95 敵の正体
「“死霊の召喚”っ!?こいつ、闇の悪霊じゃないぞ!」
私は周囲に警告した。死霊魔術の中にはアンデッドを召喚する魔術があるが、闇の悪霊はふつう、他のアンデッドを召喚したりしない。
闇の悪霊は人間と同程度の知性のあるアンデッドだし、起源をたどれば人間であるはずだ。元の人格がどの程度残っているかは別としても。
闇の悪霊がどこかで死霊魔術を学び“死霊の召喚”の魔術を習得した…という可能性はゼロでは無いかもしれないが、それは生きている人間が禁術を学ぶよりもはるかに難しいだろう。
では死霊魔術を学んだ者が、それも“死の超越者への転生”を実行して成功させうる力量のある黒魔術師がわざわざ闇の悪霊になるとも思えない。もっと上級のアンデッドになるはずだ。
死霊魔術を学んだ黒魔術師が死んで闇の悪霊になった、もありうるかもしれないが黒魔術師の絶対数を考えれば、その可能性は限りなく低い。
となると、目の前のコレは闇の悪霊ではない可能性の方が高いのだ。
「闇の悪霊でなければ、いったいこいつは?」
「まだ分かりません。とりあえずは…害する力よ、心を奪い意思を弱める力よ、霊素の堅き守りに阻まれよ。この守りは心を守るもの。」
私は先頭に立つモンジェリン卿の配下に“精神保護”をかけた。これで感覚を狂わせたり、眠らされたり、精神的なショックで恐慌状態に陥ったりしにくくなる。もちろん死霊の憑依もより防ぎやすくなる。
ベルトラン氏の影から現れた死霊は宙に移動すると、一気に降下しては頭上スレスレを飛び回り、また上空に逃げて旋回して、機を見て急降下するのを繰り返し、我々を翻弄しようと試みる。
「互いに背をかばい密集陣形!」
モンジェリン卿とエズアール隊長の、戦い慣れた二人の判断はほぼ同時だった。
モンジェリン卿の配下は卿を中心に集まり、ディオンたちは私を中にして陣を組んだ。エズアール隊長は魔法職を中央にして人を組む。
そこに、騒霊現象で飛び回るさまざまな物が飛んでくる。
「盾、構え!」
それと同時に飛んできた物が激しくぶつかる。
「ひえっ!」
私はおもわず身をすくめた。視界を塞いでも、固い物が壊れる音、金属を激しく叩く音、空を切るヒュンとなる音は否応なく耳をつんざく。
「閣下、必ずお守りします。」
「た、頼む…。」
ディオンはそう言ってくれたが、それでも私は正直めちゃくちゃ怖い。学生の頃に若さにまかせてやった無茶振りで経験した危険どころではない。
「勇気持って敵に立ち向かう者に栄光あれ。神は勇士を護りたもう。」
その時、護衛隊の神官戦士の祈りが耳に入った。次の瞬間に円陣を組んだ我々の各グループを光のドームが覆う。
「“聖盾”か。」
奇跡術の防御魔法が展開されて、ぶつかってきていた物が弾かれて地に落ちる。これを好機と見て、私は“精神保護”をさらにディオンたちとエズアール隊にかける。
「地の鎖よ絡めっ!」
エズアール隊の中にいる魔法剣士が次の一手をベルトラン氏に放った。地面から無数の黒い鎖が伸びて、彼に襲いかかる。“大地の鎖”は対象を拘束して動きを封じる魔術だ。
しかし彼はそれを飛び跳ねて避ける。右に、左に常人ではあり得ないような動きで魔術の鎖を巧みにかわし、空中で回転して飛び跳ねて着地する。
たいていは捕まえられるのだが、異常な敏捷性を持つ相手だとこのように回避されることがあるのが欠点だ。
「地の鎖よ絡めっ!」
私はそこでもう一度、“大地の鎖”を放った。
これにはベルトラン氏も慌てて飛び退き、かなりをかわされた。しかし、左脚にどうにか鎖が絡みついて引きずり降ろす。
「くっ、このくそどもがあぁぁぁっ!」
吠えるように罵声を上げるなり、ベルトラン氏の腹から胸が異常に大きく膨れ上がる。それは上に移動して、喉も膨れ、口から真っ黒なヘドロのようなものを吐き出す。
それは死と破壊の属性に大きく振れた霊素を帯びていた。私の“霊視”の視界で、それは黒い靄を発しているように見える。何かの呪いの類だ。私はそれが何かに思い当たった。
「それに触れるな!“死穢の汚泥”だ!」
“死穢の汚泥”はそこいらにいるような魔物が放つような技ではない。これは高位の実体のあるアンデッドか、死や破壊の力を扱う悪魔が使うものだ。これが体に付くと肉体的・精神的にジワジワと蝕まれて消耗してゆく。弱い者なら命取りになりかねない。
これで確定した。ベルトラン氏に憑いているのは闇の悪霊なんかじゃない。
「そいつは『屍の影』だ!」
人並みの知性・憑依能力・魔術の使用・アンデッドの召喚・騒霊現象・死穢の汚泥のような呪いの能力。
まさかのまさか、低位悪魔の一種『屍の影』だった。先ほどベルトラン氏が見せた超人的な身体能力もこれで説明がつく。
『屍の影』は実体を持たない霊体系の低位悪魔で、死・破壊・腐敗・堕落を好み、生ある者のやる事なす事すべてを冷笑するとされる。
この悪魔は下級のアンデッドを操り、死と腐敗の呪いを振りまく。人間に取り憑いて密かに悪事をなし、生者に対する強い悪意と憎悪で歪んでいるが高い知性と魔術の知識で、人の世を人目につきにくいように害してゆくと言う。
そりゃあ“聖別”や“悪よりの護り”から逃げるはずである。もし悪魔がそんな奇跡術を受けたらひどいダメージを負った上に、憑依したベルトラン氏の身体から追い出されてしまう。
「死ね。死ね。死ねぇぇぇっ!」
怨嗟に満ちたような暗く低い声で彼は叫ぶと、黒い霊素の渦が再び彼の足元から爆発し“死穢の汚泥”を周辺に飛び散らせる。先ほどかけられた“聖盾”などの奇跡術のおかげで、呪いの効果は相殺された。だが消えたわけではない。
「閣下、どうするんですか?」
「正体が分かった。油断はできないが十分戦える。まずは雑魚を片付けるぞ。」