87 “弔辞”を誦む
霧の向こうから現れたのは、錆の浮かんだ剣や槍を持ったゾンビの一群だった。その数は20あまり。
すでに一行とレオノラは取り囲まれており、ジリジリと近づいてくる。隊商の者たちはゾンビなど見るのも初めてで、腐敗した動く死体という生理的嫌悪感を催す存在に悲鳴をあげた。
レオノラは相手がゾンビだけなのを確認して、少し安堵すると同時に、その所業に内心で悪態をついた。
ゾンビやスケルトンなどのアンデッドを作る魔術“物言わぬ従者の作成”が、禁術として忌避されるのには理由がある。
媒体に霊魂を使うのだ。
魔術、正確に言えば霊素術では何か動くものを作る際には核となる何かが要る。基本的には魔力源とそれを囲む魔術式だ。それを核にして埋め込む。
その魔術式には『こうして動く』というプログラムのような部分があり、そこをどう上手く創るかは魔術師の腕の見せ所なのだが、作るのはけっこう手間である。
そこで“物言わぬ従者の作成”では、死んだ人間の魂をそのプログラム部分として使う。ヒューマノイドタイプの死体なら、体の動かし方が分かっている人間の魂を使えば手っ取り早い。
こうして死体と魂を元に、魔力さえあればお手軽に作れてしまう点が“物言わぬ従者の作成”の利点なのだ。
さらに忌避される理由は魂の調達だ。
霊として形をなさず漂う魂を引き寄せ捕まえて利用することもできるが、一番手間がかからないのは『生きている人間を殺してゾンビにする』ことだ。こうすれば死体と魂が同時に手に入る。
借金だので雁字搦めになった人が悪い奴に売り飛ばされて、殺されて、黒魔術師にゾンビにされて違法採掘の鉱山なんかで労働力にされている、なんてのは噂話で耳にする話である。
ゾンビが軍事利用されることがあるのも、媒体に霊魂を使うことと関係がある。
霊魂が使われているがゆえに、ゾンビには視覚は無いが、生命の気を感じ取ることができる。これはアンデッドが持っている基本的な能力で、これによって命あるものにアンデッドは迷うことなく襲いかかれるのだ。
つまり、ゾンビの中には悲惨な境遇の果てに殺された人の霊魂が、魔術に拘束されて利用されている。“物言わぬ従者の作成”の使用は倫理とか良識とか、そうしたものを土足で踏みにじるに等しい。
ちなみに、単に死体に魔術式を刻んで魔力を流して動くようにしたのは『動く死体』という別のもので、これは死体を素材にしたゴーレムの一種でゾンビとは違う。工夫次第でゾンビより動きの良いのができるかもしれないが、やはり死者への冒涜であるとされている禁術だ。
「やれやれ、可哀想で見てらんないねぇ。」
レオノラは包囲の輪を狭めてくるゾンビの群れを見回して呟いた。
彼女は屍喰鬼や憑依能力を持つ死霊が混じっているのを警戒していたが、それは無さそうだ。
彼女は聖鈴を左手に持ち、まず一度鳴らした。古びた外観からは想像もできないほど澄んだ音色が周囲に響く。それを2度、3度と繰り返し鳴らす。
高く、長く、尾をひく澄明なは聖鈴の音が響くと同時に、ゾンビの動きがピタリと止まった。
「四方の神に申し奉る。 肉朽ちて 骨朽ちて なお世に迷い 寄る辺無き 御魂の迷い解きたもれ。」
レオノラが唱え始めたのは“弔辞”の祭文だった。
霊媒師の死霊魔術で使われる、アンデッドを浄化・消滅させる魔術だ。
「東の御方よ 野辺で朽ちたる御魂を連れたもれ 南の御方よ 水底深くの御魂を連れたもれ 西の御方よ 山で野ざらし御魂を連れたもれ 北の御方よ 辺土の川越えさせ給え。」
隊商のメンバーが見ている前で、ゾンビが力を失い、表面が朽ちてゆく。
「ここは墓場にあらざれど 川超えて 幽冥の陰の覆いに安んじたもれ。」
ゾンビの体から力が抜け、腕をだらりと下げて首は下を向いた。
「四方の神に申し奉る。 明かり灯して迷わぬように 家に留まらぬように 戸口に留まらぬように 里に留まらぬように 森に留まらぬように 人の世に留まらぬように 辺土の川越え 連れてたもれ。」
“弔辞”が唱え終わると同時に、ゾンビの一体が倒れた。それに続いて、ゾンビはひとつ、またひとつと倒れ、倒れると同時に塵になって土に還っていく。
こうして隊商の一行を取り囲んでいた20体余りのゾンビの群れは、レオノラの“弔辞”によって魔術の術式から解放されて、元の死体へ戻り朽ちていったのだった。
レオノラの目には、周囲に霊魂がいくつか留まっているのが視えていた。
別にこれはおかしなことではなく、ゾンビにされていた遺体に閉じ込められていた霊魂に何かこの世に留まる理由があることを示している。
普通の人間には聞き取ることのできない、こうした姿無き・声無き霊魂の想いを汲んで、社会との間を取り持つのが霊媒師の仕事であり、使命でもある。
「連れてってあげるから、どれが誰だったか教えておくれ。」
彼女は肩にかけたカバンから、厚紙で作られた人形を取り出すと手近に居た霊魂に話しかけた。
それは彼女にしか聴こえず、隊商の一行には彼女が一人芝居をしているようにも見えた。
「そうかい。お前さんは、故郷に残した母親と弟に詫びたいのかい。」
そして錆だらけの剣を持っていた遺体の跡から、男のものらしい短い髪を数本拾い上げると、それを厚紙製の人形に貼り付けた。
「さあ、ここに宿りな。連れてってあげるよ。後は任せるんだよ。」
そうした作業を終えてから、それまで声を発する事もできずに見ているだけだった隊商の一行に声をかける。
「待たせたね。全部済んだよ。なるべく早めにここを離れようじゃないか。あたしも用事ができたしね。」
その言葉に、ようやく隊商の者たちは動き始めた。ややあって、その場所から離れ始める。
霧はしばらく晴れなかった。