78 陛下との対話
「これは、畏れ多くも陛下…!」
やはり私はどこか浮かれていたのだろう。陛下にお声がけいただくまで、まったく気づかなかった。慌てて深々と一礼する。
「アーディアス卿、面を上げよ。そう畏まらなくても良い。」
「寛大なお言葉に感謝いたします。」
私は頭を上げて姿勢を正す。陛下は窓辺に寄ると手近にあった椅子に座り、もう片方の椅子を示して私に着席するよう促した。
「失礼します。」
「ここには儂と貴公しかおらん。少しは姿勢を崩して楽にするが良い。」
そうは言われても、じゃあお言葉に甘えて、と自分の国のトップを前にすぐ楽な姿勢を取れるほど、私の神経は太くない。陛下の仰るとおり、いつの間にかグラウル子爵は姿を消していた。
彼は陛下と私との密談があるのではと慮って、足早に退室したのだろう。耳にしてはいけない事を聞かないようにして禍累を避けるのは、宮廷人の身につけるべき処世術のひとつだ。
「特使の一件、本来ならば、華やかに送り出したいところではあるのだがな。許せよ。」
「はい、理由は心得ております。」
「ほう。申してみよ。」
陛下は私の顔を興味深げに見る。
「ヤー=ハーン王国の目を引かぬためだと、理解しております。」
その答えに陛下は満足げにうなづいた。
「わかっておれば、それで良い。そなたの発案でかの国との戦力差は拮抗できる程度にはなるであろう。」
「やはり厳しいですね…。」
「竜の力で差をどれだけ埋められるかは、そなたの交渉次第だ。」
そこで陛下は一度言葉を切って、改まった。
「そなた、カステル卿に悪魔の話をしたそうだな。」
「はい。ゾンビの発生の件で、死霊魔術の話をしている時に元凶の可能性のひとつとして、ですが。」
「ゾンビの発生は、ヤー=ハーン王国の軍備増強の件と関係があると思うか?」
そう聞かれて、私は考え込んでしまった。
死霊魔術によるゾンビの軍隊。ゾンビパニック映画ならともかく、実際には、ゾンビの軍隊は軍隊として運用しやすそうには思えない。
利点は、死を恐れない・恐怖心が無い・疲弊が無い・命令に従順・兵站を簡素化できる、ぐらいだろうか。
欠点は、遅い・判断能力が無い・戦闘能力が低い・弱点も割と多い、といったところか。
大量に用意するできるとか、現代地球のような高性能の重火器を武器として使える、爆薬を持って自爆攻撃をさせるならば、ゾンビの軍隊は脅威になりうると思う。
だが重火器は未発達でようやくフリントフロック式程度、連射できるような銃器はまだ無い。爆薬も黒色火薬程度だ。
この世界ではまだ剣や槍で戦うのだ。こうした武器は力と速さが威力を、そして高度な判断能力に支えられた技が勝敗を決める。
しかしゾンビの持つ力は普通の人間とそれほど変わらず、動きが遅い、判断能力が無い。これではそれほど恐ろしい相手になりようが無いのだ。
せいぜい、肉の壁が良いところ。量があれば飛び込ませて堀を埋め尽くすとか、城壁を文字通り死体を積み重ねて乗り越えるなどの、生きている人間では決してできない戦術が可能だろうが。
『現代地球の武器弾薬+ゾンビ』なら恐ろしい脅威になりうるが、この世界ではそれほど恐ろしいとは思われないのだ。
疲弊しないのが唯一厄介だが、堀や柵・防壁などで動きを止め、人員を交代しながら戦線の維持が可能だろう。これとて、やりようはあるのだ。
もちろん、これは『相手がゾンビだけを使うなら』と言うのが前提である。人間の死霊術師なら仮に禁術を学び得たとしても、その魔力量には自ずと限界があり、大したことはできない可能性が高い。
警戒するべきは、この動きの背後に不死の王のような最上級のアンデットや、本当に“死を嘲笑う者”ザカトナールのような魔界の大公クラスの悪魔がいる場合だ。
これらの場合は単体で非常な脅威となるだけでなく、ゾンビとは比較にならない強力なアンデッドを使役して送り込んでくるに違いない。英雄レベルの戦闘能力の持ち主が必要になるだろう。
「難しいですね…。情報が足らなさ過ぎます。もし軍隊を作り上げるほどのゾンビを用意するなら、上級アンデッドや高位の悪魔の存在を視野に入れる必要がありますが。そうなれば、大聖都の教皇猊下に聖騎士団の派遣を要請しなければ、我が国は苦しい立場に置かれるでしょう。」
「教皇猊下か…。」
陛下は何か思案顔となった。今の代の教皇猊下は生来の困難を乗り越えて大成なされた、ひとかどの人物と私は聞いているが…。陛下は、彼の別の面を知っておられるのだろうか、それとも外交上の事か。
「カステル卿の元には悪魔学の専門家を王立魔術院より派遣しております。最悪に備えた戦略・戦術研究を進めておられるでしょう。」
「うむ、そうであるな。まだ分からぬうちに不安ばかり膨らませても仕方あるまい。」
国王陛下はそう言って立ち上がる。
「アーディアス卿、貴公との会話は良い刺激になった。」
「陛下の無聊をお慰めできたならば、幸いにございます。」
私は一礼し、顔を上げた時には陛下のお姿はもう無かった。