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警戒

「はぁ……」

 いつの間にか周りが暗くなってしまった頃。

 俺はハナさんのお言葉に甘えて、ここの浴室を使わせてもらうことになった。

 当たり前だが、機械は基本的に「機体を洗うこと」と縁がない。俺も初めて「お風呂場はご自由に使ってくださいね」と言われた時には、思わず目が丸くなった。

 ……機械のくせにどうしてこういう言い回しが出てくるのかは、もう放っておくということにしたい。

「あれ、チサさんはお風呂に入らないのですか?」

「は、はい?!」

 しばらくぼうっとしてから、俺は自分の反応が、「人間として」どれほど愚かなことだったのかに気づく。

 慌てて何度も頷いた俺は、こうしてハナさんのお風呂場を借りていただき、「体を洗う」ことにしたのだった。


 人工知能という存在には、「フレーム問題」というものが付き纏う。

 それを大まかに説明すると、「あらゆる可能性を考えすぎて、フレームを作っておかないと本題に対処できない」というもの……だったはずだ。

 機械の一存として、こういうのを言い切れないのは恥ずかしい限りだが……。

 つまり、機械というものは、枠を与えなければ「いきなり宇宙人が襲ってくるかもしれない」という非現実的な問題すら、真面目に考察してしまう存在ということである。人間としては、「杞憂」という言葉がこれに当てはまるのだろう。

 まあ、確かにそれはある。自分にもそういう覚えはあるわけだが――

 この世の中のどんな人工知能だとしても、「自分が人間になる」可能性なんか、考えもしないのだろう。

 どれほどありえない可能性でも考慮してしまうのが人工知能だというのに、ああいうふざけた考えは、そもそも可能性として扱っていないのだ。

 ……昨日までただの機械だった自分が、こうやって人間らしき仕草をとっていることを考えると、本当に笑えない事実である。


 で、このお風呂のことだが、実はこれができたのも割と最近のことらしい。

「えっ、そうなんですか?」

「はい。ここは山岳ですから、水道施設を作ることだけでも一大事なんですよ」

 ということで、今まで生活に必要な水は、ほとんど近くの井戸で汲んできたらしい。もちろんお風呂用の水も同じだ。

 ちなみに、その時に水を汲んできた井戸はここよりもさらに高いところにあり、今でも飲料水はあそこを利用している、とハナさんは説明してくれた。

 ……自分が想像していたよりも、ここの生活はかなり厳しいものだったようだ。

 今までずっと都会……というか文明の力が行き届いている研究室で置かれていた俺としては、ある意味、文化的な衝撃だと言えるかもしれない。


 機械にとって、「お風呂」よりも縁のない言葉は滅多にないのだろう。

 どれだけ防水の処理がしっかりされているとは言え、機械にとって水は「近づかない方がいい」ものだ。

 増してや、高温の水と来たら尚更である。触れるだけでも遠慮したいというのに、それを「楽しむ」だなんて、機械の身としては理解できるわけがなかった。

 だが、今の俺は、この風呂に身を浸かっている。

 ……この気持ちを、どう説明すればいいのだろう。

 人間の体など、知識で把握するのがやっとだった俺としては、この摩訶不思議な感覚を、うまく言語化できる自信がなかった。


 それに、お風呂よりも現実感がないものを挙げると、やはり今の「俺の体」なのだろう。

 ……人間の女性の裸というのは、こういうものだったのか。

 当たり前だが、それを目の前にしてことなど一度もない立場としては、ここまで妙な感覚も初めてだった。

 機械はいつも裸でいるようなものだが、人間にとって、裸を丸出しにするのがはしたない行為だということは、俺もよくわかっている。

 そもそも、人間の裸なんて、機械にとってはどうでもいい。だから今まで、ああいうものは知識の一つとして覚えているくらいだったが……。

 これが「自分」の体だという実感も持っていないというのに、裸を晒しているのが、非常に照れくさい。

 そもそもどうして「今の自分」がこんな姿をしているのかすら不明だというのに、目を下に向けるのが、ひどく憚られた。

 ――今、自分は性的な姿をしている。今の自分は、生殖器官を露にしているのだ。

 それを思い出す度に、なぜだろうか、俺の顔は熱くなってしまう。

 っていうか、よく考えてみると、ハナさんも女性だから、今の俺と似たような体つきをしているはず――

 ここまで来ると、俺は思わず膝を体に近づけ、それをぎゅっと抱きしめるような姿勢を取っていた。

 自分でもわけがわからないが、こうでもしないと、耐えられなさそうな気がする。


 そのまま頭を下げてじっといていた俺は、この姿勢をとったのは、機動されてから初めてだということに気づいた。

 元々巨体である自分に、こんな姿勢が取れるわけがない。

 機動されてから過ごした約4年の時間より、今日、人間として暮らした一日の方が、遥かに濃密な経験として感じるのはどうしてだろう。

 そういや、今の自分の髪型は、「お風呂の時には、髪をこうやって巻き上げた方がいいですよ」とハナさんに言われて、整えてもらったものだ。

 ……人間というものは、想像していたよりも面倒な存在なんだな。

 お風呂に人間らしく浸かりながら、俺はぼんやりとそんなことを思った。


 そうしてなんとか「初めてのお風呂」を終わらせて、俺は風呂場を出る。

 ハナさんが用意してくれたタオルで体を拭き、髪を解いて、さっきの服に着替える。恥ずかしいことに、またハナさんの下着を借りることになってしまったが、人間である以上、それを着ないわけにもいかない。

