83 交霊会
“交霊会”とは霊媒師が霊を見える形で喚び出して、そこに居る者たちとコミュニケーション可能にする死霊魔術のひとつである。
“交霊会”では対象となる人物の遺品など関係の深い物品、髪や爪などの身体の一部などを触媒に、喚び出した霊魂を核にして、霊素を臨界点以上に高密度にすることで物質化させて得られる霊子雲で霊体を形成させる。
もっとも、あまりにも昔に死んだ人を喚び出すことはできない。古い霊魂は消えているからだ。仮に呼び出せたとしたら、対象の人物の霊魂は何らかの霊体系アンデッドに変質している。
「ご主人、場所をお借りするよ。あと、この器に水を一杯入れてもらえないかね。」
霊媒師の老婆は茶屋の主人にことわると、数枚の銀貨とともに使い込まれて濃い茶色になっているボウルを渡した。
「若いの二人、そのテーブルをどかしな。」
「なんで俺がこんな事を…。」
「まあまあ。」
彼女の命じるとおりに、私は彼をなだめて、テーブルのひとつを動かす。
「これでいいんで?」
「充分さね。」
彼女は茶屋の主人からボウルを受け取ると、そこに柄の長い茶筅と言うか、手のひらサイズの竹箒というか、先端を細かく割いて房状にした木の棒の先端を水に浸けて一礼した。儀式が始まった。
「この浄水は天の水 天を祓い清め 地を祓い清め 海を祓い清め 四海を巡りて世の一切を祓い清め申す。」
彼女は祭文を唱え始めると、テーブルをどかしてできた空間の周辺を水に浸した木の棒を振って水を撒きながら時計回りに歩き始める。
「陽の照る昼に清め給い 月照る夜に清め給い──」
老女の声とは思えないほど、しっかりした声で朗々と響く。
「陽陰る所にも 月無き暗き夜のしじまにも 天の水は一切を清め申す。」
霊媒師が最初におこなったのは浄化儀式だった。
どの魔術系統でも儀式魔術や厳密性を要求される場合はこの魔術儀式をおこなって、その場の霊素相を標準化する。わかりやすく言うと、その場所の霊素の偏りをリセットして正す魔術だ。
私のおこなうものと違うが、これが霊媒師の扱う死霊魔術でのやり方なのだろう。
彼女は祭文を唱え、この場にいる私・ジャック・ジャックの母親、そして様子を見ていた茶屋の主人にも水を振りかけた。
「つめてぇ!」
「浄化儀式の聖水だ。弱い呪いぐらいなら無効化されるぞ。」
「…ホントかよ?」
私の解説に疑わしげな彼だが、ごく弱い悪霊やおまじないレベルの呪詛なら浄化儀式で追い払えたり無効化できるのは本当だ。
霊媒師の老婆は祭文を繰り返し唱えながら時計回りに7回、その場を回って水を撒いて浄化儀式を終えた。
次に荷物を入れたバッグから革袋を取り出した。ちょうどマヨネーズの容器のような形で、先端に銀か真鍮の、金属製の細長いキャップが付いている。
その先端を開けて逆さにすると細かい白砂がこぼれ出した、それで直径1mほどの真円を描き、コンパスで確認してから、正確に東西南北に何かのシンボルを描いた。そしてそれを繋ぐように十字を描く。
その中央に、形代のひとつを置いた。あれが例の『兄』なのだろう。
霊媒師は首にかけた念珠を手に持つと、椅子の一つに腰掛けた。左手には聖鈴を握っている。聖鈴は握りの部分や先端に神秘的な装飾の施されたハンドベルだ。彼女の持つそれは積年の歳月を示すかのように古びて表面はくすんでいる。
澄んだ高い音が響くと同時に“交霊会”の始まりだ。
「幽冥におわす御魂をここに喚び申す。 世上の波 時の流れ のまれ さらわれ 肉朽ちて 骨朽ちて 姿無く 声無く──」
聖鈴を等間隔で振り鳴らし、念珠を手繰りながら、歌うように祭文を詠みあげる。
「──辺土の川越え 声まだ遠く 山で野ざらし 声まだ遠く 野辺で朽ちたり 声まだ遠く 水底深く 声まだ遠く──」
私の眼には形代の置かれた魔法陣を中心に霊素が活性化し始めたのが視えた。
霊素力学を学ぶ魔術師なら習得が必須の魔術“霊視”の効果だ。この魔術を身につけると、周辺の霊素の変化が目や肌で感じられるようになる。
「墓場にあっても 声まだ遠く。 戻らざると 還らざるとも 今ここに。 幽冥の陰を払いて その声を 幽冥の陰を払いて その姿 親の願いを ここに受け 兄弟姉妹の願いをここに受け 恋しき人の願いをここに受け 慕う人の願いをここに受け──」
渦を巻く霊素は密度を上げ臨界点を超えて、物質化を開始した。魔法陣を中心に白い霧か蒸気のようなものがサーっと床に広がり始める。
「なんだよっ、これ。」
「心配無い。霊子雲だ。儀式は順調に進行している。」
怯えたような声を上げるジャックに、私は落ち着くように囁きかけた。母親の方に眼を向けると、驚きのあまり固まっているようだった。軽く背を叩いて、気をしっかり保つように注意を促す。
「──山越えて来れ 野を越えて来れ 海越えて来れ 辺土の川を越えて来れ。 魂は千里を駆けて 魂は万里を飛んで来れ。」
形代が見えなくなるほど濃密な霊子雲が魔法陣を中心に渦巻き、中で霊素の凝集が進むのが私には感じられた。
「ここに来たりて かりそめの 姿をなして。 ここに来たりて かりそめの 声を聞かせ給え。」
霊子雲は天井に届くほどの柱状になり、内部に薄ぼんやりと人影が見えた。
「ここに招きたる御魂は 御名を フィルマンと申される。」
「なんでアンタが兄貴の名前を知ってるんだよ!?」
ジャックは悲鳴のような声をあげ、母親は驚きに目を見張った。霊子雲の霧が晴れ、そこに一人の青年の姿が現れた。




