8 祝福式の準備と妻への協力要請
娘のアンドレアの『祝福式』の日取りが決まった。
魔術属性を知るための秘儀を神殿で受けるだけの儀式なのだが、貴族家の場合は見栄を張って盛り上げるので手配が面倒だ。
赤ん坊用のドレス──すぐに大きくなるから、当然使うのは一度きりである──や、聖歌隊だの、楽隊だの、装飾用の花だのと出費がかさむ。その後に宴も催すのでそれの準備に、各方面に招待状も書かなくてはいけないのだ。
一度、嫡男のアレクの時に経験済みだから手順は分かっているが、めんどくさいことには変わりない。
そこで妻のマリアに祝福式の準備の指揮を執ってもらえるように頼むことにした。産後の回復途上なので気がひけるが、事務手続きが主なのでベッドの上でも作業はできる。
「ちょっと今回手が回りそうにないので、済まないがアンドレアの祝福式の準備について、君が中心になって指示をしてくれないだろうか?」
「もう、あなたったら。この子の父親なのですよ?」
娘に母乳を飲ませながら、寝椅子に横たわる妻・マリアはバラ色の唇を尖らせた。窓から差し込む初夏の日差しが彼女の明るい亜麻色の髪を輝かせている。幾つになっても美しく、賢明で、時に容赦のないツッコミをする我が愛しの伴侶である。
「祝福式にアンドレアに着せるドレスをどんなのにするか、それだけ決めれば良いかと思ってましたのに。ねえ、ロレーヌ。」
「畏れながら旦那様、奥様は出産後なのをご配慮いただきたく存じます。」
頭を下げてマリアの側に控えるロレーヌさんからも、丁寧だけど遠回しに『負担かけんなよ』と牽制される。長年マリアに仕える専属の侍女である彼女の立場からすれば当然だ。
「もちろん、負担が一番大きい招待状書きは私がするよ。やって欲しいのは儀式と宴に必要な各手配の確認、予算の支出と領収書の決済の確認が中心だ。書類仕事だからベッドの上でもできると思うんだ。ドレスに関しては完全に一任する。私には小さい女の子用の服のことはわからないからね。それから──」
「はいはい、しょうがないわね。なんか、このところ子供の教育のことで何かしている様子だし、手が回らないのは事実でしょう。できればもっと早くに言ってくれれば良いのに。」
マリアは私の言葉を遮って、もう言わなくても良いとばかりに手を振った。
「命名式もあったし、産後すぐだったから、君を煩わせたくなかったんだ。」
「もう。ダルトン、あなたと私は夫婦なの。それに私たちの子供のことなのだから、もっと相談してほしいわ。それと実際に見て確かめる必要がある場合に備えて何人か男手を貸して。」
私の釈明にマリアは鼻を鳴らして応えると、サラッと文句を言ってから人手を要求した。
「わかった。マイケルと相談して人選してくれ。要望があればいつでも受ける。」
「そうするわ。まずは予算書と招待客リストを渡してくださる?」
「暫定の招待客リストはマイケルが持っている。予算書は財務のメリルが持っている。」
私の答えにマリアは頷くと、すぐにロレーヌに指示した。
「ロレーヌ、聞いたわね?マイケルとメリルに伝えて、書類を持って来させて。」
「畏まりました。直ちに。」
ロレーヌは一礼をして、すぐに部屋を出て行った。
「正直なところ、授乳して、アンドレアをあやして、寝かして、おしめ換えるのもけっこう重労働なのよ?私にはまだ侍女たちがいるけれど。」
「本当にすまない。女の苦労はなかなか男には理解しづらくて…。」
「そのうちにアンドレアをあやすのと、寝かすのと、おしめ換えるのをやらせてあげるわ。これなら男にもできるわよ。“魔術師たるもの森羅万象を理解すべき”なのでしょう?これもそのうちよ。」
私はいたたまれなくなって小さくなるが、どうもアレクの時にあまり育児を手伝わなかったのを根に持たれていたのか、厳しい指摘を受けた。
「その際はご指導よろしくお願いします…。」
私はボソボソと答えた。何はともあれ、これで妻に祝福式の指揮を執ってもらえるので作業量が減った。
これで娘のアンドレアの闇堕ち BAD END を回避するための教育方法の構築に専念できる。宮廷の仕事も疎かにはできないので、マリアが受け持ってくれて大助かりだ。
宮廷から帰って普段着に着替えてから妻の寝室に顔を出す。妻の寝室は私の寝室の隣なのだが、毎日、朝夕2回これを欠かさない。それに今日は何やら賑やかだったのだ。
「失礼、今日は賑やかだが…おおっと。」
中に入ると、父と母が妻の寝室にいた。2人の手には書類がある。
「おう、ダルトンか。マリアさんに大仕事を振ったもんじゃな。」
「もう少しゆっくりさせてあげないとダメじゃない。この子ったら。」
「ああ、これは、その、無理に振ったわけではなくて…。」
思わぬ両親の登場にしどろもどろになる私の顔を見て、マリアはくすくすと笑った。
「お義父様とお義母様が手伝いを申し出てくださったの。」
「途中で大旦那様と大奥様に行き当たりまして、事情を尋ねられましたのでお答えしましたら、このようなことに。」
ロレーヌは頭を下げたまま静かに説明した。
「いやあ、お前の時のことを話しながら書類を見ておったんじゃ。」
「あの時、ダルトンはギャンギャンすごい声で泣いてたわねぇ。抱いてて耳が痛くなりそうだった。」
父・パウロはカッカと笑い、母・ソフィアも口元を手で隠しながら笑った。
「ちょっと、そんな時のこと覚えてな──。」
私の抗議を、両親と妻の笑い声がかき消した。