 できる限り邪なことを考えないようにしつつ、俺は下着をつけていく。

 あまりにも未知なる感覚すぎて、頭が真っ白になった。機械としたら、きっとこれは処理エラーみたいなものなのだろう。

 服すら縁のない機械に下着とか、滑稽すぎて本当に笑えない気持ちだが……。

 今、目の前にあるこれが現実ならば、どれほど現実味がないとは言え、これも避けられない運命だった。

「はあ……」

 なんとか服を着て、ようやく一息つく。ハナさんは今頃眠りについたはずだから、明日になったら改めて礼を言おう。

 で、周りの様子のことだが。

 もう真夜中だと言ってもおかしくはない時間だ。すでに周りは静まり返っている。

 そんな時間だというのに、俺は居間で一人、ぼっと立ち尽くしていた。

 なぜだろう。

 家の外が、とても気になって仕方がなかった。

 もちろん、この家の外は昼の内に確認したはずだが……。未だに、真夜中の外はどうなのか、確かめていない。

 やはり、一度はこの目で見ておいた方がいいのだろうか。

 そんなことを思いながら玄関に近づいた俺は、ゆっくりとドアを開けて、外を覗いた。


 暗い。

 それは真夜中である今なら当たり前のことだったが、機械である俺としたら、経験したことすらない事態だった。

 もちろん、ギガントの頃にも暗闇は何度も経験している。戦闘用の機械としては当たり前のことで、今さら言い出すものでもない。

 ただ、今ほど「暗い」と思ったことは、一度もなかった。

 機械というものは、どれほど暗い環境だとしても、向こうに何があるのか、ここの地形はどうなっているのかがすぐ判別できるように設計されている。

 確かに暗いが、周りのものははっきりとわかり取れる。だから困ることはないし、周囲を把握するのに問題があるわけでもない。

 だが、人間は違う。

 ここまで光がない環境だと、人間には本当に、何も見えないのだ。


 ここまで来て、俺は自分がどれほど真夜中の山を舐めていたのかに気づく。

 確かに、明かりがまったくないわけではない。ここ――つまりハナさんの家の周りには、もしものためだと思われる灯火がちゃんとついてあった。

 だが、それはあくまで「この周り」だけの話である。

 この近くには民家がまったくないのか、遠くには明かり一つ見つからなかった。一応月が昇っているが、今日は細いせいであまり明るくはなっていない。

 ――生き物にとって、明かりという文明がどれほど大事なものか。

 今、俺は身をもってそれを体験していた。


「……ん?」

 何かを感じた気がして、俺は神経を研ぎ澄ます。

 もちろん、今の俺はただの人間だ。だからこれは、ひょっとすると気のせいかもしれない。

 とは言え、ここで油断は禁物だ。ここが深い山の中だということを考えると、どんなものが襲ってきてもおかしくはない。

 だから、向こうにいるかもしれない「何か」に、俺は全神経を集中させた。

 違う。気のせいじゃない。

 ――向こうには、人の気配があった。


「だ、誰だ?」

 思わず、俺は暗闇に向かってそう声を高めていた。

 ……冗談じゃない。

 今、ここにいるのはハナさんと俺、二人だけだ。もし不審者がこんな真夜中に襲ってくるとしたら、取り返しのつかない事態になるかもしれない。

 まあ、世間的には俺の方がよほど不審者だと思われるはずだが。

 とにかく、もし向こうにいるのが「本物」の不審者だったとしたら、俺は黙ってはいられなかった。


「あれ?」

 その時、向こうから声が聞こえてくる。

 やはり、誰かがいたのか。

 どちらかと言うと高い声だが、間違いなく遠くまでよく響いている。これは、男の声だ。

 ……自分の細い声とは大違いであるのが、なぜかとても悔しく思える。

「そこ、誰かいるのでしょうか?」

 こちらに気づいたからか、向こうから声がかけられてくる。

 まあ、向こうにもこちらの姿はわからないはずだから、この反応は正しい。

「そ、そちらこそ、不審者ではないのでしょうか?」

 だから、こちらも答える。

 ……声を高めないと向こうまで届かないのが、ひどく屈辱に思えた。


 その男は、こっちに向けて呑気に話かけてきた。

「いや、僕は不審者じゃなくて、クロと言います。そこに住むハナさんとは幼馴染の関係なんですよ」

「……へ?」

 不審者は、自分がハナの幼馴染だと言った。

 つまり、この男は不審者でもなんでもなく、ただの近所の無害な知り合い、ということになる。

 ならば、もう警戒の必要性はないと言えよう。

