82 冒険家を目指した者の末路
私はここで小休止とすることを先触れの騎兵に告げて、例の親子と霊媒師から話を聞いた。近くの茶店の一角に場所を借りて、事情を聴く。
結論から言えばよくある話だった。
この女性は夫を早くに亡くした。
幸いにも、この街道筋は女一人でもできる仕事──宿屋の掃除婦・料理の手伝い・給仕・針子・子守・小間物の商いなど──があった。子供二人を抱えても、周囲の助けもあってなんとか暮らしてこれたらしい。
だからと言って楽な暮らしでは無い。二人の子供にも農作業の手伝い・荷運び・商家の使い走り・馬の世話、そのほかの力仕事などで働いてもらい、家計を助けてもらっていた。
ところが兄の方が何をどう聞きかじったのか、冒険家が一攫千金の仕事だと思い込んだらしい。そして家を出て冒険家になると言い出した。もちろん母親も弟も止めた。
しかし一度冒険心に火がついてしまった兄は密かに支度を調えて、ある夜に一家のなけなしの金などを持って出て行ってしまったそうだ。もちろん、金を送って来ることなどは一度も無かった。
もちろん二人とも最初は驚き、怒ったが、母親の方はしばらく経って兄の方が心配になってきた。いったい今頃どこでどうしているものかと。
一方で兄が消えた分も働いて苦労をする羽目になった弟の方は、年々怒りが溜まってきた。もし金持ちになって帰ってきたとしても、顔の区別がつかないぐらいに殴ってやろうと決めていた程度に。
ところが、どうだ。
兄はすでに死んでいて、霊魂だけでも戻ってから逝きたいと願って連れてきてもらったと、霊媒師から言われた時の感情は、親子ともども言い難い感情だった。
母親は蓄えを盗んだ上に心配かけ続けた挙句、死んで戻ってきたことに落胆と悲しみと諦めと少しの怒りがあった。
弟の方は兄が穀潰しのクソ野郎という認識でいたので、ちっとも許す気にならなかった。
その感情の差がもとで親子で大ゲンカ。どちらも一歩も引かず、それぞれ味方する者がつき、やがて野次馬が集まり、道を塞ぐまでになった、というわけだった。
「冒険譚も罪深いな…。」
名も無い庶民の子供が長じて腕っ節ひとつで魔物をバッタバッタと薙ぎ倒し、困難を乗り越え驚くような冒険をやってのけて巨万の富を手にいれる。そして故郷に凱旋して幸せに暮らしましたとさ…。
このパターンの物語は一般的な人気があって、子供向きのものから大人向けのものまでたくさんある。
だが実際に冒険家になって栄光を掴み取れるのは、全体のひと掴みどころか、ひと摘みあるか無いかだ。はっきり言って、ほとんど無いと言って良い。
それに歴史上の有名な冒険家で、本当の意味で庶民から成り上がった人物はほとんど居ない。
大旅行家のナルソス・カーンは裕福な商家の出身だし、魔物退治の英雄譚で有名な『流浪の騎士ゲオルギウス』はある王家に仕えていた騎士の息子、海の冒険譚にたびたび登場する『船乗りエルバー』は貿易で財を成した西の国のある王子がモデルだ。
つまり、ほとんど全員、ある程度ちゃんと正当な訓練や教育を受けられた人物が、たまたま何かの理由で冒険をして成果をうまく上げられた上に、それがきちんと記録なりなんなりで後世の人々の記憶に残り、さらに物語作者に伝わって面白おかしく脚色されたものが民衆に受けて流行って、はじめて有名な冒険家になれるのだ。
生存バイアスも良いところである。
もちろん冒険家として経験を積んだ者には高い能力や技能を身につけた者がいるし、私の部下にもそうした者たちはいるが、そこまで成れた者すら全体から見ればわずかな上澄みに過ぎない。
だいたいは野垂れ死ぬか、見切りをつけて故郷に戻るか、都市で日雇いの仕事に就くのである。現実は大変に厳しい。
そもそも『冒険者ギルド』のような、国家の枠を超えた実力者の組合なども存在しない。そんなものがあったら、普通の国家組織なら反乱や他国との連動を怖れて国家権力で取り潰しにかかるに決まっている。
新入りが死なないようにするための教練課程なども、あるわけがない。ゲームのチュートリアルとは違うのである。
なにせ、この世界には『基本的人権』という概念はまだ無い。基本的に人間の命は使い潰せる消耗品でしか無い世界なのである。
何処の馬の骨とも知れぬ、ろくに読み書きも算術もできない、正規の技能訓練も受けた事がない、身体の頑健さと腕力に少々の自信があるだけの貧民出身の若者など、この非情の世界ではすぐに消費されてしまうだけだ。
このジャックというヤンキー顔の若い男の兄は、そのよくある結果として野垂れ死んだ。
おまけに経緯を知っていれば、どこにも同情する余地は無い。彼はジャックの言うとおりのクソ野郎かも知れないが、一方で母親の情も分からぬでは無い。ある意味、冒険譚の犠牲者でもある。
「それに、霊媒師様には申し訳無いのですが…。私らには謝礼をお渡しできるような余裕は無く…。」
母親の方は沈痛な顔で言った。
「チッ!」
身体ごとそっぽを向いていたジャックの舌打ちが響いた。
「構わないさ。そこの、お大尽が払ってくれるさね。」
「は?」
困惑する私を見て、霊媒師の老婆はニヤリと底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「穏便な解決をして、さっさと通りたいんだろ?ここでアンタが太っ腹なところを見せれば、一発で全部解決じゃないか。」
「う…まあ、そうですね…。」
「ほら、さっさとしな。」
この思考する時間を与えずに金を払わせようとするあたり、実に手馴れたものを感じさせるが、まあいい。
「金貨5枚で足りるかな?」
「多いね。2枚が相場だよ。」
「あなたにはちょっとお尋ねしたい事があるので。」
多いと言いながら素早くすべての金貨をしまいこんだ霊媒師の老婆は私を訝しむ目で見たが、目をふいと逸らして母親の方を見た。
「さて、礼は受け取った。そこの弟さんにも分かるように“口寄せ”じゃなく“交霊会”を執り行おうかね。」