84 熟練の霊媒師の名は…
彼の容貌はヤンキー顔のジャックに似ているが、その頰は痩せて少し細い。
「ああ…本当に。…なんてこと。」
母親の方は床にへたり込んでしまった。
「本当に…死んでしまっているのね。」
「ゴメン、母さん。」
フィルマンと、名を告げられた若い男の霊が答えた。
「ジャック、ゴメン。」
フィルマンの霊は弟の方を見て詫びた。
「母さんも、ジャックも、止めてくれたのに。俺はバカだから──」
「バカどころじゃねーだろっ!!金盗んで、母さんはそれでも、ずっと心配しててっ!クッソ野朗がぁぁぁぁっ!!」
一家でそれぞれ、泣くわ、怒鳴るは、か細い声で謝り続けるわ、なかなか激しい愁嘆場となった。
その一方で、私は見る機会の少ない霊媒師の死霊魔術に興味があった。この一家のことは私にはどうにもできないので、見るべきは彼女の死霊魔術である。
(おお、ダイレクトボイス!これは、かなり術の完成度が高い。)
さすがにこの場で魔術の出来栄えに喝采を叫んだりしないが、私は内心で感嘆していた。
霊体が直接、音声で会話できるようにするには、相当量の霊素が凝集した霊子雲を安定して供給する必要がある。
しかし単純に大量に流し込めば良いというものではない。霊素が多過ぎると後処理に余計な手間がかかるばかりでなく、魔術事故の発生確率も高くなる。少ないと期待する効果を出すことができない。
(霊素の流れもスムーズ、量も濃度も適量。コントロールが完璧だ。手慣れているなぁ。)
さらにコントロールが上手くないといけないのだ。これは簡単なようで難しい。
本来、主物質界では極めて不安定な存在である霊子雲を、召喚した霊体の霊素消費と周辺の環境霊素量に合わせて調節しながら供給しければならない。
この霊媒師の老婆の力量が推察できようというものだ。
そうこうしている内に、フィルマンの霊の姿がぼやけ始めた。
「ゴメンな…ゴメンな…。それだけ、二人にどうしても言いたくて──」
「オイ!消えんじゃねーよ!」
「フィルマン!フィルマン!」
フィルマンの霊の声が途切れがちになり、形が崩れてゆく。
「──じゃあな。ありghaT o──。」
最後は声も歪み、姿は無形の霊子雲の塊となって、湯気が消えるように広がって消えた。魔法陣の中央には灰色の燃えかすのような形代の残骸が残された。
「チクショウ!消えたら殴れねぇだろうがぁぁっ!」
ジャックは床を拳で叩きつけた。母親もかたわらで顔を伏せて、嗚咽だけが聞こえていた。
「御魂は思いを果たし、入滅なされた。」
霊媒師の老婆が告げた。
フィルマンの霊魂がこの世に留まっていた理由が消失し、同時に彼の霊魂も消え失せたのだ。いかなる魔術も届き得ない、不可知の領域へと彼の存在は去った。
「四方の神に申し奉る。 東の御方よ 野に連れたもれ 南の御方よ 海原に連れたもれ 西の御方よ 山に連れたもれ 北の御方よ 辺土に連れたもれ。」
“交霊会”を終了させる祭文が詠まれ始めた。
「家に留まらぬように 戸口に留まらぬように 里に留まらぬように 森に留まらぬように 人の世に留まらぬように 連れてたもれ。 明かり灯して迷わぬように 野で迷わぬように──」
その後、この場に残る高まった霊素場を元に戻すべく、浄化魔術がもう一度おこなわれて、すべての儀式が終了した。
2時間ほど経っていたが、旅程の遅れは取り戻せる。それよりも、やっと本題に入れる。
「もし人違いであればお許しを。あなたは“ガラシレ横丁のレオノラ”ではありませんか?」
フードの奥から、深く静かな、しかし、こちらを見返す力強い視線が注がれた。
「ちょっとは有名になるもんだねぇ。そうさ、私はレオノラ。“ガラシレ横丁の占いババ”さ。」
霊媒師の老婆は表情をフッとゆるめた。
(やはり!)
時期的に、東街道を行けば会う機会があるかもしれないと思っていたが、こうも上手く機会を得られるとは思わなかった。
「どうしてこちらに?王都に弟子もいるではありませんか。」
「姉が死んで、片付けをしてきたのさ。大したものは残しちゃいなかったがね。」
私の質問は彼女にカマをかけたのだが、答えは正解。これは事情を知らなければこう答えないだろう。
「どちらまで?エングルムあたりですか?」
私はすっとぼけて訊ねる。
「ヒエレス王国の南の端の、ヴェルソイクスって小さな村さ。」
調査官のベルペックから聞いた話のとおりだ。レオノラの名を語る別人では無い。
「それはそれは、ずいぶんな長旅でしたね。」
「回りくどいねぇ。私に聞きたい話があるんじゃ無いのかい?」