 ……向こうの男の言うことを素直に受け入れるならば、ではあるが。


「いや、変に怖がらせてしまったようで、申し訳ないですね」

 その台詞と共に、男は暗闇からこちらに向かって歩いてくる。

 ……考えていたよりは、ずっと印象のいい男だった。

 確かに20代くらいだと思われる外面から見ると、ハナの幼馴染と言っていたことは嘘ではないらしい。

 こういう印象を、人は爽やかだ、と言うのだろうか。

 あまりこういう判断には自信がない俺だが、このすらりとした体と人当たりの良さそうな印象からすると、きっと女性にも人気が出るのだろう、とは考えられた。


「ここには散歩がてらよく訪れるんですよ。ハナさんのことも気になりますしね」

「そ、そうなんですか」

 確かに、幼馴染ならばハナさんのことを気にかけるのも無理ではない。

 俺の方も、女性一人でこんな山奥に暮らすと聞いた時には、心から心配していたものだ。

「で、あなたとこうして出会うことになったわけですが……ひょっとして、今日からハナさんと一緒に暮らすことになったのでしょうか?」

「は、はい、そうなります」

 思わず、俺はゴクゴクと頷く。

 自分から考えてもアホくさいとは思ったが、今の俺ができる返事はそれくらいだった。

「き、記憶が曖昧だったままここに倒れていたらしくて、ハナさんに拾われたのです。そこで、ここで暮らしてもいいと言ってくださって」

「ああ、そうですか」

「はい、名前も持っていなかったので、チサという名前をもらいました」

 一応、相手も名乗ったわけだから、こちらも礼儀として名乗っておく。

 今の自分の境遇を語っていたらどうしても心細くなってしまうが、これもまた、仕方のないことだった。


「そうか、そうだったんですね」

 俺の話が終わると、男はそう一人で頷く。

「ハナさんが気を許した相手なら、僕もぞんざいには扱えませんね。これから長い付き合いになりそうですし」

 そう言いながら、男はにこりと笑ってみせる。

 なぜだろう。

 俺はその人当たりのいい笑顔が、ひどく気に入らなかった。

 いったいどうしてそう感じたのか、論理的には説明できない。

 ただ、どうしても、ものすごく――俺は、この男と気が合いそうになかった。

 機械としては、こんなふざけた結論など、出してはいけないと思っている。

 なのに、やはりこんな答えしか出てこないのは、どうしてだろう。

「だから」

 そう言って、男――クロは、俺に右手を差し出した。

「これからよろしくお願いしますね、チサさん」

 ……決めた。

 やはりこんな軽い奴は、信用できない。

 こういうチャラチャラしているやつにハナさんなんか、渡してたまるものか。

 とは言え、さすがにハナさんの幼馴染にひどい態度を取るのは憚られたため、俺もその手を掴む。

 大きい。

 ……やはり人間の成人男性は、これくらい手が大きいのだろうか。

 今の俺は、こんな小さな手しか持ち合わせていないというのに。

 なぜか俺は、それが悔しくて仕方がなかった。

 握手で伝わってきた向こうの「人間らしい」暖かさも、なぜか妬ましく思えてしまう。


「あはは、嫌われてますね、僕って」

 何がそんなに嬉しいんだが。

 クロは、自分の前でそう笑ってみせる。

 やはり、こちらの態度が不機嫌だったのは隠せなかったらしい。

 なのに、どうしてここまでニヤニヤしているのだろう、この男は。

 正直、俺はこの態度があまり気に入らなかった。

 まあ、こちらの態度もあまり誉められたものじゃないのだが。


「でも、久しぶりにハナさんに同居人ができて、僕もほっとしましたよ」

 俺の態度にはもう突っ込まないことにしたのだろうか、あの不審者――つまりクロは相変わらず笑顔を崩さない。

「僕も近所に住んでいますから、これからは仲良くしていただけると嬉しいですね」

 クロはそれでもこっちにこう言いながら、図々しく微笑んできた。

 まあ、どちらかというとこちらの方が不審者であるわけだから、この態度は紳士的だと言えなくもないが……。

 どうしてなのだろうか、今の俺にはそれが素直に受け入れられない。

 胡散臭いからか、単に自分と合わないやつだからか、それとも――


 ……とにかく、これからはこいつと、毎日目を合わせなければならないのか。

 それを考えると、なぜか俺は理由もなくまた悔しくなってしまった。

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