98 悪魔祓い
本日分の公開が遅くなってしまって、申し訳ありません。
まずはベルトラン氏の身体の傷を直そうと、私は彼に近づいた。
「手首の傷は治しても問題ないよね?」
「大丈夫です。できれば私は霊力を温存したいので、閣下がその傷薬を使ってくださると助かります。」
神官戦士の同意も取れたので、彼の手首を押さえてもらって傷薬をかける。固まった赤黒い血の間から鮮血がにじみ出ていた痛々しい傷は、少し引き攣れたような痕を残して塞がった。
やがて、白い法服をまとった神官たちとエズアール隊の3名の神官戦士たちがやってきた。
「公爵様、ご無事でなによりでございます。」
「なんの、そこに居られる宮廷魔術師長のアーディアス公のおかげよ。卿が居なかったならば、犠牲を出さずに収められたか疑わしい。」
白い髪と髭の老年に差しかかった神官にモンジェリン卿は応えて言った。
「アーディアス卿、感謝申し上げますぞ。」
モンジェリン卿は私に礼を述べてきた。
「当然の事をしたまでです。それに、まだ終わっていません。」
私は“防御陣”の内側に封じられ、“大地の鎖”で拘束されている屍の影に憑依されたベルトラン氏に視線を向ける。
「あれは家宰どのではありませんか。なんという…。」
白い髪と髭の神官はベルトラン氏と面識があったのだろう、絶句していた。
「まったく、どうしたものか。叶う事であれば、お救いください。」
「もちろんでございます。それは我らの務めでもあります。」
モンジェリン卿の言葉に白い髪と髭の神官はうなずいた。
「閣下、我々はどうしましょう?」
「私と一緒にここで待機だ。不測の事態に備える。」
「はっ、承知しました。」
ディオンからの問いに答えて、私は指示する。ディオンの部下たちはちょっと落ち着かない様子だ。
彼らの実務経験はアーディアス領内の警邏しかなかったのだから、低位悪魔との戦闘など想像もしたことがないに違いない。正直な話、私もこんな出来事があるとは思っていなかった。
あともうひとつ、指示を出しておかねばなるまい。
「エズアール隊長、君の配下の者たちをモンジェリン卿に協力させてもらいたい。構わないだろうか?」
「無論でございます、閣下。王国の安寧を保つことが我らの第一の務めでございますゆえ。」
今回、真正面で相対したエズアール隊長は少しの疲れも見せずにいた。あれくらいは戦闘の内に入らぬということなのかもしれないが、タフだなと私は感心した。
そして城館各所に配した部隊に伝令を走らせて、私はとりあえず見守りに入ることにした。戦闘に使える魔術を習得している者は少ないので、私もここに残ることにしたのだ。
エズアール隊の神官戦士たち四人とモンジェリン卿の呼んできた白い法服をまとった神官たちが集まって、何かを話し合っている。漏れ聞こえる話では方針を決め、儀式手順の確認をしているようだ。
「では、これよりベルトラン氏の悪魔祓いを開始します。」
白い髪と髭の神官がモンジェリン卿に向かって宣言した。
悪魔祓いは、もちろん取り憑いた悪魔を追い払うための奇跡術の儀式魔術である。これは奇跡術なので、ふつうの魔術師である私に手伝えることは無い。
それ以前に悪魔との闘争は神官たちの『使命』とされているので、私の出る幕は無いのである。
“防御陣”の外側に、白い法服姿の神官たちと四人の武装した神官戦士たちが並んだ。彼らの表情は決意、憐憫、ある種の怒りなど、複雑な感情を内包しているように見えた。
白い髪と髭の神官がベルトラン氏の額・胸の上・両腕・両脚のそれぞれに聖印を置く。そして聖句を斉唱し始めた。
「浄福なる神々の御名のもと、ここに清浄なる天の栄光を参らせん。聖なるかな。大いなる神々の中で最も偉大なる御方、神王よ。その聖なる権威と清き光にて、魔界の不浄の霊を祓いたまえ。」
ベルトラン氏の上に置かれた聖印が光を放ちはじめ、“防御陣”の内側の床が白い光を放ちはじめた。
「聖なるかな。大いなる神々の中で最も勇猛にして、最も多くの魔を討ちたる御方、戦神よ。その聖なる御剣と猛き覇気をもって、魔界の不浄の霊を祓いたまえ。」
「聖なるかな。大いなる神々の中で最も慈悲深く、命あるものを救い給う御方、命の母神よ。その癒しの御業と慈悲の御心をもって、ベルトランの命と魂を救い給え。」
「聖なるかな。大いなる神々の中で最も厳粛なる法の神よ。輝く天の法典の理をもって、ベルトランの身と心と魂を不当に占めたる魔界の不浄の霊を祓いたまえ。」
神官たちの聖句が次々に重ねられるたびに、屍の影に憑依されたベルトラン氏は身悶えする。いや、正確には中にいる屍の影が苦悶しているのだろう。
“防御陣”内の光はますます強くなり、そろそろ真っ直ぐに見ているのが辛いほどになっている。
「聖なるかな。神々はかつてお前たち魔界の不浄の者どもに三度打ち勝った。天でお前らを討ち落とし、地上でお前らを討ち払い、地下においてもお前らを討ち果たした。魔界の不浄なる者よ、お前らのいる場所はこの世に無く、宇宙は隅々まで浄福なる神々の栄光に満ちたり。」
神官戦士たちがベルトラン氏の体を押さえる。今にも“大地の鎖”を引きちぎるのではないかと思えるほどに暴れだしたからだ。
「聖なるかな。浄福なる神々の御使よ、どうか私どもと、この哀れなるベルトランをお護りください。聖なるかな。浄福なる神々の御使よ、どうか私どもの、この哀れなるベルトランを救うための祈りを浄福なる神々にお取り次ぎください。どうか、この哀れなるベルトランをお助けください。」
神官戦士たちの頭を覆う兜の隙間から汗が滴り落ちるのが見えた。じっと動かないように見えるが、かなり押さえるのに力を使っているようだ。
「聖なるかな。浄福なる神々に敵対するものは、火の前の霜のように消え、風に吹かれる煙のように流され消える。魔界に属する悪なる者よ、このベルトランの体より立ち去れ!彼の体と命と魂は、彼と浄福なる神々のものである。」
神官たちの間から、仰け反るベルトラン氏の体がチラリと見えた。
「聖なるかな。浄福なる神々によって、魔界の邪悪な霊よ、踏み砕かれよ!」
神官たちの聖句の終章とともに、光の中に真っ黒い墨の塊のような、粘着質の煙のようなものがムクムクと湧き上がった。それは“防御陣”の外側に出ることはなかったが、まるでガラス窓に押し付けられたような潰れた無数の人間の顔や動物の頭部の集合のようだった。
それらは全て、例外なく目を見開いて絶叫していた。
音も無く湧き上がったそれは白い光に切り裂かれ、砕け散り、粉砕されながら上に向かって吹き飛ばされてゆき、最後は焚き火の煙のようになって消えてしまった。
床の光はゆっくりと薄くなり、地下納骨堂に元の薄暗さが戻ってきた。
「公爵様、儀式は滞りなく終わりましてございます。」
白い髪と髭の神官が、やや疲れた顔をして悪魔祓いの終了を伝えた。




