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9.エピフィラムの象徴はムーンリットによく似合うのである。

 めっちゃ震えとるね公爵様!


 使用人Aは己の目を疑って一度強く擦ってから再度確認する。


 最強にして最恐のムーンリットが、激しく振動しているように見える。


 馬車から降りて以降プミラムと手を繋いだままのムーンリットは事実、輪郭がブレるほどに全身を震わせていた。


 使用人Aにはその理由が分からない。


 すわ敵襲か!? などと周囲を警戒してしまう。


 まさか、ムーンリットが内心『うちの妻が可愛すぎる。大金を手にした庶民は周囲みんなが泥棒に見えるというが、魅力的すぎる妻を持った夫もそうかもしれん』などと考えている事など分かるはずが無いのだ。


 周囲を警戒し、そして特に変わった点が無いことを確認した使用人Aは再び公爵夫妻へ視線を戻した。


 おらん!?


 使用人Aは再び動揺することになる。


 たった一瞬、その間に異変を感じたプミラムが「あなた?」と尋ね、その声の可憐さに益々しなくてもよい心配をした公爵が持てる能力の全てでその場を脱してしまっていたのだ。


「あかんっ、見失う!」


 使用人Aは思わず悪態をつくと路地の壁を蹴って屋根に上がった。


 こう見えて使用人A、さすが公爵夫妻のお忍びデートに動員された少数精鋭なだけはあり優秀であった。


「小せえんよぉ!」


 見晴らしの良い屋根の上から捉えられたムーンリットたちの姿は小さく、今すぐ追わねば間違いなく見失うだけの距離と移動速度が分かった。


 使用人Aは音も無く飛び出し、その後を追う。


 この人たち護衛いるのかな? と、浮かんでしまった当然の疑問は忘れることにして。




 + + +




「ひ、ひええええ」

「案ずるな、護衛が付いてこれる速度だ」

「ひえええええ」


 飛ぶように移動しながら、プミラムは目を回しそうだった。


 米俵のようにがっしりつかまれ空を飛んでいるような気がするが、はっきり状況を認識してしまえばそれこそ卒倒しそうなのでひたすら情けない声を出して耐える。


(案ずるな? それより旦那様、足が地面につく移動方法が良かったですわ!)


 刺激的すぎる移動方法に、目的地についた暁にはしっかり希望の移動手段について相談しておこうとどこか頭の冷静な部分で思うプミラムである。


 それはいい判断で、ムーンリットの普段の外出といえば隠密や暗殺術に長けた者たちが同行しているため一般的な婦女子に合わせることなど皆無だ。


 母ですら幼い頃に亡くし、姉はムーンリットと同じくエピフィラムらしい武闘派。


 普通を知らないムーンリットにプミラムの常識は、黙っていては通じない。


 けれど幸い、のんびり屋のプミラムは相性がいいと言える。


 ムーンリットの一般的に見れば突飛な行動も、驚きこそすれ『そういうこともあるのかー』と捉えることが出来るし、今後はこうしてくれたら嬉しいと、ムーンリットを否定する事無くマイペースに伝えられる。


 それはプミラムの人徳と言うより、ただ本当に"相性が良い"のだろう。


 運命的なまでに。


 ムーンリットにとって、他に変わりが無いほどに。


 ムーンリットは自身にとってプミラムがそういう存在だと知っているからこそ特別なのだから。


 もはや成すがままでいる事こそ正解と悟りを開いたプミラムがムーンリット身を任せて爆速で移動する中穏やかな顔で目を閉じる。


 不思議と風圧はほとんど感じず、しっかり抱えられている事もあって景色さえ見えなければ安心感がある。


 案外居心地良いかもなんて考え始めたプミラムの顔を、()()()()()()()()()()()()()()()が撫でていた────。






 エピフィラム公爵家。


 その血統だけが持つ、天使のごとき大きな翼。


 その羽毛は濡れたように艶やかな黒。


 髪と同じその黒は美しく、まさしく崇高なるエピフィラムの象徴であった。 







 飛ぶように、いや、物理的に飛んで移動したその先、辿り着いたのは街を見渡せる高台だ。


 降り立つ際に展望の広場に居た人々は近づいてくるエピフィラムの黒き大翼に気付くと蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


 いいのかしら、なんてプミラムは思ったが、自身をふわりと着地させた後ゆっくりと降り立つこの世ならざる存在を隣に見て、贅沢なのは今に始まった事ではないと有難く展望を独り占めさせてもらうことにした。


 羽をしまうムーンリットに次からは出来るだけ足が付く方法で移動をと相談すれば、「そうか」と一言で承知してくれる。


 それからじっくり見ることが出来なかった美しい彼本来の姿を勿体なく思いながらも景色を楽しむ。


 公爵領のうち一番大きなこの街が、この高台からならほとんど見渡せた。


 ムーンリットも何度となくこの場所へ足を、いや、羽を運んだのかもしれない。


「ここは、旦那様にとって思い出の場所なんですか?」

「いや」


 違った。



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