彼女に安心した。


 落ち込んではいるが心乱すほどでは無いようだ。


 やはり強い人だなと、また一つプミラムの良い所を見つけたムーンリットは抱きしめるように回していた手でプミラムの後頭部を数度撫でた。


 先ほど眠る少女たちにしてやったよりもずっと優しい手つきだ。


「これからだろう?」

「……そうですね。まだ、公爵家に迎えていただいてたったの一年ほどですもの」


 立ち直りの早さも好ましいとムーンリットは更に言葉を重ねた。


「『完璧な(ペルフェクティオ)エピフィラム』は、古いエピフィラム信仰に傾倒する者が特に言いたがる言い回しだ。過激な連中はエピフィラム血統でない者なら誰を娶ったところで噛みついただろう」

「そう、なんですね」


 先ほどの女はおそらくエピフィラム信仰者だろうとムーンリットは考えていた。


 エピフィラムの歴史は長い。


 黒翼を持ち、唯人ただびととは明らかに異なる白い肌と黒髪赤目は昔から信仰の対象になっていたようで、その起源はもはや神話のようになっている。


 誰が言ったのか、女神が人の子の為に地にもたらした天使だとか、天使が女神の禁忌を犯したために人の地に堕とされた姿だとか。


 そのようなおとぎ話を信じる者はもはやほとんどいないが、ごく稀にああして変なのが現れるからどこかで脈々と信仰は続いているのだろう。


 彼らにとって何においても人を凌ぐムーンリットの存在は特にお気に入りなようで、一時期など『完璧ペルフェクティオ!』とひたすら血文字で綴られた怪文書が送り付けられた事もあった。


 幼心おさなごころにドン引いた。


 なんだかんだそんな信者たちもムーンリットに直接対峙する度胸は無いらしくこれまで被害らしい被害も無かったので黙殺してきたが、さらにその中でも過激で行動的な者がいるとなれば話は別だ。


 信仰対象自ら出向いて新たな教義を説いてやるか、それとも根絶やしにしてやるか。


 ムーンリットはしばしの間思考を飛躍させた。


(※ちなみにここで言う新たな教義とは女神の代理に等しいプミラムを称賛する内容である。)


「……帰るか」

「はい。お忙しいのに、今日は外出に誘っていただきありがとうございました」


 最近は確かに忙しいが、今日時間を作ったのは何よりムーンリット自身がプミラムと親交を深めたかったからだ。


 もう一度だけ名残惜しげにプミラムの髪を撫でてから彼女を抱きなおし、そしてムーンリットはそのまま羽ばたいて帰路へとついた。




 地上には、茜色に染まり始めた空を見送る影が複数。


「さあ、もうひと踏ん張り!」

「や、やっぱり追うんですか?」

「もちろん」


 涼しい顔で慣れっこのハントと、泣きそうな顔の使用人Aたち護衛が数名。


 ポンと励ますように肩を叩いたハントは「じゃ、お先に」と言って立ち消えるような速度で去った。


「ひぃい」

「明日非番にしてもらお」

「ハントさんやっぱ速えなあ」


 最恐公爵とその妻の初デートはこうして平和に終わったのである。








 ただその夜、捕えていた信者の女が忽然と消えた事実だけは、プミラムに伝えられることは無かった。


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